末候*鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)
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「離れゆく?」

「うむ、今は共にあり、愛し合っても、そのうちお互い離れ離れになるのでござる」

 訝しげに眉をひそめる暁治に、我が意を得たりと、少年は得意げな表情を浮かべた。

「これは、はる殿と兄ぃの未来のことを暗示して――痛い痛いでござる!」

「もぉ、鷹野ってば、不吉なことを言うんじゃありませんのことよ」

 ぽかり。ドヤ顔をした少年を、朱嶺は後ろから殴った。

「僕とはるはね! 運命の! えぇと、でぃすてにーらばーずなんだからね。こう、引き離されない永遠の絆というかまったりとしてコシのあるって、――はる僕まで叩かないでよ」

「訳の分からないことを言うんじゃない。おい、お前英語大丈夫か? 今度の期末テストで赤点取ったら、昨日言ってたホームセンターはなしだからな」

 隣町にある大きなホームセンターは、県内で一番大きな施設だ。気軽に行くには少し遠いので、夏休みに入ったら車で行こうと昨日を約束した。

 先日車がなくてと職員室で話していたら、品川先生が今度新車を買うとかで、譲ってもらえることになったのだ。ペーパードライバー一歩手前の暁治の、腕ならしも兼ねている。
 彼の実年齢とか正体はともかく、学生である以上、指導するのが教師である暁治の役目だ。

「そんなぁ! 中村屋のハンバーグも?」

「ホームセンターにあるんだから、当然だろ」

「えぇ、僕最近それ楽しみに生きてるのにっ!!」

「つい昨日のことだろうが」

 この世の終わりのような顔をした自称三百歳の後ろで、「烏は除け者にゃ」と、キイチが口元に手を当てにまりと笑う。

「先生、準備ができましたよ」

 石蕗の後ろから、シロクロが器を運んでくる。

「おぅ」

「ご飯っ!」

 ショックを受けても腹は別らしい。席についたのは朱嶺が最初だった。みな一斉にいただきますと唱和して、箸を手に取る。暁治は柳田に惣菜を勧めると、正面に座る石蕗に目を向けた。石蕗はもちろん、柳田も人とは違う存在について、暁治よりよく知っている。

「弟弟子の世話をするって、具体的にどんなことをするんだ?」

「特にこれといってはないのですが、師匠の言葉をわかりやすく伝えるとか、弟子たちの取りまとめとかですかねぇ」

「ねぇ、当事者の僕じゃなくて、なんでゆーゆに聞くんだよ」

 もぐもぐと、忙しそうにご飯を食べながら、朱嶺は不満げに口を尖らせる。

「そりゃそうにゃ」

 うんうんと頷いたキイチは、暁治の皿から取った卵焼きを、もぐりと口に入れた。

「烏は信用ないのにゃ。昨日もおれのマグロを取ったのにゃ。極悪人だにゃ」

「取ったもなにも、あれはみんなの刺身でしょ」

 朱嶺は反論しつつ、茄子を口に入れる。

「違うのにゃ。あの刺身はおれに食べられたいと思っていたにゃ!」

「おい、少なくとも俺の皿の卵焼きも茄子も、お前らに食わせるために取ったんじゃないぞ」

 先ほどから遠慮なく暁治の皿から強奪されるおかずたち。すぐそばに大皿があるのに、なぜ暁治の皿から取っていくのか。

「愛にゃ!」

「僕とはるは運命のふぉーちゅんらばーというやつだからねっ!」

「愛も運命もない! こら取るなお前ら!!」

「兄ぃ、自分の皿からもどうぞ」

「はるからもらうから大丈夫!」

「はる殿、やはりお覚悟するしか……」

「しなくていい! あ~、もう」

 なぜこんなに、話を聞かないやつばかりなのか。頭を抱える暁治の皿に、そっと卵焼きがひとつ。小さな手で箸を持った桃が、暁治を見上げてにこりと笑った。

「桃ぉ!! なんていい子なんだぁ!」

「あーっ!!」

「イチャイチャだ」
「イチャイチャぁ~!」

 がばり。感激のあまり桃に抱きつくと、シロクロが手を打って囃し立てた。

「先生、桃さんの実年齢はさておき、見た目は犯罪ですよ」

「うるさい」

 幼子の健気さに打たれないとは、こいつらは鬼に違いない。そう思う暁治だ。

「あれ、もしかして実年齢でいうと、もしかして私が最年少でしょうか」

 小首を傾げる石蕗に目を向ける。桃の年齢はわからないが、キイチは暁治が子供の頃にはいたから、石蕗の方が年下だろう。

「お前こそ千歳くらいサバ読んでないか?」

「やだなぁ、先生。私はごく普通の人間ですよ」

 ぱたりぱたりと手を振られるが、みな一斉に首を振った。横に。

「心外です。朱嶺さんも猫屋さんも、もっと先生に構って欲しいのですよ。だからお皿から取っちゃったんですね」

「たまにゆーゆがお父さんに見える」

「おれはかーちゃんに見える」

 妖たちから親呼ばわりである。

「優真くんは落ち着いてるからねぇ」

 くすくすと、柳田が笑った。

「しっかし」

 ごちそうさまと手を合わせた朱嶺は、弟弟子に向き直った。

「せっかくの初下山なのに、なんで真っ直ぐ宮古家に来たんだよ?」

 まだご飯を食べていた弟弟子こと鷹野は、箸をそっと置くと朱嶺を見た。

「ここのところ、口を開けば兄ぃがこの家の話をするから、気になったのでござる」

「彼らは一人前になると、山を降りて生活することが許されるそうですよ」

 今日のデザートは桃らしい。石蕗は手際良くむきながら、補足してくれる。最初の一口は、食べる方ではない桃に献上のようだ。

「うん、今日は門出祝いでね。兄弟子としての僕の役目も終わりだから、ちょっと家に帰ってたんだ」

 今日いなかったのは、そういうわけだったらしい。しかし別れたばかりの弟弟子が、真っ直ぐこの家に来るとは、さすがに思わなかったようだ。

「本当は兄ぃのように管理人を引き受けようかと思ったのだが、すでに枠が埋まってると聞いてな。今は職探し中でござる」

「興味があってうちを見に来たってなら、なんでいきなり殴ってきたんだ?」

 管理人とはなんだろうと思ったものの、とても理不尽な目に遭った暁治としては、当然の疑問だ。

「出会い頭に相手の実力を測るのは、武道を極める者のたしなみだと兄ぃが」

「あけみねぇ……!」

「待って待って、僕、誰彼構わずケンカふっかけろとか言ってないから! おい、鷹野。僕素人相手にはやるなっていったよね!?」

「うむ。したがはる殿は我らが師匠をも負かす武道の達人! 我がライバルとして不足なしでござる」

「いや、俺お前らの師匠と会ったことないぞ」

 もしかしたら、前に桃を預かるときに電話をかけてきた人物がそうかも、とは一瞬思ったが、お目にかかったことなどない。ましてや彼らの師匠と拳を交えた記憶もないし、腕に覚えなどまったくない。

「しかし、師匠がことあるごとに戒めだと口にされるのでござるが」

「なにか勘違いじゃないでしょうか」

「それって、いつの話なんだい?」

 石蕗や柳田のフォローに、鷹野は大きく首を振って否定すると、自信満々に胸を張った。

「間違いござらん。かれこれ五十年ほど昔の話らしいでござる。この世には辻森先生という、ただ人ならぬ武芸の達人がいると」

「それ、正ちゃんだね」

「じいさんだな」

「はるははるでも、正治さんだよ鷹野。はるのおじいさん」

 さすがの朱嶺も、意気消沈したらしい。がっくりと肩を落とした。そういえば、暁治の祖父は若いころ文武両道だったと聞いたことがある。

「じいちゃんはかっこいいのにゃ!」

 どうせ俺はかっこよくないよ。なんとなく面白くないままにまだ少し痛む額をなでると、暁治はそんなことを独りごちた。

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