朝食を済ませたあと、ロディアスとリュミザは地下書庫へと向かった。
ベッドの上で一日だらだらは過ごせなくなったものの、リュミザはわくわくとした表情をしている。
以前、ヘイリーからリュミザは学園で常にトップの成績だったと聞き、勉強が好きなのかと訊ねてみた。
そうしたら本を読むのが好きで、物覚えがよかったからたまたまだと言われた、が。
話を深く訊いてみると、年間の読書量は相当だ。好きという言葉には収まらない才能だろう。
「わぁ、立派ですね」
ロディアスが書庫の扉を開いて明かりを灯したら、リュミザは喜びを含ませた声を上げる。
隣を見れば、いつも以上に瞳がキラキラと輝いており、少年のような幼い表情を浮かべていた。
「古いものが多い。図書館にないものもあるかもしれないぞ」
「それは楽しみです」
「ここへ訪れたくなったら、いつでもウィレバに鍵を借りるといい」
「はい。――これが話に聞いていた書記具ですね。ふぅん、最新に更新されているみたいですね」
あちらこちらと周囲を見ていた、リュミザの目に留まった検索の魔法道具。
彼はしばらく書記具を見つめてから、そっと羽ペンや便せんを手に取り、注意深く眺める。
「リュミザは魔法道具について詳しいのか?」
「一応、技術師の資格を持っています」
「あんたは本当になんでもこなしてしまうな。このあいだの魔力石、というやつもとても助かった」
「ふふっ、愛を込めましたから。あれは魔法道具を作るのに必要な技術なんですよ」
「へぇ、世の中は知らないことばかりだな」
魔法道具の仕組みなんて、聖王国の者しか知らないと思い込んでいた。
思えば魔法省は聖王国の管轄だから、魔法道具を扱える者が神族以外にいてもおかしくない。
「魔法道具には必ず魔力石が使われているんです。道具を動かす動力になるんですよ」
「なるほど、確かに道具にも属性があるな。しかしこんな話、俺が聞いてもいいのか?」
「大丈夫ですよ。魔法道具は緻密な設計図を読まないと作れない代物ですし。そもそも設計図は聖王国にすべてあります。……でも、この書記具の設計図は、ここにあるかもですね」
「奥の部屋にあるかもしれないな。行ってみるか」
当主と一族しか入ってはならない部屋だけれど、伴侶は入ることが可能だ。同伴という形なら先祖も許してくれるだろう。
そう思いながらロディアスは書庫の先を指さした。
「僕もいいのですか?」
「構わないだろう。俺と一緒だしな」
「特別な感じがうれしいです」
ぱあっと華やいだ笑みを浮かべ、抱きついてくるリュミザをロディアスは抱きとめる。
会うたび男性らしい体躯になっていると気づき、不思議な感覚だった。
背丈も最初はロディアスと同じくらいだったのに、いつの間にか追い越されている。
「ロディー?」
「いや、成長してるなと」
「そうなんです。最近、服がキツくて仕立て直してもらっています。やはり鍛錬しているせいだけではないみたいです」
「どこまで成長するのだろうな」
「元々が中性的でしたから、髭が生えたり、ゴツゴツとしたりはなさそうですけど。ロディーは逞しい男のほうがいいですか?」
ふいの問いかけにロディアスはしばらく考えた。
男性らしくなっても美しさは損なわれないだろうが、できたらいまくらいの青年らしい体躯がよい。
リュミザの美しさは魔力だけに留まらず、容姿もロディアスにとって心の潤いだ。
「いまくらいがいいんじゃないか? あとちょっと筋肉がつけば剣が扱いやすいだろうが」
「ロディーの好みに合うよう、この体型を維持します」
力こぶを作って見せるリュミザに、ロディアスは苦笑する。
やはりぱっと見た感じでは可憐さがあるので、まだまだ可愛らしい。
「無理のない範囲でいいぞ。さあ、部屋に行こう。俺もまだ入っていないんだ」
「秘密の部屋みたいでドキドキしますね」
書庫の奥の扉は壁の色と似ており、ひっそりと目立たぬ存在だ。
扉の前に立ち、ウィレバから預かった専用の鍵に、ロディアスは自身の魔力を込める。すると鍵は見る間に姿を変えた。
「鍵も魔法道具なのですね」
「そのようだな。ますますハンスレットの成り立ちが気になる」
鍵穴に、姿を変えた鍵を差し込みゆっくりと回す。
それとともにガチャンと少し重たい音が響いた。思ったよりも重厚な扉だったのだろう。
ノブに手をかけ開けば、今度はギィッと蝶番の軋む音が響く。
ロディアスの両親が亡くなってから八年、閉ざされていた扉がようやく開いた。
「長らく人が入っていないのに埃っぽくないですね」
「ああ、毎日空気の入れ換えがされてるかのようだ」
部屋は大きな一間。地下なので窓はないが、扉を開いたら明かりが灯った。
壁一面に本棚があり、衝立には地図が貼られている。少し地形が違うため、おそらくいまよりも古い地図だ。
ほかには書記具の設計図も無造作にピン留めされている。
部屋の中には立派な執務机とソファもあり、倉庫というよりも、誰かが昔ここで過ごしていた気配を感じた。
室内に入っているあいだ、鍵は所定の位置に置くよう、ウィレバに言われていた。
執務机にある小さなトレイの上へ、丁寧に鍵を横たえれば、本棚近くの照明がぱっと灯る。
「本の背表紙がよく見えますね」
「この部屋を作った人は、よほど本が好きだったのだろうな」
明るくなったおかげで、本棚のそばにいくつも椅子が置かれているのがわかる。
手に取った本をその場で、ゆっくりと閲覧できるようになっているのだ。
「ロディー、この方たちがご両親ですか?」
先に部屋の中を歩き回っていたリュミザがふと声を上げる。
傍まで行くと、部屋の片隅に肖像画が置かれていた。懐かしい両親の姿に、ロディアスもさすがに胸が詰まる。
「素敵なお二人ですね。ロディーはお父上似で、色を母君からいただいたんですね」
「そうだな」
ロディアスの父は淡い金髪に空色の瞳。
母は赤髪に海色の瞳だ。
男性らしい面立ちは昔から、父にそっくりだと言われてきた。
小さなテーブルの前に、立てかけられた肖像画をしばし見つめてから、ロディアスは二つの手帳に気づく。
一つはまだ古めかしさを感じないが、もう一つは革張りの表紙が少し色褪せていた。
テーブルに並んで置かれたそれらは、ロディアスを待っていたようにも感じる。
「これは母の手記か。こちらは……遠縁の家門だな」
両方を手に取り、ロディアスはサインを確かめる。
古ぼけた革張りの手帳も女性とおぼしき文字で書かれた手記だ。こちらも気になるけれど、まず先に母親の手記を開いた。
「僕はほかを見てきていいですか?」
「――構わない」
リュミザの小さな気遣いだろう。
そっと傍を離れていく彼を見送り、ようやくロディアスはページを捲る。
そこには母らしい綺麗な文字で領地について綴られていた。
内容のほとんどは教わった覚えがある、ハンスレット家の事柄やしきたり。だけれどこと細かに、丁寧に誰が見ても伝わるように書かれている。
そして最後に一文。わずかに掠れた文字で、ロディアスの健康を願い、いつでも息子を愛していると残されていた。
もしかしたらなくなる少し前に書き足したのかもしれない。涙をこぼしたような痕がある。
(母が亡くなったのも急だったな)
温かな春の日だったので、父が迎えに来たのだろうと誰しも感じた。
手記はこれで終わりと思い、閉じようとしたロディアスだけれど、まだ一ページ残っている。そこには革張りの手帳について書かれていた。
(国の裏側を見ることになる、か。散々目にしてきたが、それでも前置きするものとはなんだ?)
興味を引かれ手帳を開いてみると、几帳面な性格が表れた文字で綴られている。手帳の持ち主は母の乳母であった女性のようだ。
ロディアスは記憶にないので、おそらく物心つく頃にはすでにいなかったのだろう。
彼女の手記には母だけでなく父の日常も綴られている。
はたから見ても仲のいい夫婦だったのがわかり、ロディアスは微笑ましい気持ちになった。
しかしロディアスが生まれてしばらくすると、乳母の文字は感情的に乱れ始めていく。
そこに書かれていた事実に、ロディアスは目を見張った。
――娘が陛下の子を身ごもった。
すぐさま頭の中で計算がされ、乳母の娘が誰を身ごもったのか、ロディアスは気づいてしまった。
(ルディルとカルドラ公爵は年子じゃないのか。前王妃がルディルを身ごもっているあいだのことだろうな)
ここでようやく理解できた。カルドラ公爵がなぜ大公家を気にかけるのか。優秀である彼があえて日陰にいる理由がわかる。
公爵は前王妃の侍女が産んだ婚外子だったのだ。
書かれているのが事実なら、前王妃はカルドラ公爵を徹底的に視線から排除しただろう。彼女はひどく自尊心の高い女性だった。
浮気相手の子に情けをかけるなどありえない。
続きを読むと公爵の母親は、産後の肥立ちが悪く、早くに亡くなったそうだ。
手記を読み進め、ページを捲ると――子どもの名前が記してある。
ペリィニ、そしてラィーク、男児の双子だ。
(これは、若干綴りが異なるけれどあの二人の名だろう。ライックは金色の髪と緑の瞳を持たないから、王家に取り上げられなかったんだな)
どういった経緯で、ライックが公爵の影となったのかはわからない。しかしそこはロディアスが深掘りすべき事情ではないだろう。
(二人に会った印象では、お互いに信頼を置いているように思えた。きっと悪い関係ではない)
祖母にあたる女性も、ライックは物静かな子だけれど心根の優しい少年だと記している。
(これを読むと、公爵が俺を見かねたという、リュミザの見解は正しかったようだな)
カルドラ公爵が今回、重たい腰を上げた理由――彼は自身の母親と同じように王家に人生を狂わされた、ロディアスに心を傾けてくれたのだ。
他人事ではないと、立ち上がるには十分な根拠だ。
読み込み中...