王都にあるタウンハウスは、大公領よりも蔵書が多い。
最近はようやく落ち着いてきたけれど、ハンスレットはなにかと戦地になりやすい土地だからだろう。
万一、貴重な本が焼け落ちてはいけないと、考えてのことだ。
しかし幼少期から、あまり勉学を好む性質でなかったロディアスなので、蔵書の把握はそれほどできていない。
「急に地下書庫へだなんて、どうされたんですか?」
書庫を管理しているのは、タウンハウスの筆頭執事であるウィレバだ。突然地下の鍵は、などとロディアスが聞いたため、驚きが先について出たに違いない。
「精霊族についての文献がないかと思ってな」
「ああ、リュミザさまですか。愛の告白を受けたと」
「なぜ知っているんだ」
合点がいったように頷くウィレバに、ロディアスは思わず被せるように問いかけてしまった。
その様子で話が本当だったと、ウィレバは確信を得たように笑う。
「ヘイリー坊ちゃんが嬉々として語っておりました」
「あの子は、なにを」
「大好きな二人がずっと一緒にいられるのなら、くらいにしか思っていませんよ。きっと」
呆気にとられた顔をするロディアスに、ウィレバは再び穏やかに笑った。話していたヘイリーを思い出し、微笑ましい気持ちになっているのだろう。
大したことではないと言わんばかりな様子で、先を歩く後ろ姿にロディアスは苦い顔をする。
なぜそんなに手放しで皆、笑って話せるのか。
「ロディアスさま、こちらです」
地下の貯蔵庫へ至る扉のほかにもいくつか扉がある。
一つはウィレバの部屋で、もう一つは書庫へ繋がる扉だ。
基本、地下室は筆頭執事であるウィレバの管轄。ゆえに貴重な物は彼の傍にある。
「父から鍵を預かって以来、こまめに掃除しておりますが、多少埃っぽいかと」
「この広さなら、行き届かなくても仕方ない。地下がこんなに広いとは知らなかった」
ウィレバに続き、歩いた廊下の先にさらに頑丈な扉が一枚ある。
その向こうがハンスレット家の書庫だった。ウィレバが魔法道具であるランプをつけてくれ、中を初めて見たロディアスは、書物の膨大さに感嘆の息をつく。
「これでは目当ての本にたどり着くだけで、日が暮れそうだな」
「ご安心ください。書物は分類できっちり分けられておりますし、この魔法道具で目当てのものを検索できます」
天井まで高く建ち並ぶ、本棚に目を奪われていると、ウィレバが部屋の片隅にある机を指し示す。
そこには真っ白な便せんと立派な羽ペンが置かれている。
「これは、随分と高価な書記具だな。図書館でしか見たことがないぞ」
なんの変哲もない文具のように見えるけれど、レイオンテールでは王都の図書館でしかお目にかかれない魔法道具だ。
備え付けの羽ペンで、便せんに単語を記入すると、本のある棚を教えてくれる。非常に高価な品。
「図書館にある魔法道具はこれを元に作られていると、父が言っておりました」
「へぇ、そうなのか。じゃあ、大公家に魔法道具師がいたんだな」
「そのようです。この書庫ができあがった際に作られた品だそうです」
「それは相当な貴重品だ。古いが精度はいいな。誰かが手を入れたんだろうか」
魔法道具の作り手はそう多くない。
ロディアスの知る限り、技術を持っているのは神族が治める聖王国の者たちがほとんどだ。
だというのに初期型がここにあり、定期的な修繕をされている様子。大公家が魔法道具師と接点があると、ロディアスは知らなかった。
本来、大公領主が知っているべき事柄だろうけれど、ロディアスへ伝わる前に途切れたのかもしれない。
父母が亡くなったのも急な事態だった。
「私はまだお目にかかっておりませんが、魔法省の方が数年に一度、魔法道具の点検にいらしているとか。歴代のどなたかが魔法省と懇意なのでは」
「初耳だ。当主としてあるまじき状況だな」
「先代が亡くなった八年前からずっと、走り続けておられます。このくらいの情報は微々たるものですよ」
「これからはこちらにも、もっと気を配る」
タウンハウスはロディアスの父母が長らく取り仕切っていた。大公位はロディアスが二十歳になった時、譲り受けており、ハンスレットに引きこもる理由付けができていたのである。
(時が過ぎるのは早いな)
ウィレバと話をしつつも、ロディアスは調べ物を紙に書き記していく。そしてペンを置けば、すぐさまロディアスが書いた文字の下に、整った文字が浮かび上がってきた。
「本を取って参ります。ほかにもありましたら追加で書いてください」
「ありがとう。頼んだ」
文字が記された紙を手に、ウィレバは書庫の奥へ向かっていく。そのあいだロディアスは二枚目に、思いつく限りの単語を書き記していった。
(そういえば初代のことをあまり知らなかった。特定の人物を記した書物はあるだろうか)
弟に王位を譲り、国の前線に立った初代大公ヘイディリアン――彼はどんな人物だったのだろうか。
彼の名前を便せんに綴ったが、魔法道具は反応を示さない。
(ないのか? 大公家の書庫にない詳細を、なぜカルドラ公爵は知っていたのだろう。謎が深い人だな)
大公家と王家について、ロディアスは深く知ろうとしてこなかった。臣下でありながら不敬ではあるが、興味がなかったのだ。
それほど現在の王家は敬意を払うには難しい者ばかりとも言える。
(まあ、どんな人物かわからない公爵でも、いまのルディルよりずっとまともな政治をしてくれるだろう)
君主の性格は矯正しようがない。いまは臣下たちが奮闘しているけれど、いつか限界が来る。
その前にルディルを王位から引き下ろせたら――そう思いながら、ロディアスは自身の左胸に手を当てた。
刻一刻と衰えていく体。
まだ剣を振るうことはできるものの、いつ剣だけでなくペンさえも握れなくなるかわからない。
精霊の咎人となったロディアスは、残りの時間を少しも無駄にできない。
ロディアスの寿命に限りがあると知っているのは、リュミザとシュバルゴだけだった。
いずれヘイリーやウィレバにも伝えなくてはいけない。
彼らが大公領の未来を築いていくのだから。
「初代大公さまのお話を知りたいのでしたら、手記がありますよ」
「そうなのか?」
本を抱えて戻ってきたウィレバが、ロディアスの手元を覗いて思いがけないことを言う。
驚いて振り向けば、彼は書庫の奥のほうへ視線を向ける。
「あちらにハンスレット家当主一族しか出入りできない部屋があります。先代の話では、そこに初代の手記があると。必要であればロディアスさまへ伝えるよう言い付かっております」
「手記か、興味深いな。だが、まずはその本が先だな」
「精霊族について、ですね。なにをお知りになりたいのですか? リュミザさまからの求婚に不安が?」
「きゅっ、求婚はされていない! 精霊族という存在についてもう少し知識を入れておこうと思っただけだ」
「そうですか。では私は読書の邪魔になりますので、上へ戻っております」
「ああ、すまない」
からかいでもなく、至極真面目に求婚という言葉が出てくるとは思わず、ロディアスは俯きがちに返事をした。
主人の耳が赤くなっているのに気づいているだろうが、ウィレバはなにも言わずに部屋を出て行く。
「精霊族は一途だからな。言いたいこともわかる、けどな」
一途なはずのアウローラに去られたロディアスは複雑だ。
ウィレバが置いていった本をパラパラと捲りながら、無意識に深い息をついていた。
(リュミザは半精霊だ。人の器を持っているから、おそらく人族に近いのだろう)
精霊族と番えば寿命を分かち合える。
しかしリュミザは人としての器を持った人族寄りだ。多少長く生きたとしても、本来の精霊族とは異なるはず。
精霊族は神族と異なり、国を築かず各地でひっそりと、独自の文化を持って暮らしている。
同じ精霊族でも持ち合わせている属性が異なると、反目し合う場合があるからだ。
大半が一族同士で番い、人族や獣人族と番う確率は低い。ゆえに彼らに関する詳細な文献も多くない。
ちなみに神族は寿命が精霊族より長いため、伴侶を得ても子をなすことは少ないらしい。
「書いてあるのはどれも知っている内容ばかりだな。……リュミザは、俺の寿命があとわずかと知っているのに、本気なんだろうか」
このままでは未来を一緒に生きていけない。
「本当に、わかっているんだろうか」
精霊族の一途さ、盲目的な愛情は身をもって知っている。
ゆえにロディアスはあの時の言葉をまっすぐに受け止められなかった。
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