かすかな揺れを感じる馬車の中、ロディアスはあくびを噛みしめた。
多少の距離ならば馬で移動するのだが、王都までの道のりは遠い。
今回はリュミザがいるので、彼の相手をしなくてはならなかった。
のだが――リュミザは先ほどから外の世界に夢中だ。
王都までの道のりは海沿いの道が多い。
少し前、外の景色が変わったところだった。
「そんなに外を眺めていて飽きないか?」
「飽きません。僕は海を見るのが好きなのです。あのまま本当に、ハンスレットで過ごしたいくらいでした。あそこの海は格別に美しい」
ロディアスの向かい側で窓の外を眺めているリュミザは、海を見つめながら微笑んだ。
彼の綺麗な若葉色の瞳は、日の光を受けてキラキラと輝いて見える。
屋敷にいるあいだも散歩だと、よく海岸へ出かけていった。
よほど好きなのだろうなと思っていたけれど、目の当たりにすると余計に感じる。
(王家は水の精霊と縁があったらしいし、アウローラもそうだ。だから海が好きなんだろうか)
海を恋い焦がれるような眼差しで見ているリュミザは、いつか海に還っていくのでは、と思えた。
精霊族と人族の子が、本物の精霊になったという逸話は聞いたことがないけれど。
(見た目が神々しすぎるから、そう思えるのかな。俺にはちょっと眩しすぎるが)
正装をしていないため、リュミザは簡素なシャツにズボンというありふれた格好。
だと言うのに品のある王子さまという印象が強い。
加えてサラサラとしたリュミザの金糸の髪は、まばゆいほど色が鮮やかだ。
これまでは背に流していたけれど、いまは乱れぬよう編み込んである。
気をつけねばするりと指を通り抜けてしまうくらいに柔らかく、艶やかな髪だった。
ロディアスは彼の髪を編むのに一苦労した。
だが髪を結えと言ったのは自身だったので、やらないわけにはいかなかったのだ。
「どうかしましたか?」
「いや、苦労が報われたと思っただけだ」
ロディアスの視線が、ずっと自分に向けられていると気づいたらしいリュミザは、ふと自身の髪へ目を向けニコッと笑う。
「ありがとうございます。僕は髪を編むという器用さがないので」
「少しはそちらの器用さも身につけろ。せっかく綺麗なのに、無造作ではもったいない」
「この髪は、あまり好きではなかったのですが、ロディーがそう言ってくれるなら、身につけます」
「……好きじゃないのは、王家の色だからか?」
「あの男に似ている部分が一つでもあるのが嫌なんですよね。本当は切りたいのですが、髪にも魔力が宿るようなので」
編まれた自身の髪の毛を指先でいじりながら、リュミザは独り言のような声音で呟く。
(相容れないと言っていたが、本当にルディルと相性が悪いのか。まあ、あいつは性格がよくないしな)
前国王の第一子ではあるが、ひと癖も、ふた癖もある陰湿な男がよく王位に就けたものだと、不敬ながら当時のロディアスは思っていた。
いまから十年ほど前の話だろうか。
(他人を敬い感謝することを知らない男だ。国の行く末が不安で仕方なかったと、民はいまでも口にする)
前国王から譲位され、王位に就いたルディルは戦ばかり起こし、そのたびロディアスは軍を率いた。
五年ほど前に退役するまで何度、前線に立ったか。
(迷惑な話だ。もっとまともな人間が上に立つべきなんだが)
彼には一つ下の弟がおり、そちらはかなり優秀だと聞いた覚えがある。
ロディアスは遠目に見た程度で面識はないけれど、真っ当な判断をするならそちらだと、言っていた者も多い。
(そうだった。王家は正しい判断のできない人物が多かったんだ。前王もあまりよい評判ではなかった)
「王家の人間は愚か者が残る、と囁かれているようですが、僕もそのとおりだと思います」
「…………」
一瞬、心を読まれたのかと、ロディアスはぎくりとした。
しかしリュミザの視線はまた窓の外へ向けられている。
独り言の延長だったのかもしれない。
「聡い人間は自ら王家を去るようです。知っていますか? 初代大公閣下は無駄な争いを避けるため、自身で前線を選び、弟に王位を譲ったそうです。身内の尻拭いをしてやろうなんて、心の広い方ですよね」
ふっと、少々重たい息を吐いたリュミザの瞳がこちらを向いた。
「リュミザは博識だな。初代のそんな話、俺は聞いた覚えがなかった」
「リオ叔父上が教えてくれました」
「……リオ。ああ、カルドラ公爵か」
聞きなじみのない愛称にピンと来なかったが、叔父というひと言でロディアスは理解できた。
ルディルの弟であるペリオーニ・カルドラ公爵のことだ。
「公爵と親交が深いのか?」
「ええ、僕はいま、叔父上の後を引き継いで魔法省を管理しているんです」
「へぇ……って、リュミザは魔法省のトップだったのか?」
「ふふっ、そうなんです」
世間話みたいな流れで聞かされて、ロディアスの声がわずかにひっくり返る。
魔法省とは各国にあり、魔法に関するすべてを取り扱う機関だ。
神族が治める国、聖王国が統括をしている、国と切り離された特別な組織でもある。
この世界で魔法を扱うすべての者は、魔法省に申請をし規則に従わなくてはいけない。
魔法による戦が制限されたのは、魔法省という機関が発足したおかげだと言われている。
大昔は常にあちこちで戦が起きていた。
力を持たない小国はどんどんと大国に飲まれて、奴隷制度も蔓延っていたと聞く。
「笑いごとじゃないぞ。そんな大役を任されていながら、ひと月以上も席を空けるなんて」
「大丈夫です。ハンスレットへ行ってくると言ったら、叔父上が代わりに見てくれると言ったので」
「ふぅん、本当に親しくしているんだな」
「はい」
(王家で誰も周りに人がいないのかと少し気にかかっていたが、目を掛けてくれる人がいたのならよかった)
最初は会いたくなかったと思っていたのに、なんだかんだと数日一緒にいて、情が移ってきたようだ。
自然とリュミザを心配している自身にロディアスは気づいた。
彼も感じ取ったのか、うれしそうに表情をほころばせて笑う。
「ロディー、ありがとうございます」
「ああ」
たやすく感情を見透かされ、落ち着かない気持ちになったロディアスだが、ちょうどよく御者台からノックの音が聞こえた。
「どうした?」
「もう少しで町の近くを通ります。食事されますか?」
「休憩にはいい時間だろう。そうする」
「かしこまりました」
「あっ、ここは行きも通りました。ロディー! おいしい魚料理が食べられますよ」
馬車の窓を開き、身を乗り出したリュミザが声を弾ませた。
時折子どもみたいにはしゃぐ彼を見ていると、ロディアスは心が和んだ。
けれど走行中に顔を出すのはさすがに危ないと、たしなめることも忘れない。
外で馬を走らせている護衛たちも驚いた表情を浮かべていた。
(リュミザが来てから、いい意味で活気がでてきたな)
年若い青年がいるだけで賑やかだ。
養子として引き取った息子は、学園に通うため王都へ行ってしまい、めったに帰ってこない。
今回の王都入りで一年ぶりくらいに顔を合わせる。
(リュミザとヘイリーは面識があるのだろうか。この様子だとタウンハウスまで一緒だ。王子殿下を見てあの子が驚かないといいが)
過去の未練が残ったままで結婚ができなかったロディアスは、大公家に迎え入れたヘイリーを本当の子と思い、可愛がってきた。
彼も懐いてくれていい関係を築いてきたが――
(大丈夫だろうか)
ロディアスを父と慕うリュミザとヘイリー。
なんだか二人の顔合わせがいまから心配になってきた。
リュミザともようやく、ほどよい距離感で付き合えるようになってきたというのに。
無駄な心配であることを祈りつつ、ロディアスは再びあくびを噛みしめた。
読み込み中...