突然現れた彼の姿は、二十年前――最後に見た恋人と瓜二つだった。
おっとりとした優しげな面立ち。瞬くたび揺れる長いまつげ。形のよい鼻に赤い唇。
記憶にある彼女の微笑みは、ゆるりと花がほころぶように美しく、誰もが振り返るほどまばゆかった。
いまロディアスの目の前にいるのは、彼女――アウローラの容貌をした別人だけれど。
「父上、お目にかかれて光栄です」
「…………」
「ここへきて正解でした。やはりあなたが僕の父上だった」
向かいのソファで、にこにこと無邪気に笑う彼の笑い方は、アウローラとはいささか違う。
それに彼女は波打つ深緑の髪をしていた。瞳は湖のように穏やかな水色だった。
彼は腰までまっすぐに伸びる金髪だ。瞳は若葉色で――
そんなことを思い、ロディアスは先ほどから自身が、目の前の青年と元恋人を比べてばかりだと気づいた。
うきうきと一人、話し続ける青年は――リュミザ・レイオンテール。
疑いようもないほどはっきりとした、王家の容姿を持っている、この国の第一王子である。
歳は今年で十九だったと、ロディアスは記憶していた。
二十年前、ロディアスが戦に出ているあいだに姿を消したアウローラが産んだ、最初の子ども。
どこをどう見ても、ロディアスに似ても似つかない。
だというのにリュミザはずっとロディアスを「父上」と呼ぶ。その違和感が、正直気持ち悪くて仕方がなかった。
「リュミザ王子殿下」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてください」
「いえ、私とあなたは他人ですよ。なぜ勘違いをされているのかわかりませんが」
「勘違いではありません」
ロディアスの言葉に目を丸くして驚くリュミザは、困ったように眉を寄せると、しばし「うーん」と小さく唸った。
どうにも彼とは噛み合わなく、呆れた気持ちでロディアスはティーカップを手に取る。
温くなった甘いお茶を飲みながら、この王子さまはいつまでここに居座るのだろうかと、内心息をつく。
なぜなら少し前に、使者団は屋敷を出たからだ。
(まさか彼だけ残るとは思わなかった)
リュミザは自分で身支度ができるから、お構いなく――と言っていたけれど、大公家として王子殿下の世話をしないわけにはいかない。
いま屋敷の者たちが客室をせっせと準備している真っ最中だ。
「父上は甘いものがお好きなんですね。僕も好きです」
ロディアスが果実を浸したお茶を自らカップに注いでいると、リュミザの瞳がキラキラ輝く。
確かに彼は甘いものが好きなのだろう。
普段のロディアスと同じように、煮詰めた果実をたっぷりとカップへ落としていた。
しかし彼の呼び方がどうにも気に障り、ロディアスは素直に返事ができない。
「殿下。その呼び方はやめませんか。陛下に失礼ですよ」
「……あの人は、僕の本当の父ではないので構いません。ずっと相容れない人間だと思ってきましたが、ようやく謎が解けて、僕はほっとしているのです」
(どう見たって王家の容姿だろうが)
胸元に両手を置き、大きく息をつくリュミザの様子を見て、ロディアスは舌打ちしそうになった。
頑なに訂正を受け入れないリュミザを相手にしていると、短気な性格ではないロディアスも、さすがにイライラとしてくる。
そもそも彼にロディアスは会いたくなかった。
(現実を突きつけられているみたいだ)
正直な話。もしかしたら彼は自分に似ていたりしないだろうか。そんな淡い期待も心の底にあった。だがそれと同じく、現実を知るのが怖くもあった。
だというのに突如、目の前に現れて、あっさり期待を砕き、リュミザはとんちんかんなことばかり言う。
「ああ、そうか。父上、先ほどの言葉を訂正します」
「やっと理解して――」
視線を合わさず茶ばかり飲むロディアスに、リュミザは納得した様子を見せたが、予想とは異なる言葉を返してくる。
「あなたは僕の魂の核を生み出してくれた方です」
「魂の、核?」
「そうです。僕の魂を作ってくださったのがあなたです」
「……精霊族の一番目の子。だから、か」
左胸に手を当てにっこりと微笑むリュミザに、ロディアスはぽかんとわずかに口を開いた。
かつての恋人、アウローラは精霊族だった。
魂の核とは、精霊族が生まれる際にできる命の結晶のようなもの。核は母胎に宿り、二人の魔力を注いで育てる。
しかし――
「人の子は十月十日と聞くが、精霊の子は時間がかかるのか?」
リュミザが生まれたのは、アウローラがルディルと婚姻した一年後だ。
計算が合わない。
「あの男は母の記憶を塗り替えたので、そのせいでしょう。魂の核は本来、違う魔力では育たないんです」
「……やっぱりそうなのか」
ルディルは水の魔法のほかに精神系の魔法が得意だった。
公表されていないけれど、対立する立場にいたため耳打ちしてくれた者がいた。
「僕はずっと違和感があって仕方がなかったんです。今日はそれが晴れて気分がいい」
本当に晴れやかな笑みを浮かべ、リュミザはテーブルの茶菓子に手を伸ばす。
もぐもぐと菓子を頬ばる姿はすっかり安心しきった様子だ。
それとは反し、ロディアスの心は波風が立って落ち着かない。
(だけど、だとしたら――塗り替えられてしまう程度の愛情しかなかったのか? 俺との子を宿しながら)
人族と精霊族が交わるのはそう珍しくないけれど、あいだに子をもうけるのは難しいと言われている。
情を交わすのはもちろんだが、まず伴侶になるには誓約を交わさなくてはいけない。
似ているようで異なる種族。寿命も大きく異なる。
ともに生きるために、命尽きる時まで番うと魂の約束をするのだ。そうすれば寿命を分かち合える。
もちろん違えればそれ相応の代償を払うこととなる。
ゆえにそこまでして精霊族と将来を約束する者は少ない。
それでもロディアスは精霊族の誓約をアウローラと交わした。
生涯をともにする覚悟で――
(真実がわかってすっきりどころか。俺は最悪な気分だ)
ティーカップを両手で包み、ロディアスはいつの間にか俯いていた。
アウローラとの誓約が断ち切れたのは、戦の真っ只中だった。
気づいても彼女の元へ向かえない海の上だったのだ。
そのため一瞬気がそれて、片目の光を失う羽目になった。
「父上は、まだ母を愛しているのですか?」
「…………」
「あの人はあなたにふさわしくない。弱い女性だ」
ロディアスが沈黙しているあいだに、傍へ来ていたリュミザが、ゆっくりと床に膝をついた。
気配で気づいたものの、ロディアスは反応できずに黙ったままでいた。
しばらくすると白く綺麗な――だけれど男性らしい――手が、ロディアスの両手を包んだ。
「僕がここへ来たのを迷惑と思っていますか?」
「思っていても、はい、そうです……なんて言えないだろう」
「ふふっ、いま言っているじゃないですか」
ぶっきらぼうに言い放ったロディアスの言葉に、リュミザは目を細めて笑う。
その笑みはやはり、似ているようで似ていない別人だと思えた。
「はあ、王子殿下はいつまでここに?」
「リュミザと呼んでください。リュミィでもいいですよ」
「あなたが私を父と呼ばないのなら」
「ずるいですね。ではロディー、僕の名前をしっかり呼んでください。僕はあなたが王都へ行くまでご一緒します。それと似合わない敬語はよしてください」
「まったく、失礼な王子さまだな。リュミザ、食べ物の好き嫌いは?」
「そうですね、キノコ以外は」
「……晩餐前にそう伝えよう」
彼女に似ているようで似ていない。
自分に似ていないようで似ている。
そんなちぐはぐな感覚がくすぐったく思え、ロディアスはティーカップをテーブルに戻すと、そそくさと立ち上がった。
ぱっと手を離されたリュミザは、わずかに頬を膨らませたけれど、黙ってロディアスの後ろをついてくる。
足音は聞こえないのに、浮き立ったような軽やかさだとわかり、ロディアスは無意識に口元を緩めた。
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