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愛をなくした大公は精霊の子に溺愛される

第35話 旅立ちの船

 温かな春の日差しが降り注ぐハンスレットの大海。
 港には大きな旅客船が停泊しており、乗り込む者や荷を積む者が行き交っている。
 そこへ大公家の家紋をつけた馬車が数台やって来た。

 さほど荷物はなく、馬車に積まれているのは大型のトランクが二つだけ。
 人々は領主の馬車に振り返ったり、会釈をしたりして通りすぎていく。今日、ロディアスとリュミザが旅立つのを知っているからだ。

「父上、兄さま、着いたら手紙をくださいね」

「もちろんだ」

「着いたらすぐ書くよ」

 馬車の中で名残惜しそうにしているヘイリーを、ロディアスとリュミザは抱きしめる。
 つい先日、ヘイリーは学園を卒業したばかりなので、もう少しゆっくりと家族団らんを過ごしたかったのだが。

 聖王国から催促が来てしまっては仕方がない。
 精霊へと昇華したリュミザは前例のないことゆえ、魔力などの測定を改めて行うらしい。
 リュミザはレイオンテールの魔法省をとりまとめていたので、危険性があると判断されたわけではなく、奇跡を早く確認したいからだろう。

 ゆえに今回は聖王国の用事が済んだら、ロディアスたちはハンスレットへ戻ってくる。
 ヘイリーもこれから本腰を入れて領地経営を習う状況。まだロディアスが領地を長く離れるなどできない。
 とはいえどんな場面でも別れは寂しいものである。

「今度は三人で旅行へ行こう」

「本当ですか? 楽しみにしています!」

 しゅんと萎れていたヘイリーはロディアスの言葉に瞳を輝かせる。
 昨年までのロディアスは領地にこもりきりで、どこへも連れて行ってやれずにいた。
 ヘイリーが成人になり、結婚をして落ち着くまでは、いままでしてこられなかった分だけ甘やかそうとロディアスは決めている。

「ヘイリー、俺の留守中、モフリの世話は気をつけるんだぞ」

「もちろんです。屋敷の中以外で姿が戻らないよう、しっかり言い含めます」

 ヘイリーの隣でうたた寝をしている新顔――茶色と白――の子犬は、自身の名前を呼ばれたと気づいて、垂れ耳をわずかに動かす。

「モフリ、私と一緒に留守番を頑張ろう」

 くわぁっとあくびをした子犬のモフリは、優しく頭を撫でるヘイリーの膝へすり寄った。

「番犬になれるよう、ヘイリーと一緒に勉強が必要そうですね」

「のんびり屋だが物覚えは悪くない。大丈夫だろう」

 リュミザに揶揄されても何食わぬ顔の子犬は、長い毛並みでもないのに名前がモフリ。
 由来は彼の実際の姿から来ているのだ。このどこをどう見ても普通の、白い靴下を穿いた茶色い子犬は精霊鳥の雛。

 いまは姿を変えてハンスレット家の番犬として過ごしている。
 なぜ精霊鳥の雛がいるのか。それは船での一件で、ロディアスに懐いてしまったらしく、ホゥイ山から再び飛び出してきたからだ。

 何度戻しても戻ってこようとするため、成鳥になるまで――約二十年――のあいだ、預かることとなった。
 ヘイリーにもとても懐いているおかげで、リュミザと旅に出ている時間も寂しくないだろうと、ロディアスは少し安心材料ができた。

「よし、では行こうか。リュミザ、髪色を変えておけ」

「はーい。なんだかんだでこの色とは縁が切れませんね」

 胸元まで伸びた白銀色の髪を、リュミザは魔法道具で元の金色へ戻す。

「白銀色は綺麗だが、悪目立ちしてしまうからな」

「どんな遠くからでも見つけてもらえる自信がありますね」

 様々な種族が暮らしている大陸でも、リュミザほど見事な白銀色はお目にかかれない。
 金色の髪は他国では珍しくないため、元へ戻すようにした、と言うわけだ。

「どちらの兄さまも、私は好きですよ」

「僕も可愛いヘイリーが好きだよ」

「相変わらず仲がいいな、お前たちは。ほら、降りるぞ」

 外ではすでに準備が整っている。聖王国に長居をするつもりはないので、荷物は最小限。
 万一滞在が延びても、王宮に招待されているので不便はないだろうと打算も込みだ。

「ロディアスさま、手紙をお預かりいたしました」

「ん、ああ、船で読ませてもらおう」

 別の馬車に乗っていた家令・シュバルゴに渡された手紙は、追いかけてきた者が届けてくれたようだ。
 封蝋が特別な印だったので、差出人はすぐわかった。

 ルディルの代で傾きかけていた財政や政策に奔走している新しき王――ペリオーニ・レイオンテールからだ。
 時折こうして手紙を送ってくる。ロディアスにとって、いまではよい友人と言える存在になっていた。

「閣下! そろそろ出港です」

 しばらく桟橋でヘイリーたちと会話をしていたら、船から声がかかる。周囲を見れば旅客はロディアスたち以外、すでに乗船済みのようだ。

「ヘイリー、シュバルゴ、留守を頼んだ」

「父上、兄さま、いってらっしゃい!」

「無事の帰還をお待ちしております」

「リュミザ、行くぞ」

「はい。では、行ってきますね!」

 リュミザが振り返り、御者や護衛たちに手を振ると皆、丁寧に頭を下げた。
 その姿を見届け、ロディアスたちは船へと乗り込んでいく。

「叔父上からの手紙、なんでしょうかね」

「ライックの件だな。正式な手順で執務官の資格を得られたようだ」

「そうなんですね。わざわざ試験を受けなくとも、彼は優秀だから。受ける時間がもったいないって言ったんですけど」

「やはり血の繋がりがあると公表したからには、確固たる証明がほしかったのだろう」

「彼は、叔父上を崇拝してますからね」

 裏切ったと推測されていたライックはリュミザの計画に乗り、一次的に姿を消していたらしい。
 敵を騙すには味方から、とも言うけれど、まんまと騙されたロディアスたちは、悔しいやらほっとするやら複雑な気分だった。

 確かにあの時、ロディアス側が安心しては、処刑の執行が中止されてしまったかもしれない。
 緊迫した雰囲気だったからこそ、ルディルを騙し通せた。

「結果がよければすべてよいと、思っていいのだろう」

「僕も無事ですし、王位は交代できましたしね」

「あんたが帰ってくるのが遅かったら、俺はどうなっていたかわからないぞ」

「ロディーの体が回復してなによりです」

 リュミザは精霊鳥に器を捨てれば、ロディアスが救えると言われ、迷いもしなかったそうだ。
 きっとロディアスであっても同じ真似をしただろうが、心臓に悪い出来事だった。

 とはいえリュミザも、短剣で一刺ししたロディアスを目にしている。お互い様と言えるだろう。

「これでこの先は安心できそうだな。民たちも王位交代で胸をなで下ろしている様子がわかる」

「まだまだやる仕事は多いですけどね。でも、あとは叔父上たちに任せて、僕たちはのんびり過ごしましょう」

 港の桟橋で手を振るヘイリーたちへ手を振り返し、リュミザは明るい笑みを浮かべている。
 ロディアスとしては、隣でこうして彼が笑っている。ただそれだけのことが幸せだった。

「ロディー」

「なんだ?」

「もう海は怖くないですか?」

「――ああ、そうだな。あんたがいれば怖いものはない」

 大切な者をいつも海で失っていた。だけれどこうして笑いながら海風を感じられている。
 リュミザが隣にいれば、すべてがよきほうへと進んでいく気持ちになれた。

 もう船の上で怯えることもない。

「それなら安心ですね。僕はもうロディーの傍を離れるつもり、これっぽっちもありませんから」

「頼もしい限りだ」

「ハンスレットへ帰ったら、旅行の計画を立てましょうね。ヘイリーとどこへ行きましょうか」

「そうだな、あの子は古めかしいものが好きだ」

「じゃあ、遺跡観光もよさそうですね」

 ずっと先の話をできる、なにげない瞬間、当たり前ではなかったからこそ心が躍る。
 あとどのくらい生きられるかわからなかった過去が、随分と昔の出来事に感じた。

「邪魔くさそうだな」

 サラサラとなびくリュミザの髪が、海風にもてあそばれるのを見て、ロディアスはおもむろに彼の髪を結う。

「ありがとうございます。中途半端な長さだと結うのが面倒くさくて」

「俺が、長いほうがいい、なんて言ったからだな」

「ふふっ、こうしてロディーに触れてもらえる口実になるならそれもいいです」

 ロディアスが丁寧に編み込んで、整えてやると、リュミザはうれしそうにはにかんだ。
 あまりにも幸せそうに笑うので、胸がくすぐったくなる。

「ロディー、見てください。魚が跳ねました」

 船のへりにもたれ、海を眺めているリュミザの横顔を、ロディアスは眩しく思いながら見つめた。
 彼と一緒にいられれば、きっとまばゆい毎日が続くのだろうと。

「あれは食べてもおいしくないぞ」

「えー! そうなんですか?」

「あんたのことだ、食べるほうへ向いていると思った」

「僕に繊細さは求めないでください」

 二人、並んで笑い合い、なにげない会話をして、遠くまで拡がる海を眺める。
 視界に映る海の青さが、なににも変えがたいほど輝いて見えた。この先も、こんな風に二人の長い時間が紡がれていく。
 ロディアスとリュミザの時間はこれから始まるのだ。

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