かすかな振動を感じる馬車内。
ロディアスの向かいには、本当の兄弟のように仲良くお喋りに勤しんでいる、リュミザとヘイリーがいた。
ヘイリーが学園の制服を着ている姿は、当然ながら違和感がない。
だがしかし、リュミザもごく自然に、違和感なく着こなしている。数年前まで学生だったとは言え、驚くべき事実だ。
この二人が制服を着ているのにはわけがあった。
いまから向かう場所が学生御用達の店だからだ。一般の客より学生で溢れているらしく、変に目立たないためである。
(一人よりも二人で行くほうが目立たないとはいえ、ヘイリーを巻き込むのは気が引ける)
複雑な思いでロディアスが腕組みをしていると、様子に気づいたのだろうリュミザの視線が動いた。
目が合うと彼は言葉には出さず、眉間へ指先を持っていき「しわ」と唇だけを動かす。
わざと茶化すような仕草に、ロディアスは眉間のしわをさらに深くさせた。
リュミザはそんなロディアスを見て、くすくすと笑う。するとヘイリーもロディアスを振り向いた。
「父上、どうかされましたか? もしかして私がご一緒するのは迷惑でしたか?」
ロディアスのしかめっ面を見てしまったのか、楽しげな表情を浮かべていたヘイリーが、ふいにしょんぼりと落ち込んだ。
「いや――構わない。俺が一緒に行くより、リュミザが目立たず店を回れるだろうしな」
「そうですよ。ロディーが店に入ったら浮いてしまう。ヘイリーが一緒に来てくれて僕はうれしい」
「そうですか。それならよかった。でも兄さまが雑貨屋の占いに興味を持っているとは思いませんでした」
ロディアスとリュミザで言い募ると、ヘイリーはほっとした表情を浮かべ、今日の目的地について訊ねてくる。
いま向かっているのは王都で最近流行の雑貨屋。
そこに、どんな悩みでも解決してくれる占い師がおり、学生のあいだで話題なのだとか。
「僕は面白いことが好きなんだ。なんにでも興味を持つかな」
(ものは言いようだな)
ヘイリーの疑問に対し、ひどく大雑把な返答をするリュミザにロディアスは小さく息をつく。
当初、雑貨屋へはリュミザが単独で向かう予定であった。
そう、これは国王ルディル――ひいては、国の闇を探る調査の一環なのだ。
現在リュミザとカルドラ公爵は、ルディル失脚の決定的な証拠を集めている最中。
ロディアスの執務室で二人、そんな会話をしていたところ、ヘイリーがたまたまやって来た。
そしてうっかりと、雑貨屋の部分だけを聞かれてしまったのが発端。
人払いをしたからと油断していたロディアスが原因だ。
「兄さまはなにを占ってもらうんですか? やはり恋占い?」
「占い次第で買えるという〝恋の秘薬〟が有名らしいね。興味深いよ」
「秘薬を使うと高い確率で両想いになれるらしいです。……でも、学園で少し問題になっています」
「婚約破棄騒動、か。僕も耳にした」
雑貨屋へ向かう目的は、媚薬まがいの商品を手に入れること。
神妙な面持ちで、ヘイリーの話を聞いているリュミザだが、そういった内容は既知の事実。ロディアスは彼から話を聞いていた。
恋占いをしてもらったあと、勧められる商品がいくつかあり、その一つが〝恋の秘薬〟だ。
相手に飲ませたりする代物ではなく、ハンカチやメッセージカードなどに一滴、落として使う香り付けの香水らしい。
贈りものに〝恋の秘薬〟を使って告白すると、高い確率で両想いになれるのだとか。
婚約者のいる相手も、コロッと気持ちが変わってしまう場合があるようで、学園内で少々問題視されている。
なぜ少々なのか――そこが肝だろう。
婚約とはいわゆる家門同士の契約。
本来、貴族を束ねる国としては、たかが雑貨屋と見過ごせないはず。だと言うのに野放しなのだ。
いまも噂の影響を受けることなく、雑貨屋は営業している。
おそらく元締めが、レイオンテールに関わりがあるのだろうとカルドラ公爵は推測しており、今回リュミザに調査が命じられた。
「兄さまは赤色の髪も海色の瞳もよくお似合いですね」
「ふふっ、そうかい? ロディーとお揃いにしてみたよ」
馬車が止まると、リュミザは手首につけていた、石の連なった腕輪に魔力を通した。
すると見る間に、髪が金色から鮮やかな赤へと変化していく。
腕輪は魔法道具の一つで、髪や瞳の色を変えられる。
赤色の髪に海色の瞳。リュミザは素がいいため、綺麗ではある。
ただ、いつものリュミザを見慣れているせいか、ロディアスとしては微妙に感じた。
「それじゃあ、僕たちは雑貨屋に行ってきますね。ロディーは向かいのティーラウンジで待っていてください」
「……気をつけて、行ってこい」
本当にリュミザはお忍びで遊びに行くような軽さ。
おかげでヘイリーが訝しむ心配もない。だが心配するなというほうが無理な話だ。
「行ってきます!」
表情に出ていたのか、ロディアスの顔を見たリュミザは、不安を払拭する笑顔で馬車を降りていった。
「父上、行って参ります」
あとに続いてヘイリーも降りていき、ロディアスは彼らの後ろ姿を馬車の窓から見つめた。
二人が入っていった雑貨屋は、思ったよりもこぢんまりとしている。
小さな間口だけれど、路面へ向けて設えられた大きな窓があった。
中は外から見て取れるので、怪しさは感じられない。向かい側にティーラウンジがあるのも、まるで示し合わせたようだ。
大人たちはそこでゆっくり子どもたちを待てる。
店内の様子が見えて、ある程度の安心感を得られるのだ。
「気を揉んでも仕方ないな。……向かいの店につけてくれ」
「かしこまりました」
御者に杖でノックして伝えると、馬車は少し先のティーラウンジ前で再び止まる。
降りる前に、ロディアスも手首の腕輪に魔力を通した。
これでいつもの色からあまり目立たない、茶色に変化しているはずだ。目元の傷も誤魔化せるため、こちらのほうが高価な代物。
しかしカルドラ公爵からの支援で、ロディアスの懐は痛んでいない。
(リュミザはこういったことに慣れているのだろうな)
先ほどの堂々とした姿からも想像ができる。
そもそも王子さまが諜報の真似事をしているなど、誰も思わないだろう。
(親代わりのようなもの、なのかと思っていたが違うのだろうか)
カルドラ公爵の人となりを、ロディアスはあまり知らない。
今回の件があり、それとなく周囲に聞いてみたけれど――皆、口を揃えて聡明な御仁だとしか言わない。
要するにほかの者たちも、ペリオーニ・カルドラという人物に詳しくないのだ。
「いらっしゃいませ」
「窓際の席は空いているだろうか」
「こちらへどうぞ」
ティーラウンジに入ると、すぐロディアスは席の指定をした。店の者は心得ているのだろう。なにも問うことなく、ロディアスを窓際の席へ案内してくれた。
席について果実のお茶と菓子を頼むと、ロディアスの視線が自然と窓の外へ向く。
窓際の端の席だが、雑貨屋がよく見える。手元で新聞を拡げながら、不審に思われない程度、視線を周囲へ巡らした。
(ここからだと裏口も見えるな)
雑貨屋の横に馬車が一台、通れるほどの横道があった。
ひっそりとした雰囲気のそこは、なにげなく道を通る者は気にもしないだろう場所。
道を歩くのはこの付近で暮らす平民がほとんどだ。
いちいち横道を覗く真似をしない。馬車に乗っている貴族は物見遊山で外を眺めるなどほぼしない。
だからこそ裏道から誰が出入りしているかなど、気にかけないのだ。
ロディアスでさえ、じろじろ眺めるのも気が引け、視線を店内へ移したくらいである。
しかしいつまでもよそ見をしていられない状況になった。
最初、奥から質素な馬車がゆっくりと走ってきたため、ロディアスはわずかに視線を新聞へ落とした。
――が、すぐに視線を上げる羽目になる。
馬車から降りて来たのは女性とおぼしきシルエット。
深くフードを被りはっきりと見えないけれど、ちらりと見えたその横顔は見間違えようがない。
リュミザによく似た者など、そう何人もいるはずがないのだ。
フードからこぼれた髪色は深緑ではないとはいえ、たぐいまれな美貌は隠せない。
(アウローラ?)
王妃である彼女がここへ来る理由とは――少女のように恋占い?
ルディルとの仲が思わしくないと聞くものの、さすがに考えにくい話だ。
だとしたらなぜ彼女がここへ赴いたのか。
姿が見えなくなるまで外を見つめ、ロディアスは馬車が道を通りすぎていくのを目で追った。
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