余韻が残るような倦怠感。
いまは息を整えるのも苦労をする。
だと言うのに一滴残らず啜り舐められ、ロディアスはピクンと体を震わせた。
「ロディーの艶っぽい表情だけでも心が潤います」
「……リュミザ、あんたは」
文句を言おうにも脱力感がひどく、その先を続けるのも面倒になってくる。
元凶の男は律儀に口をゆすぎ、しかめっ面をするロディアスの頬へ口づけを落とした。
「しばらく動きたくない」
「まだ時間があるので大丈夫ですよ。それよりロディー、僕は気づいたのですが」
「なんだ?」
「濃い体液って魔力を含むのですね」
ぺろりと舌なめずりしたリュミザは、手についた汚れまで綺麗に舐める。
その仕草がやけに色気を醸し出し、ロディアスは止める言葉が見当たらなくなった。
「僕のモノを注いだら、ロディーは少し元気になるかもしれませんね?」
「いまはやめろ」
ぼーっとしている間に、またベッドへ乗り上がってきたリュミザに見下ろされる。
とっさにロディアスが手を突き出すと、彼はくすりと笑った。
「さすがに僕もそんなことできません。今日の任務なんか忘れちゃいそうです」
「はあ、あんたが暴走しない冷静な男で助かったよ」
「もちろんです。あなたを愛してますからね」
「ありがたい話だ。……水が飲みたい」
会話をしているうちにいくぶん体が楽になる。
水差しを指させば、リュミザはロディアスの体を優しく起こした。そして自身で水を含み、ロディアスへ口移しをする。
(体液ってことは唾液でも効果があるんだろうな)
何度も水を与えられ、十分に満足すると、ロディアスはリュミザの口の中を貪る。
すると意図に気づいたらしい彼は、舌を絡め、唾液を含ませてきた。
「……そういえば、船に乗るとき、なにか受け取っていたな」
「ええ、開催の合図を知らせる魔法道具ですね」
散々熱い口づけを交わし合ったあと、平常どおりな問いかけをするロディアスに、リュミザは苦笑しながらも答えてくれた。
「おそらく時間になると光が点滅する仕組みでしょう」
リュミザが懐から取り出して見せたのは、親指大ほどの小さな装飾品。
カフスボタンとしてつけられるようになっており、台座に赤い石がはめ込まれている。
あとで回収するのだろうが、船内一帯に効力を発揮するのなら相当貴重なものだ。
「急く必要はないですよ。僕たちの目的は精霊鳥です」
「しかし捕らわれている者たちもいるのだろう?」
「心配せずとも、他国へ売り飛ばされる前にほかの者たちがなんとかします」
「そうだな。船から逃げ出すのは難しい」
いまこうしているあいだも、恐ろしい思いをしているのではと心配になるけれど、ここは海の上。
たとえ檻から抜け出しても岸へたどり着くのも困難だ。
だからこそ〝海〟なのだろう。
どんな屈強な男でも海に放り出されれば、生死は運に委ねられる。
捕らえられているのがか弱い女性なら、ひとたまりもない。
「精霊鳥の雛はどの程度の大きさなのだろうな」
「おそらくですが一抱えくらいだと思います」
「意外と小さいな」
成鳥は身の丈を超えるほど大きいと文献にも書いてあった。
雛がそこまで小さいのは驚きである。
「ほかの競売が進んでいるあいだに裏へ忍び込むのか?」
「そうです。精霊鳥はメインイベントでしょうから」
「甲板まで出られるかどうかが重要だな」
「時間との勝負になりそうですね」
いくら船内の構造や人員配置が頭に入っていても、流れていく時間の中でいかようにも変化する。
こうした潜入は的確な動きと速さが求められるのだ。
「始まるみたいですね」
二人でこれからの行動について話し合っていると、いままで単なるカフスボタンであった物が、チカチカと瞬いた。
近距離でなければ気づかないほどの瞬きなのがまた、よく考えられている。
「準備をしよう」
「もう、大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ。あんたのおかげでだいぶ楽になった。助かった」
リュミザの問いかけには二つの言葉が含まれている。
無体な真似をされた体と、海の上を恐れていた気持ち。
気恥ずかしくて素直に礼は言えないけれど、いつの間にかすっきりとしていることに、ロディアスは気づいた。
「ちょっとばかりしわになったな。まあ、いいか。これから汚れもするだろうしな」
乱れたシャツを直してタイを結んだら、首筋にいくつもあった、独占欲の証しが見えなくなる。
わずかに寂しい感情が湧いたものの、気づかなかったふりをし、ロディアスはきっちりと衣装を整えた。
「ライックが競売場へ入ったようです」
「位置がわかるのか?」
「ええ、先ほどの物と似た仕組みです。共鳴石――対となる石同士が互いを呼び合うのです」
「世の中には知らないものが多いな」
「こういった、魔法道具は最上級品ですからね」
「なるほど、一般には出回ってないんだな。さて、そろそろ動くか」
立ち上がり、ロディアスはぐっと伸び上がって体をほぐす。
リュミザの言うとおり、体液は魔力が含まれるのかもしれない。先ほどまでよりも明らかに体が軽い。
(唾液だけでこれほど効果があるのか)
調子のよいときならばあまり感じないだろうが、最近体調を崩したロディアスにはよく効いたようだ。
「ロディー、これを持っていてください」
「これもまた驚きの品だな」
「使う機会がないといいのですが、万が一もあります」
身繕いを整えたリュミザに渡されたのは、手のひらほどの長さがある短剣。
一見するとなんの変哲もない刃物だけれど、魔力を込めれば長剣になる。こういった物は魔力消費が激しいが、いざというときに役立つだろう。
ロディアスは鞘に収まった短剣を、上着の内側へ忍ばせた。
「精霊鳥を逃がしたあとは船を下りるのだったな」
「ええ、船尾に付属の小型ボートがあります」
「では互いの健闘を祈ろう」
二人で拳を突き合わせ、頷き合うと仮面をつける。
ここからは細心の注意が必要だ。参加者として数えられているため、まず競売場に一度、入らなくてはいけない。
そこから喧騒に紛れ、舞台裏へ忍び込む。
「行きましょう」
「ああ」
準備が整い、ロディアスたちは部屋の外へ出た。
本来の予定であれば、決められた集合場所で案内人に、競売が開かれるホールへ誘導される。
――のだが、なにやら上が騒がしい。
リュミザと顔を見合わせたロディアスは、近くを通りかかった警備の者を捕まえた。
「おい、上が随分と騒がしいが、なにがあった?」
「おっ、お客さまは部屋でお待ちください」
「俺はなにがあったか聞いているのだが」
「……大きな鳥が船の上を旋回しているのです」
「大きな、鳥?」
思わずリュミザと二人、声を揃えてしまった。
それを戸惑いと捉えたのか、警備の男は「部屋は安全です」と戻るよう促し、足早に去って行く。
「精霊鳥の親が来てしまったんじゃないか?」
「おそらくそうでしょう。……ロディー、雛を頼めますか」
「いいが、あんたは?」
「僕は精霊鳥をなだめてみます」
「わかった。なるべく早くそちらへ行く。無理は、するなよ」
「ロディーも困難と感じたら逃げてください」
視線を合わせて頷き合うとロディアスは地下へ、リュミザは地上へと急いだ。
(この様子なら競売場を通らなくてもいけるか)
入り口である隠し扉の付近では、警備と客で揉めごとが起きている。競売自体は現在、中止となっているのだろう。
探知の役目を果たす、カフスボタンはリュミザが持っているので、警備と鉢合わせしなければ気づかれる可能性は低い。
(敵の船に潜入したときのような気分だな)
息を殺し、足音を消す。
警備の者に遭遇すれば、遠慮なく意識を奪わせてもらった。
思ったよりも動ける自身に、驚くのと同時に、ロディアスはリュミザのことばかり思い浮かんだ。
(精霊鳥は言葉が通じるんだろうか。大丈夫だろうか。……気になるが、いまは任務遂行が先だな)
頭に入れておいた地図を頼りに、ロディアスはどんどんと奥へ進んでいく。
たどり着いたのは頑丈な扉の前。
扉につけられている鍵は見るからに堅牢な作りで、一瞬どうすべきか悩んだが、手っ取り早いのは身体強化だ。
これは軍人が最初に覚えさせられる初歩魔法。
うっかり力を込めすぎ、扉に穴が空いたけれど、ちょうどいいと内側に手を差し込む。
そして鍵を難なく解錠し、ロディアスは暗い室内へ足を踏み入れた。
(人の気配がないな。いくら甲板で騒ぎがあったとは言え、手薄なのはおかしい)
硬い床の上で足音を立てぬようゆっくりと進む。
するとまた扉があったけれど、こちらは先ほどのような頑丈な作りではない。鍵も掛かっていないようで、注意を払い侵入した。
室内にすすり泣く声が響いている。
暗闇に目が慣れてくると、そこかしこに大きな檻が置かれていた。内側からは人の気配や動物のような鳴き声がする。
(通りすぎるのは忍びないが、いまはその時じゃない)
彼らに悟られぬよう、ロディアスは気配を消して進んだ。そしていくつかの扉を抜け、地下の最奥にたどり着く。
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