薄暗い部屋の奥から小さな鳥の鳴き声が聞こえる。
ぴぃぴぃとか細い声を上げているのは、親鳥が迎えに来たと気づいているからだろうか。
(ここまで誰もいない? なぜだ?)
いくら騒動が起きているとは言え、重要な倉庫が手薄になるなど、本来ありえない話だ。
となればこの部屋のどこかに潜んでいる可能性が高い。
ロディアスが雛のいる檻に手をかけるのを待っているのか。
(ならば仕方ない。俺が動くか。向こうは何人いるかわからないしな。強行突破だ)
ロディアスはまっすぐに檻のほうへ駆け寄る。
つり下がった箱からガタガタ、バサバサと音が聞こえるけれど、中身がまったく見えなかった。
精霊鳥なのか、偽物か判断がつかない。
しかし箱を囲む、檻の鍵が魔法道具でできていると気づき、ロディアスは迷わず開ける決断をした。
懐から取り出したのはハンスレットの書庫の鍵。
リュミザが言うには、鍵穴が魔法道具であれば反応する代物だから、試す価値は大いにあるらしい。
賭けではあるが鍵穴にゆっくり近づけると、鍵はいままで見た覚えのない形へと変化した。
ロディアスがすかさず差し込み、回せば――カチャンと掛けがねが、鍵先で跳ねる音がした。
(よし!)
急いで檻の扉を開くとピタッと鳴きやんだ。
そっと箱の中を覗いてみればぺちぺちと頬に羽が当たる。
「一丁前に威嚇か? 可愛いことこの上ないな。さあ、出てこい。親のところへ連れて行ってやる」
箱の隅で小さくなっている鳥へ、手を差し伸ばせばくちばしでつつかれた。
だがあまりにも威力がなく、かなり弱っているのではと推測できる。
仕方ないと傷を覚悟で手を檻の奥へ伸ばすと――
「そこまでです。これ以上は窃盗ですよ」
「――はっ、よく言う。拐かしておいて窃盗とは恐れ入るな」
すっと首筋に当てられた剣先。気配を感じていたが、ロディアスはあえて反応をしなかった。
相手は一人だった。いまは雛の救出が先だ。
ゆっくりと振り返り、檻の入り口を背で庇う。
目の前に立っていたのは遊戯場でも見た男。仮面をしているけれどわかる。ロディアスと気づいた――王国軍副隊長だ。
「あんたほど正義感の強いやつはいなかったのに、厄介な上司を持つと仕事も選べないようだな」
彼の直轄の上司はルディルの副官。
ここに彼がいるという状況は、国の関係をつまびらかにしているようなものだ。
「それともこうして俺と対峙することで、良心の呵責を訴えているのか?」
「私には私の道理があります」
「大事な人を人質に取られているんじゃないのか? あんたの上司は主人に似て性格が悪いからな。やりそうな手立てだ」
「引いていただけますか」
「それは、無理な相談だ」
穏便に済ませられるのならそうしたい。
本当に良心の呵責に苦しんでいるのなら助けたい。
だがいまはそれよりも早く、ロディアスは自身の半身の元へ戻りたいのだ。
敵将がここにいる。
ロディアス、もしくはリュミザを待っていたのだ。否、最初からロディアスが来ると踏んでいたのかもしれない。
ちょうどよく花火の時間に親鳥が来たのも気にかかる。
忍ばせていた短剣を抜き、ロディアスは魔力を込めた。
形を変え長剣になった途端、手のひらから魔力を吸い取られる感触に、もっても半刻とわかる。
現役軍人に引けを取らないといいたいところだが、最近のロディアスでは大きな顔ができそうにない。
「一度、閣下とはお手合わせ願いたかった」
「がっかりとさせてしまうかもしれないぞ」
一歩踏み出せば、向こうも剣を抜いてロディアスの刃を受け止める。
体格もよく、若さもあり、柔軟な体躯。
自身も昔は、と懐かしむまもなく、繰り出される剣はずしりと重たい。
(受け払うのが精一杯だな)
立て続けに力で打たれ、衝撃が腕を伝う。
これは下手をすると半刻ももたない。だが負けるわけにもいかないのだ。
両者互角の打ち合いが続き、このままでは長期戦。
ロディアスは相手が踏み出したところで、とっさに身を屈め、懐に入ると剣を逆手に持ち、みぞおちを突く。
怯んだ瞬間を見計らい、足を払えば、ぐらりと一瞬大きな体が傾いだ。
さらに動きを封じるため、彼の剣を払い落とす。
一連の動作には一分の隙もなかった。
今度はロディアスが首筋へ剣を当てる。
「さすが閣下、速さがまったく衰えていませんね」
「そう見えているならありがたいな」
「……どこかお悪いのですか?」
「そうだとしたら見逃してくれるのか?」
暗がりなのでそこまではっきりと顔色はわからないだろう。
しかしロディアスは剣を維持する魔力を注いでおり、冷や汗が伝っていた。
(リュミザの魔力を分けてもらっていなかったら危なかった)
「鳥は諦め、このまま喧騒に紛れて身を隠してください」
「それはできない。あんたもいま親鳥が来ているのを知っているだろう。精霊鳥なんて存在、夢幻と侮っているなら後悔するぞ」
「閣下! これは罠です! 王子殿下を捕らえるための」
「――っ! ならばなおさらだ! あんたはここを動くな。首をかっ斬られたくなければな」
リュミザが標的――そうわかった瞬間、ロディアスは全身が粟立った。
誰が今回の計画を漏らしたのか。
いま考えることではなくとも、頭の中で焦りが湧いてくる。
「狙いは殿下お一人です! あなたが身を挺す理由はなんですか? 噂のとおり――」
「あれは俺の半身だ。半身をもがれて生きていけるやつはいない」
言葉を遮り、ロディアスは檻に向き直る。
すると緊迫した空気を察していたのか、大人しくしていた雛が顔を出した。
「よし、いい子だ。俺と来るな?」
『ぴぃっ』
リュミザが一抱えといっていたのは正しかった。
もっふりとした雛は羽を小さくはためかせて、ロディアスに飛びついてくる。
こんな状況でなかったら愛らしい姿に心和んだだろう。
まん丸とした体。綺麗な海色の瞳に乳白色の羽毛。
抱えるともふりと毛の柔らかさが伝わる。
「なにも言わずに通してくれ」
振り返った先に立ちはだかる壁。
また一戦交えるかと剣へ手を伸ばすけれど、彼は諦めたように息をついた。
「船の後方に脱出用のボートがあります。逃げる際は使ってください」
腰元を探った彼はロディアスに向けてなにかを投げる。
とっさに受け取ったそれは小さな鍵だった。
「ボートを切り離すときに必要な鍵です」
「恩に着るよ」
「無茶はしませんように」
「――時と場合に寄るな」
精霊鳥に上着を被せてから、ロディアスは短剣を腰に差し、脇目も振らず来た道を戻る。
(なぜだ、なぜリュミザが――誰だ、誰が裏切った)
地下から上階へ移動すると大きなざわめきが溢れている。
暗い夜に浮かぶ月さえかすむ、まばゆい大鳥の姿。その真下に、ロディアスの探す人物が立っていた。
風に髪をなびかせ立っている姿にほっとするけれど、キラリと反射するやじりに気づいた。
「リー! そこを離れろ!」
ロディアスは考えるよりも前に短剣を手に取り、放たれた矢をめがけ鞭を振るうようにする。
すると意のままに姿を変え、矢をはじく。カツンと音が響き、リュミザも自身が狙われていると気づいただろう。
一瞬、ロディアスを振り返った。
だが再び精霊鳥に向き直り、なにかを話している。
雛は親鳥の存在を感じ、腕の中でジタバタとするが、ここで離して矢で射られては大惨事だ。
落ち着かせるためにぽんぽんとあやしてやると、小さく鳴いてロディアスにすりついてくる。
しかしロディアスも正直言えば、気が気ではない。
矢はまたいつ飛んでくるかわからないのだ。それでもここで飛び出すわけにもいかない。
「ミスター!」
一向に事態が変わらず気を揉んでいると、ふいに肩を掴まれ、ロディアスは警戒をして振り向く。
そこに立っているのは仮面のライックだ。けれど相手が誰かわかっても疑心暗鬼な気持ちを隠せない。
じっと仮面の奥に赤い瞳を見つめれば、ライックは戸惑いの表情を浮かべる。
「あんたはあの人を裏切るか?」
「なにを言っているのですか?」
「……心当たりがないならいい。それより、リュミザはなにをしているんだ?」
「詳しくはわかりません。ですがもしもの際はあなたを連れて行くように言われています」
「なぜだ! 狙われているのは彼だ」
思わず声を上げてしまい、周囲の人々が振り向く。
注目がロディアスへ集まると、素性が悟られる可能性を危惧したのだろう、ライックに腕をとられた。
「待ってくれ、まだ――」
人垣から離れようとするライックへ、ロディアスが言い募る前に、突然そこかしこから悲鳴が上がる。
「――しまった」
リュミザの危険を察し、とっさに振り返ったロディアスは、無意識に雛を抱いた手を緩めていた。
解放された雛はパタパタと羽を広げ、親鳥の傍へ向かおうとする。
だがその先には多数、帯剣した者たちがいた。突如現れた者たちが、剣を携えリュミザを取り囲んだので、周囲が混乱となったのだ。
『ぴぃぴぃ』
雛のか細く小さな声。だけれど親鳥には届いたらしい。
上空を旋回していた精霊鳥が大きく羽ばたき、下降する。人垣の向こうにリュミザだけが取り残された。
「リー! 離せ、ライック。あのままでは」
無闇に飛び出そうとしたロディアスは、羽交い締めにされる。体力の消耗が激しいいま、健常であるライックの腕力には敵わない。
それでもあがきたくなる。
人が多い甲板で魔法を使えば、周りを巻き込み、船の上から無関係の者が投げ出される可能性もある。
思案しているのかリュミザは動かない。
そうこうしているうちにまた矢が無数、飛んできた。
「ミスター、落ち着いてください」
「これが落ち着ける状況か!」
「彼から最初に言われています。もしも自分が窮地の状況でも、あなたは安全な場所へ移すようにと」
「できるわけが――」
二人で言い争っているあいだに事態が進んでいた。
矢を受けたのだろうリュミザが膝をつき、一斉に取り囲む男たちが捕らえにかかる。
人垣の隙間から見えるのは頭を押さえつけられ、髪を鷲掴みされたリュミザの姿だ。
思わずロディアスが叫びそうになれば、口を押さえられた。
瞬間、優しく笑んだ若葉色の瞳と目が合う。
リュミザの唇が〝大丈夫〟と紡ぎ、彼は隠し持っていた短刀で掴まれた髪を切り落とした。
風になびき金糸が舞う。
無意識のうちにロディアスは涙をこぼしていた。
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