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愛をなくした大公は精霊の子に溺愛される

第31話 課せられる試練

 バルコニーで見つけた封筒はありふれた白地。封蝋がしてあるものの、家門はわからない。
 いつものロディアスならば、その場で開けるなどしないが、なぜだかこの時ばかりは封を開けてしまった。

 注意深く中を確認してみれば、便せんが一枚入っている。
 そこに書かれていたのは――

『今夜あなたの元へ帰ります』

 という一文。見覚えのない筆跡だけれど、心当たりは一人しかいない。
 ロディアスは改めて周囲を見回してみた。バルコニーの周りは伝う木も、枝もなく、もちろん人影も見当たらない。

「誰が置いて行ったんだ? あの気配は鳥やなにかではなかったが」

 リュミザ側に誰か手助けをする者がいるとしたら、頭に浮かぶのは一人だけ――裏切ったと思われる男。
 裏切りの行為自体がリュミザの演出であったら。
 そう考えるのは、たとえ短いあいだだとしても気を許した、ライックに残る期待なのか。

「ロディアスさま! なにをされているんですか?」

「ああ、ウィレバか。リュミザから手紙が届いた」

「ええっ? リュミザさまからですか?」

 様子を見に来たらしいウィレバが室内から顔を出した。
 ロディアスが手紙を開いて見せると、彼はひどく驚いた顔をして紙面を凝視する。

「届けた者は本人ではなかったようだが」

「今夜、ですか。……今宵は満月ですね」

「海が満ちるのか。海を見に行きたい」

「外へ出かけられるのなら、体調を整えてください。父からまたお茶が届きました。お飲みになりますか?」

「そうしよう。シュバルゴの茶を飲んだら少し眠る」

「それがよいかと。また体が冷えていますよ」

 傍に来たウィレバが、ガウンをロディアスの肩にかけてくれる。神経が尖り気づかなかったが、雨上がりの空気はひんやりと冷たかった。
 空はいまだ雲に覆われており、日差しがないから余計だろう。

「ヘイリーは大丈夫か?」

「……いまは一人になりたいと、自室に戻られました」

「本当の兄弟のようだったからな。手紙のとおり、戻るといいのだが」

 ベッドへ戻り、ウィレバがお茶を淹れる様子を、ロディアスはぼんやりと眺める。
 リュミザと二人でのお茶会は彼が淹れてくれた。おまじないだと癒やしの魔法を加えてくれていたのも知っている。

「そういえば、王宮のほうはどうなっている?」

「まだ詳しい話は入ってきておりませんが、リュミザさまを精霊鳥が迎えに来たこと、血を流されなかったこと。そしてこの雲行きで、国民から国王陛下へ対し非難の声が上がっているとか」

「なるほど。精霊族はわりと身近だが、精霊鳥は幻の鳥だからな。姿を見せたからこそ神聖さが強調される。まもなく聖王国からも抗議が来るかもしれない」

(リュミザはレイオンテール国の魔法省統括だ。聖王国の代理人でもある)

 本人が処刑の決行を望んだため、今日まで聖王国は口出しをしてきていない。
 そもそも彼らも、どんな出来事が起こるのか、想像できなかっただろう。なにせ歴史の中で器を捨て、精霊へと昇華した者はいない。

「もしかしたらリュミザは聖王国へ赴かなくてはならない、か」

「精霊となって戻られたら、リュミザさまは奇跡の人となられるでしょう」

「ああ、そのとおりだ」

(傍にいられなくなるのだろうか)

 ウィレバの言葉に頷き、ロディアスは彼から手渡されたカップを口に運ぶ。
 甘みのある温かいお茶が冷えた体に染み渡っていく。

「ロディアスさま。ヘイリーさまは、私どもでお支えいたします」

「どうした、急に」

「リュミザさまが旅立たれるとしたら、ロディアスさまもご一緒がよろしいでしょう」

「そうは言っても、ヘイリーに寂しい思いをさせてしまう」

「たまに里帰りをしてください」

「……そうだな」

 まだ確証も得ぬ先の話だけれど、ウィレバが言葉にしてくれたのはロディアスの願望だ。
 叶うならこれから先は離れず、ともに歩みたい。

 二十年も放り出してしまった人生。それも巡り会いの時を待っていたのだといまなら思える。
 やり直しの機会が与えられるその瞬間を――リュミザが戻るという今宵を待つしかない。

「ゆっくりとお休みください」

 お茶を飲み干し、カップを戻せば、ぽかぽかとした温かさが体に満ちる。
 熱を出した日はいつもシュバルゴが淹れてくれた茶を飲んだ。そうすると目覚めた頃にはすっきりとするのだ。

 ウトウトと眠りに誘われたロディアスは夢を見る。身の丈より大きな精霊鳥が自身に語りかける夢。

 真正面にいる精霊鳥はロディアスを覗き込むように見下ろす。
 まばゆい七色の羽が神々しさを感じた。

『人族の子よ。そなたは試練に挑む覚悟はあるか?』

 ふいに、頭へ響いてくる威厳を感じさせる声。ロディアスはとっさに顔を上げ、だくと返した。
 まるで舞台で見た一場面のようだが、リュミザを取り戻す試練だと直感したからだ。

『命を賭ける、試練だとしても等しく答えるか?』

「もちろんだ! それで再び彼に会えるのなら、ひとときでもいい」

 手紙が来なければホゥイ山まで迎えに行く覚悟があった。
 むしろリュミザを救えるなら、試練を与えてくれとさえ思っていた。こうして夢に現れてくれたのは僥倖だ。

『そなたはなぜ、そうまでして愛を信じるのだ? 裏切られ、罪を背負い。いまは命を差し出すという』

 問いかけてくる精霊鳥の声音に揺らぎはなく、これは純粋なる彼の疑問なのだろう。
 しかしロディアスにはわからない。どうして愛を信じるのか。そんなことはこれまで一度も、考えてこなかった。

「愛が、ここにあるからだ。俺は一度愛した者を忘れがたい、未練がましい男だ」

 胸元を握り、ロディアスはトントンと叩く。
 心に愛がある。もし面と向かってさよならを告げられたなら、二十年前の愛はもっと早くに未練を断ち切れた。

 だけれどこつぜんと失われたものは、そう簡単に忘れられないのだ。

 リュミザに対しても同じこと。
 彼は待っていてくれと言った。ならばその約束が果たされるまで諦めきれない。

『そなたは愚かだが――愛おしい存在だ』

 ふいにこうべを垂れた精霊鳥が、ロディアスの額をくちばしで優しく小突く。
 ツンツンとしたかすかな感触。もしかしたら頭を撫でたつもりなのかもしれない。

『精霊の子はいま眠りについている。目覚めるにはそなたの力が必要だ』

「俺は、どうしたらいい? できることはなんでもする!」

『その言葉に相違はないな? さすればこの短剣で胸を貫くのだ』

 ロディアスの返事を訊き、精霊鳥は大きく羽ばたいた。
 するとロディアスの前に光が浮かび、徐々に装飾の美しい、短剣へと姿を変える。

 空中に浮かぶ、短剣へロディアスがそっと手を差し伸ばすと、手のひらに落ち、重みを伝えてきた。

『短剣を通じ、そなたの魔力が精霊の子へと分け与えられるだろう』

「これだけでリュミザが救えるというなら、俺は魔力をすべて差し出してもいい」

『愛し子よ。そなたの想いは必ず届くであろう』

 精霊鳥の言葉を聞き、ロディアスは鞘から刀身を抜く。
 そのあとは怯むことすらせずに、両手で握り、深々と剣を胸に突き立てた。

 ぐっと奥まで押し込めば、途端に胸の奥が詰まるような息苦しさを覚える。だけれど痛みはまったくない。
 ただ、リュミザに渡された短剣と同じ性質なのか、ぐんぐん魔力を吸い上げられている感覚があった。

「――――っ」

 魔力の枯渇を訴え、体が痺れてくる。
 ロディアスは膝をつき、それでもなお剣から手を離さなかった。

『そなたは試練に挑み、己に打ち勝った。美しい愛だ』

 身を屈め、ロディアスに優しく頬ずりをした精霊鳥はぽつんと涙をこぼす。
 ロディアスの額に落ちた涙は、伝い落ち、右目を濡らした。

 温かな感触に目を瞬かせると、長らく光を失っていた右目に映る人影。
 駆けてくるその姿を目に留めた瞬間、ロディアスは口元に笑みを浮かべ、ゆるりと両目を閉じた。

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