試練は夢だったのか、現実だったのか。ロディアスは目を覚ました。
視界に映ったのはいつもと変わらぬ天井、だけれど――これまでは片眼しか景色を写さなかったのに、両目に色彩が飛び込んでくる。
「現実、か」
ぽつんと呟いたロディアスの声はひどく嗄れている。
喉の渇きを覚えて視線を動かすと、ベッドにもたれヘイリーが眠っていた。驚いて体を起こそうとするロディアスだが、体が軋むように重く、身じろぎするしかできない。
「父上?」
ロディアスの動きでわずかにベッドがたわみ、その振動で目を覚ましたのだろうヘイリーが、まぶたを擦り、身を起こした。
そしてロディアスが目覚めていることに気づくと、大きく目を見開く。
「父上、よかった! ウィレバ! 父上が目を覚ました」
あまりの驚きように、さすがのロディアスも気づいた。眠っていたのは一晩などではないのだろう。
「ヘイリー、あれから何日だ?」
「十日です。十日も目を覚まさなかったのですよ! 心配をしました」
ぎゅっと手を握ってくるヘイリーの指先が震えている。
「心配をかけてしまったようだな」
「あっ、お水がほしいですよね」
掠れたロディアスの声に気づいたヘイリーは、サイドテーブルからぱっと水差しをとる。渡されたもので喉を潤すと、ロディアスはほっと人心地がつけた。
「十日でなにかあったか? リュミザはどうだった?」
「ふふっ、安心してください。兄さまは帰ってきました。ただ……」
「なにか問題が?」
「会えばわかると思います。いま主治医と兄さまを呼んできますね」
「ああ、頼む」
ロディアスの返事を聞き、すくっと立ち上がったヘイリーは足早に部屋を出て行く。
そんな後ろ姿を見送り、一体リュミザになにがあったのだろうかと、ロディアスは首を傾げた。
「リュミザになにか問題があるのだろうか。あの時はいつもと変わらなかったが」
夢うつつの中で、ロディアスは走り寄ってくるリュミザを見た。しかし一瞬ではあったけれど、特別変わった部分はなかったと記憶している。
会えばわかると言われても、さっぱり想像がつかなかった。
「ヘイリーの様子では五体満足なのは間違いない。会ってから考えればいいか」
とりあえずいまは眠っているあいだに失った水分をとろうと、ロディアスはベッドサイドの果実を手に取り、口に運んだ。
みずみずしい果汁が口の中に拡がる。
一通り食べ尽くしてから、起きたばかりでこんなに食べて大丈夫だろうかと気づいた。
とはいえ体が欲していたのだから仕方あるまい。
戦の最中はろくに食事が取れなかった経験もある。繊細さからは無縁だと、ロディアスは自己判断して終わった。
外の静けさに耳を澄ませてみると、秋の虫が音を響かせている。どうやらいまは陽の落ちた遅い時間帯のようだ。
「閣下、お目覚めになって本当によかった」
ヘイリーが席を立ち、最初にやってきたのは主治医とウィレバだった。ロディアスは高熱にうなされ、そのあと昏睡状態だったとか。
魔力が枯渇して、いっときは危なかったと言われる。
(夢のようだったが、やはり現実と繋がっていたんだな)
こと細かに診察や問診をされたが、驚くべきことに――失われていた魔力がロディアスの体に行き渡っているらしい。
寝たきりで体はわずかに衰えているが、いまのロディアスであれば、回復が早いだろうと言われほっとした。
さらに右目は色の濁りもなく、健常そのもの。奇跡的だと絶賛された。
「ところで、リュミザになにかあったようだが知っているか?」
「リュミザさま、ですか。そうですね。なにかあったと言えばありましたが、お会いになるとわかりますよ」
いつまで経ってもやってこない、リュミザが気になってウィレバへ訊ねたら、ヘイリーと同じ言葉を返された。
父親であるシュバルゴに似て、主に忠実な彼がこう言っているのだから、やはり些細な出来事なのだろう。
「ならば、本人に会って確かめるしかないな」
「そうされるのがよろしいかと」
しかし主治医が下がり、いくら待ってもリュミザは姿を現さない。
仕方がないのでロディアスは黙って待つのももどかしいと、ウィレバに湯浴みの支度を頼んだ。
リュミザに会うのに、十日分の汚れを残した状況というのは気恥ずかしい。
抱きしめたときに匂うのも格好がつかない。
「俺が不在のあいだ、なにごともなかったか?」
「ないとは言えません。国王陛下の退位が決定しました」
「ルディルの? 随分と早い話だな。聖王国からの圧力か? リュミザの濡れ衣は?」
「濡れ衣は晴れました。聖王国から我が国と帝国へ書状が送られ、皇太子が命を狙われた真偽を問われました。結果、帝国側で命を狙われた事実はないと」
「なるほど、狙われていたと狙われた、では大きく違う」
浴室で温かな湯に浸かり、ロディアスは心地いい温かさと、リュミザの嫌疑が払拭された安心感で息をつく。
「もっと子細を教えてくれ」
「かしこまりました」
ロディアスの背を流しながら、ウィレバはことの顛末を簡潔に伝えてくれる。
暗殺未遂の証拠が一つも挙がらず、リュミザを計画的に殺害したとされたルディルは、臣下から退位を迫られた。
当初は反発していたものの、聖王国と帝国から圧力をかけられ、退く結果になったそうだ。
王位は順当に考えて、カルドラ公爵がふさわしいと国内からの推挙が多かった。
次期継承は大公位を鑑み、ロディアスの名前も挙がったらしい。だが病で床に伏している状況を慮り、最終的に公爵が後を引き継ぐ結果となったのだ。
席の空いてしまった魔法省のトップには、聖王国から派遣された者が就くとか。
王太子を任命していなかったことが仇となり、第二王子は継承権から外され、王太子は公爵の息子と決まった。
ルディルの血筋に王位は譲らないと国は決断したわけだ。
今後、ルディルたちは中央から遠ざけられる。
リュミザが生きているおかげで、大罪とならなかっただけマシだろう。いまほどの贅沢はできなくとも、不自由なく辺境で暮らしていける。
「ここまで大きく国が動くことになるとは、俺も驚きだ」
「ええ、これからが正念場となるでしょう。聖王国に見張られる状況ですし」
「公爵なら問題ないだろう。あんな国王でも豊かに栄えている我が国だ。補助ができる有能な者は多い。落ち着いたら公爵に一度会わなくてはいけないな」
「もう少し、体力が戻られてからにいたしましょう」
「ああ」
(なにはともあれ、国の安泰とリュミザが無事ならそれでいい)
すっきりと体を洗い上げられ、寝室へ戻る際、リュミザが待っていると言われてロディアスは急ぎ足になる。
「リュミザ!」
なぜだか暗い室内。
窓際に人影を見つけ、ロディアスはそこにいるだろう彼へ呼びかける。しかし反応を見せたわりに、椅子から立ち上がることもせず黙ったままだ。
「どうした? 部屋の中でそんなものを着て」
近くまで行くと、リュミザはローブをまとい、フードを深く被っていた。訝しく思いながらも肩へ手を置くと、ビクッと跳ね上げる。
「なにかあったのか?」
「――ロディー、どんな僕でも嫌いになりませんか?」
「あんたが俺のリュミザである限り、嫌いになりようがないが?」
「本当ですか?」
「嘘をついてどうする。せっかく一段落したんだ。早くこちらへ顔を見せろ」
向き合うのをためらうリュミザの肩を引くと、彼のフードがはらりと落ちる。
いつもとなんら変わりないのでは、と思ったロディアスだったが、まごつくリュミザの原因に気づいた。
「随分と、神秘的な色になったな」
「嫌、ではないですか? ロディーは僕の髪が美しいと言っていたのに」
「いいじゃないか。精霊らしく、こちらも美しいぞ」
肩先で揃えられたリュミザの髪は、月明かりが透き通るほどの白銀色になっていた。
窓を背にしているから余計に煌めいて見え、神々しさが増している。
「リュミザはあの色、さほど好きじゃなかっただろう。ちょうどいい」
「よかった。気に入らないと思われたらどうしようかと」
「俺が些細なことであんたを嫌うと? 俺は見た目がよくてあんたを好いたわけじゃない」
「僕のロディーはなんて懐が深いんだ! 目覚めて、本当によかった」
ようやく妙なためらいから抜け出したリュミザが、いつもの調子になる。
椅子から立ち上がり、すぐさま抱きついてくる彼は、温かな頬をすり寄せてきた。
「待ってろと言われたのに、待たせてしまったようだな」
「一日が千日のように感じました。おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
抱きつかれてわかる、リュミザの体が大きく男性らしく変化しているのが。
腕を回し、抱きしめ返せば中性的だなんて言えないほどだ。
すり寄るリュミザはロディアスの鼻先に口づけを落とし、そのまま唇までたどり着く。
優しく触れる唇が愛おしく、ロディアスはきつく彼の背を抱いた。
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