29.思う心とは裏腹に
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 胸の中で芽吹き始めていた想いは燃え上がるような恋とは違う。いつスイッチが入ったのかもわからないくらいにじんわりと染み込んできた柔らかな恋。目の前の想いにしがみついて必死だったからいままでそれに気づけなかった。
 初めて会った日、追いかけてきてくれてギリギリの淵に立っていた気持ちが救われた。また会いたい、そう言われて本当は嬉しいと思っていた。振り返ってみるとベクトルは思っているよりも早くから動き始めている。

 新しい恋は眩しい輝きはないけれどひどく気持ちが優しくなれた。胸の鼓動がトクトクと緩やかな音を立てて、心がほんわりとしたぬくもりに包まれる。それがひどく幸せだ。

「このまま電車に乗ったら行けるよなぁ。でもいきなり行ったらすごい迷惑だよね」

 駅の経路案内図を見上げて数分。煮え切らない気持ちをぐるぐるとさせながら光喜は立ち尽くしている。先ほど確認した時刻はまもなく十八時というところだった。しかしコンビニでバイトをしている勝利が上がってくるのは二十二時を過ぎてからだ。
 かなり時間が経ってからきた返信には二十二時半に近所のラーメン屋、とあった。軽く見積もっても四時間の空き時間がある。一旦家に帰ってから時間に合わせて向かうのが一番無難ではあるが、ここから電車に乗っていくと手前に小津の最寄り駅があった。

「連絡すればいいのか。……あー、いやでも仕事とかもあるだろうし。んー、はあ、もう、やだ。こんなこと悩むの生まれて初めてだ」

 巡り巡って振り出しに戻る自分に大きなため息を吐き出し、光喜は両手で顔を覆って俯いた。けれどしばらくそうして、もう一つため息を吐き出すと意を決して改札に向かう。

「もういいや、どっかで時間潰そう」

 結局まったく違う方向に切り替えて気持ちを誤魔化しながら足早に電車に駆け込んだ。平日の夕刻、電車の中はひどく混雑している。それでも背の高い光喜は人混みに埋もれることがない。吊革を掴み、もう片方の手で携帯電話を操作してこれから潰す時間を考える。
 勝利の住んでいる最寄り駅まで行ってしまうとはっきり言ってなにもない。だからここから十分ほどの繁華街で下りることに決めた。しかしこれと言って思い浮かぶものがなかった。映画もイマイチなラインナップ。駅から少し歩いた先の商業ビルにアクアリウムがあったが、一人で水族館など空しいにもほどがある。

「適当にぶらついてカフェで時間を潰すか」

 車内アナウンスが流れ、開いたドアから人が吐き出されていく。その流れに身を任せて足を踏み出すと光喜は足早に階段を駆け下りた。
 陽の沈み始めた街は電車同様に人が多い。のんびりとした足取りで流れの中を進み、どこへ行こうかと思考を巡らせる。時間が潰せそうなのは本屋やCDショップ、春物の服でも見に行くのもいいかもしれない。なにか目当てのものでも見つかるだろうと目的を定めた。

 人や建ち並ぶ店でごちゃごちゃする通りを歩いていると、ふいに耳につく音が聞こえてくる。なにげなく視線を向けた先にあるのは、ガチャガチャとした音を店内から響かせているゲームセンター。

「うーん、特に興味は湧かないなぁ」

 少し歩調を緩めながら店の奥に視線を向けると高校生くらいの子たちやカップルなどが見受けられる。昔はよく勝利や友人たちと行ったものだと思いながら、そのまま通り過ぎようと足を踏み出したが、ふとそれが止まった。
 店の入り口近くに置かれたクレーンゲーム。そこにたくさん並んでいるものに視線が吸い寄せられる。気づけば自然と足が向いてガラスの向こうにあるものを見つめてしまう。

「……あ、やばい可愛い」

 普段の自分がこんなものに惹かれることはない、それはわかっているけれど目の前にある色とりどりのそれに光喜は思わず小さく唸ってしまった。
 そこにあるのは手のひら大くらいのクマのキーホルダー。つぶらな黒い瞳と小さな手足。もこもことした素材でできたそれを見て思い浮かべてしまう人がいる。ガラスに両手を当ててまた光喜は小さく唸った。
 しばらくそこで不審者のごとく立ち止まっていたけれど、ポケットの財布を取り出すと足早に店の中へ足を進めた。

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