12.久方ぶりの笑顔

 住宅街を歩き、行きに降りた駅を少し超えた先に目的の店はあった。店先に看板があり入り口には照明が灯っている。木製の扉を引き開けると、ファンキーな洋楽が空気に乗って耳に届く。
 少し暗めな照明。店の中はまだ客が訪れていないようで静かだ。カウンターに椅子が五つ、フロアにテーブルが二つのさほど広くはない店構え。来店した客に振り返った男は、小津の顔を見ると親しげに笑みを浮かべた。

「よう、修平、久しぶりだな。いつぶりだ?」

「うーん、いつだったかな。一昨年くらい?」

「相変わらずあんまり帰ってこねぇな」

「まあ、それなりに忙しいから」

 カウンターに腕を乗せ笑った俊樹は、明るい場所でなくともわかるキラキラとした金髪にきつい目つき。けれど豪快に笑うその顔には人好きする雰囲気がある。ひょろりと背が高く、光喜と同じくらいはあった。

「まあ、座れよ。あ、一人?」

「え? いや、違うよ」

 促すようにカウンターを叩いた俊樹が首を傾げて、小津は後ろで様子を窺っている光喜を振り返る。緊張した面持ちをする恋人に笑みを返せば、ようやく背中から姿を現した。ぽそりと小さな声で「初めまして」と紡いだ光喜に、俊樹は目を丸くして驚きをあらわにする。

「あれ? お前、好み変わった?」

「あっ、それは言わないで!」

「ん? なに地雷系?」

 シャツの背中をきゅっと握られて小津は慌てて言葉を遮った。珍しく大きな声を出した後輩に俊樹は不思議そうに目を瞬かせる。けれど視線を俯かせた光喜の表情になんとなく雰囲気を察したのか、それ以上はなにも言わなかった。
 勧められるままにカウンター席に二人並んで座り、しばらくするとコースターの上にグラスが置かれる。さっぱりとした口当たりのモヒート。食後だったのでビールや甘いものよりも爽やかさを選んだ。

「光喜くん、二十歳? 若っ、こんなおじさんでいいの?」

「僕よりおじさんな先輩に言われたくないよ」

「はは、その反応ってことはおばさん辺りにもおんなじこと言われたんだな」

 大きな声で笑う俊樹に小津は重たいため息を吐く。三十路の男が二十歳の子を、と考えると確かに気になる部分ではある。お互いもう少し年を重ねれば、さほど気にならなくなるのだろうが、年甲斐もなく若い子を捕まえて、などという揶揄は避けられないのかもしれない。

「なんかつまみいる?」

「あー、ご飯食べてきたばかりだからほんとにつまめる程度でいいよ。光喜くんなにか食べる?」

 大人しい隣に視線を向けると光喜は少し俯いたままだ。普段は明るくて誰とでも仲良くなれる雰囲気を持っているけれど、実際の性格は人見知りの引っ込み思案なのだと自分で言っていた。
 慣れない場所で立て続けに知らない人と顔を合わせて疲れてきたのだろう。そっと頭を撫でると我に返ったように顔を上げる。そして二つの視線が自分に向けられているのに気づいたのか佇まいを正した。

「いいよ、光喜くん。無理しなくて大丈夫」

「ご、ごめん、ちょっとぼんやりしてた」

「朝も早かったし疲れちゃったよね」

「あー、うん。ちょっと電池切れかけ、かな」

 困ったように眉尻を下げて笑うその顔を見て、労るようにまた頭を撫でる。すると光喜は嬉しそうに頬を緩めて微笑んだ。それはよそ行きではない小津にだけ向けてくれる笑顔だ。
 傍にいるといままでとは違う一面を見つけて、そのたびに胸が高鳴る。恋人には甘えを見せるのだと彼の幼馴染みは言っていた。自然と寄りかかってくれる光喜のぬくもりを感じると、それだけで幸せを実感する。

「ふぅん、なんかいい感じだな」

「え?」

「お前はいつも似たようなタイプと付き合っててさ。清楚で可憐、みたいな見た目の子たちだったけど、わりと気位高い性格ばっかりだっただろ」

「そう、だったのかな?」

「修平はぼんやりしてるからあんまり気にしてる感じなかったけど、かなり性格が女王さま系だったと思うぞ」

 思いも寄らぬ言葉に首を傾げた小津に呆れたような目で俊樹は苦笑いを浮かべる。やっぱり自覚なかったのか、と肩をすくめられてますます首をひねった。いままでの恋人の性格がキツいだとか、我がままだとか、これまで考えたことがない。
 しかしふと彼らと光喜を比べてみてしまうことはこれまでも幾度かあった。けれど小津はそれを単純に人より優しく思いやり深いからなのだと感じていた。

「小津さん、ここでもうっかりぼんやりのんびり?」

 考え込んで小さく唸る小津に隣から小さな笑い声が聞こえる。その声につられるように視線を動かすと、ひどく楽しげに目を細める恋人の顔があった。少し意地の悪い目をする彼は口の端を持ち上げて笑う。

「小津さんはほんとに人が好いよね。俺、ずっと不思議だったんだ。こんな優しい人をどうして振ることができるんだろうって」

「あ、僕が振られる前提?」

「えー、だって、恋人の写真を後生大事にしまっておく人だよ。振るなんて考えられないよ」

「ん、ああ、そっか」

 グラスを傾けながら笑いをこらえきれないとばかりに口元を緩める横顔に上手い言葉も出てこない。急になぜか焦りのような落ち着かない気持ちになって、小津はあたふたとしながら首を触る。

「お前さぁ、そんなの普通見られたらドン引きされるぞ」

「い、いや、もう、全部捨てたし」

「はあ、心の広い子で良かったな」

 ギクシャクとするその様子に、俊樹はもう言葉もないという顔で自分用に注いでいたビールに口を付けた。敦子は女の子をはべらせて派手な子だと称していたが、彼は至極真面目で結婚した相手も高校時代から付き合っていた彼女だ。
 振られるたびにお前は見る目がないんだよ、と茶化しながらも気が紛れるように遊びに誘ってくれた。小津にとって彼は兄のような存在だから、色んな場面を見られている。

「……確かに僕は、聡いかと言われれば違うと思うし、いつも遠回りばかりしてしまう。でももう光喜くんしかいないと思うから。これから先、彼のために変わりたいと思うんだ」

「なに、それ宣言しに来たのか?」

「うん、俊樹先輩には昔から助けてもらったから」

「こっぴどく振られて頭からアイスティー被ってたこともあったな。平手打ち食らって顔を腫らしてた時もあったっけ」

 まっすぐと視線を向けられた二つ年上の先輩は、少し懐かしそうに目を細めた。