06.思いがけない再会

 小さな弟分に兄貴分たちは一歩距離を置いている。飛びかかることもなく窓際近くで各々くつろぎ出す。希美に勧められて隣に腰かけた光喜は小さな福丸にデレデレだ。けれど子犬をこうして目の前にするのは初めてなようで、そわそわするものの手を出せないでいる。
 母親が動物嫌いなので光喜はペットショップにも行ったことがない。そのため動物は好きだけれど、この歳まで触れ合う機会がないまま過ごしてきたようだ。

「なんかちっちゃいと抱っこするの怖い」

「ぎゅっとしなければ大丈夫」

 膝にタオルを敷いてそっとそこへ乗せてあげれば、緊張したように身体を硬くする。けれど膝の上でもたもたと動く福丸に、我慢できなくなったのかそっとお尻を撫でた。そして成犬とは違うふかふかした柔らかい毛並みに感動して、何度も優しく触れる。

「ん゛んっ……やばい、なんか変な声が出た。うー、んー、可愛い!」

 ころんと膝の上で転がった福丸は光喜の膝でうとうとし始めた。それを見て身悶えそうになりながら小さく唸る反応に小津は笑って目を細める。指先で耳の裏を撫でると小津家の末っ子はまた小さなあくびをした。

「赤ちゃんってこんなにちっちゃいんだね」

「うん、でもゴールデンレトリバーはあっという間に大きくなるよ。半年くらいまで一ヶ月で三、四キロくらいは増える」

「へぇ、ほんとあっという間だ。ちっちゃい頃は貴重だね。小さいうちに会えて良かった。あとで写真撮ってもいい?」

「もちろん。あ、カメラ持ってこようか? 待ってて」

「ありがと」

「うん」

 デジタルカメラを鞄に入れていたことを思い出して小津が立ち上がると、ふいに玄関のほうから呼び鈴の音が鳴り響いた。その音に玄関へ足を向けようとしたが、キッチンにいた敦子が出てきて大丈夫、と手を振った。
 カラカラと戸が引かれる音が聞こえてくるけれど、それはさして気にせずソファの傍に置きっぱなしだった鞄を開いた。充電をしておいたカメラは満充電になっている。それを確認して光喜の元へ戻ろうとしたら、今度は母親の機嫌の良さげな声が響いてきた。

「あらー、こんなにいっぱい。ほんとにいいの?」

「頂き物なんですけど、ちょっと自分一人では多いので」

 訪ねてきた人は知人だったようでごく親しげな会話が耳に届く。敦子の大きな声のあとに聞こえてくるのは男の声で、落ち着いた穏やかな声音をしている。しばらくその声を聞いていたが、自分を振り返る視線に気づいて我に返った。

「小津さん?」

「ああ、ごめん。なんでもないよ」

 なぜ聞き耳を立てる真似をしてしまったのだろうと首を傾げながら、小津は光喜の元へ足を向ける。しかし再び隣に腰を下ろそうとしたところで玄関にいたはずの敦子がリビングに顔を出した。

「修平」

「なに? どうかした?」

「あんた、お隣だった健ちゃん覚えてる?」

「健ちゃん?」

「覚えてないの? 子供の頃よく遊んでもらったじゃない。あ、ほらほら、いらっしゃい。修平、久しぶりに帰ってきたところなのよ」

 訝しげに首をひねる息子の反応に、もう、と呆れながら敦子は後ろを向いて玄関先にいるであろう人を手招きする。すると彼女の背後から小柄な男性が姿を現した。こちらを向いた目と視線が合うと、その人はやんわりと柔らかく微笑む。
 けれどとっさに反応できなかった小津は黙ったまま首を傾げた。

「確か、二十年以上ぶりだよね。修平くん小学生だったし、覚えてないかな」

 眉尻を下げて困ったように笑ったその顔を見た瞬間、ふっと今朝の夢を思い出した。まじまじと見つめ返すと、目を瞬かせて彼は小首を傾げる。そこでようやく記憶が引っ張り出された。

「健人、さん」

「うん」

 名前を呼ぶとふわっと笑みを浮かべる。その人は幼い頃、仕事が忙しい父と、仕事に出ていた母の代わりに面倒を見ていてくれた。十歳ほど歳の離れた隣のお兄ちゃん。けれど思い出したのと同時に気まずい気分になる。
 後ろからシャツの裾を指先で引っ張られて小津は肩を跳ね上げた。

「あ、えっと、彼は幼馴染みの、松山健人さん」

 見上げてくる光喜の手を握って、一呼吸置くと思い出した彼の名前を告げる。それを黙って聞いてから、ヘーゼルカラーの瞳は戸口に立つ健人を見つめた。そして二人はなにも言わずに見つめ合う。

「……小津さんの、初恋の人、とかそう言うの?」

 しばらくしてぽつりと紡がれた言葉に繋いでいた手に力が入ってしまう。それが聞こえたのだろう敦子も驚いた顔をして目を瞬かせる。けれどなぜか健人だけが静かに微笑みを浮かべた。

「修平くん、運命の人に出会えたのかな?」

「彼が、光喜くんが、僕の運命の人だよ」

「そっか、良かった」

 優しく笑うその顔を見ると、光喜を不安にさせてしまう理由が小津にもよくわかる。彼の姿形、笑い方、雰囲気、そのどれもがいままで付き合ってきた人たちに似ていた。幼い頃の感情は恋だとか愛だとか、そんなことは意識していなかったはずだけれど、深く根付いていたことを実感させられる。
 しかしそんな記憶や感情を押し退けても余るほどに、小津の気持ちは光喜へと向けられている。これから先、どんなに健人に似ている人が現れてもこの想いだけは変わらない。彼以上に愛せる人はいない。
 その気持ちを込めながら、震えながら必死に握りしめてくる彼の手をきつく握り返した。