79.二人を繋ぐもの

 空が夕闇に染まる頃。小津と二人でのんびり駅までの道を歩く。朝ご飯を食べたあとは昼ご飯を買い込んで家にこもり、夜になってご飯求めて外へ出て、いまは少し寂しい帰り道だ。もう少し傍にいたかったけれど、小津も仕事を抱えているのでまた日を改めてとなった。
 三軒隣に住んでいながら、離れているのがもどかしくなったあの二人の気持ちがいまなら光喜にもわかる。隣駅、さほど遠く離れているわけでもないのに、遙か遠くへ離れていくような気分になる。

「小津さん」

「ん? なに?」

「この先、ちょっと人通り増えるから、その前に、……キスして」

 隣を歩く彼のシャツを引っ張ってしまう。けれど紡いだ言葉に驚いた顔をされる、それが恥ずかしくて光喜は目を伏せた。しかし十数秒くらいの沈黙が続いてから、頬に手が触れて、俯いた顔を指先で持ち上げられる。
 おずおずと視線を上げれば、やんわりと笑う顔が見えて光喜の胸の鼓動はドキドキと早まっていく。肩を抱き寄せられ、近づいてくる顔にぎゅっと目を閉じた。ちゅっと小さなリップ音がして、離れていくぬくもり。
 その気配を感じて光喜は慌てて目を開くと、胸元にしがみついて離れた唇を引き寄せる。すると今度は唇を食むように口づけられた。たっぷりと味わうように、本当に食べられてしまいそうなくらい深く唇を合わせられる。

「……あ、もっと」

「駄目、これ以上はしないよ。もっとしたら、もっと光喜くんが可愛くなっちゃうからね。それはほかの人に見せたくない」

 縋りつくような目をした光喜の唇に、小津は指先を押し当てた。唇を拭う指先と紡がれた言葉にじわじわと光喜の顔が赤く染まる。それを隠すみたいに肩口に抱き寄せられると、胸の音が落ち着くまで広い胸元に額を預けた。
 できることならずっとこのままでいたい、そんな考えが浮かんでくるけれど、火照りが収まったところで光喜は顔を上げる。まっすぐに見つめれば優しく頭を撫でられて、自然と笑みが浮かんだ。

「そうだ、小津さんを連れて行きたいところがあるんだ」

「え? どこ?」

「うん、俺の実家の最寄り駅にあるカフェ。好きな人とうまく行ったら連れて行くって約束してるんだ。一緒に行ってくれる?」

「あ、うん。もちろん。でもいいの? 僕を連れて行ったりして」

「あったり前じゃん、俺が好きな人は小津さんだよ。それに大丈夫なんだ、きっと一緒に喜んでくれるよ」

 きっとすごく驚くだろうけれど、それ以上に喜んでくれる気がした。姉の瑠衣にも紹介しろと言われるかもしれないが、その辺りはまた考えよう。ふんわりと気持ちが浮き立って、ひどく気分が良くなる。緩んだ頬に光喜は小さく笑った。

「じゃあ、また連絡するね」

「うん、仕事が落ち着いてからでいいから」

「光喜くんのために頑張って仕事するよ」

「あんまり根を詰め過ぎないでね」

「うん、それじゃあ、また」

 優しく笑った小津は改札へ向かっていく。それをぼんやり見ていたけれど、彼がポケットから取り出したものに光喜は目を見開いた。そして弾かれるように走り寄り、改札を抜けようとする小津を引き止める。
 いきなり腕を引っ張られた小津は肩を跳ね上げて驚いていた。しかし光喜はその手に握られているものに釘付けになっている。それに気づいた彼はたちまち頬を赤らめた。

「こ、小津さん、これ」

「あー、えっとこれは」

「俺のと、色違い」

「う、うん。……光喜くんと、終わりかもしれないって思ったら、君と繋がるようなものが欲しくなって」

 バーガンディとグラスグリーンのツートンカラー。光喜の持っているパスケースと配色を変えているが、デザインは一緒だった。自分で作ったものはあまり使わない、そう言っていた勝利の言葉を思い出して、光喜の瞳にじわりと涙が浮かんだ。

「み、光喜くん?」

「小津さん、好き、大好き!」

 ひどく焦ったように自分をのぞき込む小津に満面の笑みを返すと、光喜は両腕を広げて抱きついた。夕闇の改札口。人は驚いたように振り返るけれど、どうしてもいまは抱きしめた人を離せる気がしなかった。