59.思いがけない二人きり
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 気を落ち着けるように長い息を吐き出して数分経った頃に、玄関のほうから聞き馴染みのある声が聞こえてくる。その声に正直なところ光喜は少し飛び上がってしまった。どんな顔をされるのだろうと思ったが、あの人に気まずい思いはさせたくない。

「あ、みんな揃ってたんだね」

「うん、でもちょうどいいよ。光喜もちょっと前に着いたばっかり」

「小津さんおはよ!」

「……うん、おはよう」

 視線が合うと少し不安そうに瞳が揺れた。だから光喜はとっさに満面の笑みを作る。すると小津は驚いた顔を見せるが、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。しばらく顔を見合わせていると玄関のほうからまた声が聞こえてくる。

「お、来たかな。荷物は玄関先に置いていってもらうことにしたから、段ボールの名前とかを確認して部屋に分けておいて」

「よし、やろっか」

「よろしくお願いします」

 軍手を鶴橋から渡されて、いざ、と四人で荷物を運び始める。引っ越し業者は同じところに頼んだようで、かなり効率がいい。次から次へと荷物が運び込まれて、全員フル稼働だ。けれど大きな荷物は勝利のベッドくらいで、手こずることはなく作業は進む。

「ねぇ、勝利、家具ってなに届くの?」

「えーと、冬悟さんのベッドと、ソファとテーブル、戸棚とダイニングテーブル、あとは家電だな。テレビと冷蔵庫と洗濯機が届く。あとなんだったかな」

「まあ、その程度なら男手がこれだけあれば余裕そうだね」

「頼りにしてる」

「まっかせておいてよ! じゃんじゃん片付けて飲むぞ!」

「お前はそっちが目的か!」

 両拳を上げて光喜が気合いを入れると呆れたような勝利のため息が聞こえる。それと共に鶴橋と小津の笑い声も重なった。けれど和やかになった雰囲気にみんなの顔に笑みが浮かんだ。
 そのあとも明るい光喜の声に誘われるように三人は声を上げて笑った。そうしているうちに荷物は運び入れ終わり、大きな家具も入る頃には窓にカーテンが取り付けられて、開いた窓から吹き込む風でレースカーテンが揺れていた。

「うわ、結構時間が経ってるね。ねぇ、そろそろみんなお腹空かない?」

「あ、もう昼か、早いな」

 一段落してぼんやりしていた中でふいに光喜が声を上げる。その声に壁掛け時計を見た勝利が目を瞬かせた。気づけばもう時刻は十二時を過ぎている。

「じゃあ、俺、駅前のスーパーに行ってお弁当でも買ってくるよ」

「え?」

「勝利と鶴橋さんの引越祝いと、このあいだのお詫びを込めて。待ってて!」

 ひどく珍しいものを見た、みたいな顔をして目を見開いている勝利の額を手のひらで叩いて、光喜は玄関に向かう。けれど靴を履いてると勝利の声に引き止められた。不思議に思い振り返ったら、なぜかそこに小津が立っていて目を瞬かせてしまう。

「光喜、小津さんと行ってきて、ついでにビール買って来いよ」

「え、あ、ああ、うん。わかった! じゃ、小津さん行こっか」

 これはもしかしたら勝利なりに気を使ったのかもしれない。進展のない二人に機会を作ってやろうと思ったのだろう。しかし振られたばっかりなんだけどね、なんて光喜が思っていることには気づくはずがない。
 けれど確かにいい機会だ、作業中はほとんど話せなかった。のんびり話をしたら、小津の緊張も少しは和らぐかもしれない。目が合うたびにぎこちない笑みを浮かべる、それがずっと光喜は気にかかっていた。

「いってきまーす!」

 マンションから駅前のスーパーまで十分と少しくらい。駅はそれほど大きいわけではないけれど、食べ物屋が充実していて一人暮らしの学生や勤め人にはもってこいな場所だ。勝利がバイトしているコンビニも近くて、買い物が随分と便利そうだ。

「新しいマンションは駅からも割と近くていいよね」

「うん」

「あー、俺も引っ越したい。マンションに不服はないけど、ちょっと駅から歩くのが面倒くさくて。小津さんはいまのところ住んでどのくらい?」
「え? んー、もう少しで八年かな」

「そうなんだ。あそこいいよね。広いし居心地がいい」

 ふっと余計なことが浮かんできた。そんな若い頃からあんな広いアパートを借りる理由。最初は一人暮らしではなかったのかもしれない。けれどいまこの話題はタブーな気がして、浮かんできたものは奥底に沈めた。そして光喜はなにも気づいていないふりをして笑う。

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