81.変わらずの日々
81/112

 仕事が一段落すると時刻は十六時を少し過ぎていて、周りに早く帰りなさいと声をかけられる。その声で時間に気づいた光喜は挨拶を済ませると、急いで帰り支度をして飛び出した。今日の約束は十七時、乗り換えに手間取らなければ間に合うはずだ。

 ――いま上がった。ギリギリかもしれないから先にお店に行っててもいいよ。

 ――お疲れさま。駅で待ってるよ。ゆっくりおいで。

 メッセージを送るとさほど時間も経たずに返事が来る。それを見るだけでニヤニヤと口が緩む。大学が夏休み入ってからほとんどがバイトで、小津と会うのは週に一度あるかないか。充実した仕事は楽しいが、やはり恋人と会う時間がなによりも癒やされる。今日は二人っきりではないけれど、一週間ぶりなので光喜は楽しみにしていた。

 ぼんやりと電車の窓から景色を眺めていると、携帯電話が震える。受信したメッセージを見ると勝利からで、早く着いたから先に向かってる、と言う内容だった。少し遅れるかも、と返信すれば了解のスタンプが返ってくる。

 それと共に勝利たちに会うのも久しぶりなことに気づいて、四人で飲みに行くこともなかったことを思い出す。今日は飲み目的ではないけれど、会うのが楽しみだなと光喜は笑みをこぼした。
 急ぎ足で乗り換えをして、目的の駅に着いたのは十七時五分前。駅から十分くらい歩くので、これはもう遅刻だ。

「小津さん! 遅くなってごめん!」

「お疲れさま」

 改札を抜けると目線を上げた先に久方ぶりの恋人の姿があり、光喜の気分は一気に上昇する。優しい穏やかな眼差しを向けられて、頬が熱くなるのを感じた。傍に駆け寄ると労をねぎらうように頭を撫でられる。

「じゃあ、行こうか。みんな待ってるよ」

「うん、でも怒られるかも」

「その時は一緒に怒られよう」

「ありがと」

 促されながら足を踏み出すと夕刻が近いにも関わらず夏の熱気がまだ満ちている。八月ももう半ばを過ぎたが暑さは日増しに厳しくなっている気がした。電車の冷房で冷やされていた身体はすぐに汗ばんだ。

「暑い日はビール飲みたいよね」

「だね、でもそれは帰ってからね」

「あ、明日、休みだから、小津さんちに」

「もちろんそのつもりだったよ」

「良かった」

 窺うような光喜の目線にやんわりと微笑んだ小津はまた優しく頭を撫でてくれる。それが嬉しくて肩を寄せると隣り合った指先を握ってしまう。人通りが少ない道だけれど、まだ人目が気になる明るさ。しかしぱっと手を離そうとするとすぐさまその手を握られる。
 それに驚いて顔を上げるが、小津は前を向いて笑みを浮かべていた。その笑みにくすぐったい気持ちになって、火照った頬を誤魔化すように光喜も視線を遠くへ向ける。

 二人でゆっくりと歩いて、たどり着いた先はウッド調の可愛らしいカフェ。扉にかけられたプレートはクローズとなっているが、中からは明かりがこぼれている。引き開けた扉に付けられたベルがカランコロンと鳴って、中にいる人たちの目線が集まった。

「光喜! おっそーい!」

「遅刻だぞぉ」

「なに言ってんの、まだ五分しか過ぎてないじゃん、って言うかさ。ここに晴が混じってることが不思議でならないんだけど」

「えー、ひっどーい。仲間はずれにしたら泣いちゃうからな」

 店内にはすっかり見慣れた顔ぶれ。一番に口を開いたのは姉の瑠衣とよそ行きの晴。二人の声に光喜が眉をひそめるとその場にいる全員が苦笑いする。
 店の真ん中に集められた真っ白なテーブルで席についているのは、勝利と鶴橋、瑠衣と晴、そしてこの店の持ち主である千湖と桃香。今日は姉の誕生日祝いをするためにこの「ちこももカフェ」に集まった。この面子は春を過ぎた頃から顔を合わせるようになって、すでに全員顔見知りだ。

「あー、ビール、ビール飲みたい!」

「ちょっと、乾杯の前に飲まないでよ」

「光喜くん、缶ビールでごめんねぇ」

「いいよいいよ、いますごく飲みたい気分だったから缶でもなんでもいい! 千湖さんありがと」

 思いがけず缶ビールや缶酎ハイがテーブルに並んでいて気分が上がる。勝利と鶴橋の隣に二人で並んで座り、ようやく役者が揃った。テーブルの上には飲み物だけでなくサンドイッチやピザ、唐揚げやサラダなども並ぶ。
 店の定休日であるのにもかかわらず、千湖と桃香が瑠衣のために用意してくれたようだ。ホールの苺増し増しなケーキは手作り。それに刺さったろうそくに火を付けると賑やかに歌を歌ってから瑠衣がそれを吹き消した。

 二人の想いを確かめたあの日から月日を重ねて、さらに騒がしくなった身の回りに光喜は思わず笑ってしまう。けれどそれと共に安堵感と嬉しさもこみ上げた。

リアクション各5回・メッセージ:Clap