09.運命の人
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 先陣を切って歩く二頭は尻尾をゆらゆら揺らしながら歩いている。たまに振り返って視線が合うと満足したようにまた前を向く。大型犬は力が強いので散歩に苦労する飼い主は少なくない。
 けれど小津家では一定の時期になると一緒に訓練学校へ通う。もう何年もゴールデンレトリバーを飼ってきているが、性格はみんなそれぞれ。彼らの性格に合わせたしつけを教えてもらうことにしていた。

 そのおかげで性格がやんちゃな凛太郎、茶太兄弟も突然走り出したり、気を散らしてよそ見したりすることがない。逆にシロウは気が小さくて散歩嫌いで、いまでこそ普通に散歩へ出るけれど、子供の頃は踏ん張って座り込んで、テコでも動かないほどだった。

「夜になるとちょっと涼しく感じるね」

「うん、日中はまだ気温は高めだけど、だいぶ過ごしやすくなってきた」

「……あのさ、小津さん」

「ん?」

「松山さんが言ってた、運命の出逢いってなに?」

 少し小さくなった声に振り向くと、不安げな眼差しを向けられていた。じっと見上げてくるその視線が切なくて、手を伸ばしてそっと頭を撫でてあげる。するときゅっと指先でシャツの裾を掴まれた。

「うん、僕が子供の頃の話だけど。確かまだ小学生、低学年くらいかな。あの人は高校生くらい。僕は彼が大好きで、ずっと一緒にいたいなって幼心に思っていた。だから高校を卒業したら都会に出て行くと言った彼に、結婚したら離れなくて済むの? って聞いたんだ」

 お父さんとお母さんはずっと一緒にいようねって約束をして結婚したんだよ、そんな言葉を幼いながらも覚えていた。それが異性同士でなければ駄目なのだと、小津が現実を知ったのはもう少し成長をしてからだ。

「あの人は僕の気持ちを非難することもなく優しく笑ってくれた。自分は君の運命の人ではないけれど、必ず君に運命の出会いがあるよって」

「……俺もね、父さんに言われたことがある。いつかこの人だって思える、運命の人に出会えるよって。でも俺はずっと自分勝手な恋愛をしてきたから、そんな運命は巡ってこないって思ってた」

 シャツを掴む指先が震えて、彼が小さく息を飲んだ。それが涙をこらえているのだと気づいて、小津は促すように頬を撫でる。口を引き結んだまま俯いている光喜の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちて、その気配を察した三頭が足を止めて振り返った。

「小津さんの、運命の人が、俺だったらいいって思う。ねぇ、小津さん、俺とずっとに一緒にいてくれる?」

 瞳を潤ませて必死な顔をして見上げてくる、そんな恋人がひどく愛おしくてつられるように喉が熱くなる。優しく何度も髪を梳いて撫でて、小津は笑みを返した。

「僕はもう、光喜くんしか考えられないよ。君しか愛せない。光喜くんが手を離したくなっても、離してあげられないと思う。それでも、いい?」

「いい、それでいい。ずっと傍にいたい」

「心配しなくてもいいよ。君に会った時から僕の心は君のものだ。僕は光喜くんが好きだよ。もうそれ以上のものはない」

「……俺、なんか最近女々しくて、ちょっとしたことで落ち込んで、不安になって、どうしたらいいかわからなくなるんだ。自分でも情けなくて」

「うん、でもそういう気持ちが、恋をしてるってことなのかもしれない。僕もいまこの瞬間が、夢だったらどうしようっていつも思うんだ」

「え?」

 顔を持ち上げて小さく首を傾げる仕草が幼い。驚きに目を瞬かせてじっと見つめてくる顔がひどく可愛い。ふっと息を吐くように笑う小津にますます光喜は不思議そうな表情を浮かべた。

「僕みたいな冴えないおじさんの傍に、こんなに格好良くて綺麗で性格もいい可愛い子がいてくれるんだよ。まるで夢みたいに思えちゃうよ」

「そ、そんなことない! 小津さんみたいに優しくて、温かくて、傍にいるだけで嬉しくて幸せになれる人、ほかにいないよ!」

「光喜くんにそんな風に思われている僕は幸せ者だね」

「なんで笑うの! 信じてないの? 絶対、俺のほうが小津さんのこと好きだよ!」

「えー、僕だって光喜くんのこと、好きな気持ちは負けてないよ」

 急にムッと口を尖らせた彼はやんわりと目を細めた小津に、詰め寄るように顔を寄せてくる。そしてほんの少しだけ背伸びをして、笑みをかたどる唇にそっとキスをした。その感触に小津が目を瞬かせると、子供みたいに無邪気な笑顔を見せる。
 夕暮れ近い道の途中。誰かに見られでもしたら――なんてことよりも、触れたぬくもりに胸が高鳴った。じわじわと赤く染まっていく顔の熱さに気づいて、小津はうろたえたように目をさ迷わせる。

「あ、小津さんのその顔、久しぶりに見た! んふふ、最近はわりと余裕な顔だったのにね」

「光喜くんの可愛さには脱帽だよ」

「余裕で大人な小津さんも、少年みたいに純情な小津さんも、俺はどっちも好きだよ!」

 ふんわりと笑った光喜は頬を染めると照れくささを誤魔化すように、足早に先を歩き始めた。軽い足取りで進む彼の横をシロウは尻尾をぶんぶんと振りながら歩く。その後ろ姿を見つめていると、催促するようにリードを引っ張られた。
 凛太郎と茶太の勢いにつられるように小津が足を踏み出せば、二頭は光喜を追いかけるように走り出す。楽しげな恋人の声が静かな空間に響いて、これほど幸せな瞬間はない、そう思わずにはいられなかった。

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