11.温かな時間
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 いまだ風当たりの強い世の中、親と円満でいられるのは少数派だろう。けれど両親は驚いた顔を見せたけれど、息子の告白にそうか、わかった、と頷いた。しかしすぐに飲み込めたわけではないことは、しばらくのあいだぎこちなかった母の様子で感じている。

「心配しなくても、うちは大丈夫だ。希美が嫁に行っても、行かなくても困りはしない。お前はあの子のことを大事にすることだけを考えろ」

 言葉を途切れさせた息子に父は笑みを浮かべて立ち上がる。そしてなにも言わずに背を叩き、腹が減ったな、と呟きながら促すように工房の明かりを消した。

「父さん」

「なんだ?」

「感謝してるよ、すごく。こうしてなにごともなく笑っていられるのは、二人のおかげだと思う」

「……別に感謝することでもない。そうだな、息子がもう一人増えただけだ」

 神妙な面持ちをする小津に高道はやんわりと目を細めて笑った。なに気なく紡がれた言葉だけれど、これは簡単なものではない。しっかり足元から支えげられるような気持ちになる。

「お父さん、お兄ちゃん、なにしてるの? ご飯だよ?」

「ああ、うん」

 しばらく顔を見合わせているとリビングに繋がる窓がカラカラと開いた。愛犬たちのご飯を携えた希美が不思議そうな顔をする。その顔に我に返って、ふと小津は部屋の中へ視線を移した。
 暖かい明かりが灯った場所から楽しげな笑い声が聞こえてくる。二人で顔を見合わせて笑みを浮かべている恋人と母の姿に、言葉にできないような想いが込み上がって胸が熱くなった。

「はいはい、二人とも退いて」

 いつまでも立ち尽くしていると希美が庭へ下りて、父と兄のあいだを割って小屋のほうへ歩いて行く。ご飯だよ、と呼ばれた凛太郎と茶太は勢いよく飛び出してきた。その後ろをのんびりとついてくるシロウは相変わらずだ。
 その様子を横目に見ながらリビングに戻るとそれに気づいた光喜が顔を上げる。その満面の笑みを見た小津は、連れてきて良かった、ようやくそう思えてきた。

「今日は修平の好きなデミとんかつよ」

 ダイニングテーブルに並べられた皿には手のひら大はありそうなとんかつ。それにかけられたデミグラスソースの匂いが食欲をそそる。子供の頃にこれがいい、とねだってからとんかつと言えばこれで、敦子は帰省するたびに作ってくれた。

「ご飯もお味噌汁もおかわりがあるから、いっぱい食べてね」

 庭から戻ってきた希美も席に着くと、みんなで声を揃えてから思い思いに箸を伸ばす。隣でとんかつを口に運んだ光喜はまた目を瞬かせてこちらを見つめてくる。口いっぱいに頬ばったものを咀嚼して飲み下すと、感激をあらわにおいしいと声を上げた。

「とんかつのお肉すごく柔らかいし、デミソースいままで食べた中で一番」

「母さんは昔、洋食屋の厨房で働いてたんだ。なにを作ってもおいしいよ」

「そうなんだ! 毎日こんなにおいしいものを食べられるの幸せだね」

「うん、ほんとだね」

 まるで花が開くみたいに顔をほころばせる彼は、当たり前だと思っていたことを特別なことなのだと気づかせてくれる。そんな光喜を見る家族の眼差しはとても柔らかく、彼が感動の声を上げるたびに優しく細められた。

「修平、今日はこのあとはなにか予定ある? お風呂の準備する?」

「あ、そうだ」

 和やかなまま食事が終わると、淹れたお茶を配りながら敦子が首を傾げた。時刻は十八時を過ぎた頃。就寝するにはまだまだ早い時間だ。時計に目を向けた小津は思い出したように隣にいる光喜に声をかける。

「あの、光喜くん」

「なに?」

「このあとなんだけど。さっき高校時代の先輩からメッセージが来てて、時間があれば顔を見せに来いって言われてたんだけど。光喜くんはどうかな?」

「え? 俺も行っても平気なの?」

「うん、平気だよ」

「……高校時代の、元彼とかじゃないよね?」

「ち、違うよ! ただお世話になった人、結婚してて奥さんも子供もいる」

 小首を傾げていた彼が急に不安そうな表情を浮かべる。その反応に小津は大げさなくらい手をぶんぶんと顔の前で振った。上擦った声に疑り深そうな目を向けられるが、ふいに敦子が声を上げる。

「もしかして野中さんの息子さん? 俊樹くんだった?」

「あ、うん。そう、俊樹先輩」

「あらぁ、あんたまだお付き合いあったのね」

「連絡を取ったり会ったりするのはごく稀だけど。ちょうどこっちに来る前に連絡が来てて、帰る話をしてたんだ」

「そうなの。あ、光喜くん大丈夫よ。俊樹くん、学生の頃はやんちゃしていたけど、見た目に寄らず礼儀正しいいい子だから。でも女の子いっぱい連れて歩いて派手な子だったわよね」

 明け透けな敦子は楽しげに笑う。そんな母の態度に警戒心が解けたのか光喜の表情が和らいだ。じっと見つめてくる視線を見つめ返せば、新しいものに目を輝かせる子猫みたいな視線を向けられた。

「行ってもいいなら、行く」

「じゃあ行こうか。先輩はバーをやってて、この時間ならもう店にいると思う。顔見せて少しお酒飲んで帰ろう」

「うん」

 お茶を飲んで一息ついているあいだに連絡を取り付けて、歩いて三十分ほどのところにある店へ二人で向かうことにした。玄関先でお土産に持って行きなさいと健人にもらった柿を袋で渡されたので、それを片手にぶら下げて薄暗い道で手を繋ぎ歩く。
 隣にいる光喜は少し気持ちが高揚しているのか、子供みたいに繋いだ手を振っていた。

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