14.可愛い我がまま
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 思ったよりも長居をした店でほろ酔いになるほど飲んで、また二人で帰って来いよと俊樹に見送られた。隣で楽しげな声で話をしている恋人は行きと同じように少しばかり気持ちが浮き上がっているのか、繋いでいる手にぎゅっと力がこもっている。
 付き合う以前もやけに饒舌になることがよくあった。その時はほとんど視線が合わないような状況だったけれど、いまは違う。瞳を輝かせた彼は何度も視線を持ち上げて小津を見つめる。

「そんなに笑わなくても」

「んふふ、だって小津さんの学生時代っていまよりぼんやりさんなんだもん。普通待ち合わせして日が暮れるまで待たないし、知らない人に声かけられてるのにそれに気づかないとか」

「ま、まあ、機敏さがあるかと言われれば違うけど」

「でもそういうとこ好きだよ。基本的に優しいんだよね」

 困ったように笑う小津に目を細めると、光喜は抱きつくみたいに腕にぴったりと寄り添った。けれど俊樹から聞いた話を思い出しているのか、含み笑いが止まらない。しかし疲れの色を見せていた顔は随分と元気になった。
 嫌な思いをさせたままにならなくて良かったと、笑みを浮かべる横顔に小津はほっと息をつく。

「ただいま」

 のんびりとしながら家にたどり着くともう二十三時に近かった。就寝の早い高道と敦子はすでに床についたのかリビングに明かりは灯っていない。希美はまだ起きている可能性はあるが下りてくることはないだろう。けれど静かな空間に自然と声が潜められる。

「そういや小津さんの部屋まだ見てない」

「なにも面白いものはないよ。こっちにいた時とさして変わりないし」

「あ、卒業アルバムとかある?」

「んー、まあ、あるけど。そんなに見たい?」

「すごい見たい! あ、ごめん、おっきい声出しちゃった」

 響いた声に光喜ははっと口元を押さえてちらりと上目遣いをしてきた。本人はまるきり意識をしてないのかもしれないが、期待をするように目を輝かされると嫌だとは言えなくなる。諦めたように少し長い息を吐くと小津はいいよ、と頭を撫でた。
 両親は一階、小津の部屋は二階で妹の部屋と向かい合わせになっている。階段を上っていくと微かに音楽が聞こえていた。けれどそれは気にせず自室の扉を開けて室内灯を付ける。部屋は八畳ほどでダブルベッドに机と本棚以外は特にない。いまはベッド脇に二人の鞄と布団が一組ある程度だ。

「ここにも本いっぱいだね」

「うん、家を出る時に持ち出しはしたんだけど。だいぶ残したままなんだよね」

 学生の頃びっしりだった本棚には少し隙間がある。それでも蔵書は百単位だろう。読まないなら片付けたら? と敦子に言われていたが結局はそのままだ。いま手放したら手に入らないものもある。それを思うと腰が持ち上がらない。

「そうだ、光喜くん。お風呂、先に入ってきたら?」

「あー、うん」

「どうかした?」

 なんとなく煮え切らないような返事をする光喜に首を傾げると、本棚に向いていた視線が振り返る。その眼差しを見つめ返すと照れたように笑う。その表情の意味がわからない小津がますます首をひねれば、シャツの裾を引っ張られた。

「一緒に入る?」

「……え? えっ?」

「お酒も入ってるし、ちょっと眠いから寝ちゃいそうで」

 うろたえて小津があからさまに声を上擦らせると、返事を促すように光喜は小首を傾げる。これまでも一緒に風呂に入ることは何度もあった。けれど実家で恋人と一緒に入ることは想像をしていない。
 急速に火照りだした顔が火を付けたように熱くなる。自分のそんな反応にいたたまれなくなった小津は両手で顔を覆った。

「小津さーん、なんでそんなに照れてるの? 初めてでもないのに」

「いや、あの、そうだけど。やっぱり実家っていう場所を考えると」

「お父さんとお母さん寝てるっぽかったよ?」

「そ、そうだけど」

「ふぅん、じゃあ一人で入ってくる」

 はっきりしないままの恋人にもの言いたげに目を細めるが、少し口を尖らせて光喜はふいと離れて行ってしまう。背中を向けて鞄の前でしゃがみ込んだ彼に、どうしようかと小津の心は本音と建前でぐるぐるとする。

「バスタオルとかは……って、近っ! 小津さんどうしたの?」

 着替えを手に取り振り向いた光喜は肩を跳ね上げた。そして真後ろに立っている小津を見上げて目を瞬かせる。けれど顔を赤くしながら見つめてくる視線で悟ったのかにんまりと笑みを浮かべた。

「一緒に入る?」

「う、うん」

「じゃあ、行こ」

 目に見てわかるほどご機嫌になった光喜は飛び上がる勢いで立ち上がる。さらにそれに驚いて一歩後ろへ下がった小津に楽しげな笑い声と共に抱きついた。胸元に頬を寄せる彼に心音が聞こえてしまいそうなほど隙間なく抱きしめられて、思わず小津は腕を回して抱きしめ返してしまう。

「ここに来るまですごいドキドキして不安とかもあったけど、来て良かったな。小津さんのこともっと知れた気がする」

「でも今日は光喜くんをたくさん泣かせてしまって、僕は反省してるよ」

「好きな人と長くいたいなら、本音でぶつかり合うのも大事だよって姉さんが言ってた。それに今日のことは別に小津さんが隠していたわけじゃないし、不可抗力だよ。だから平気、俺のほうこそ泣いちゃってごめんね。なんかこのところ涙もろくてさ」

「それだけ君が僕のことを思ってくれている、そう思えて嬉しくもなる」

 必死で手を伸ばそうとしてくれる光喜の存在は小津にとってかけがえのないものだ。お互いに不器用だから遠回りも多いけれど、まっすぐに彼は想いを向けてくれる。もし手を離したのと同時に光喜が諦めていたら、こんな風に抱きしめ合うこともなかった。
 彼のひたむきさが心を繋いでくれた。それは絶対に忘れてはいけないと思う。柔らかく微笑む光喜に頬を寄せて小津は想いを込めるようにきつく抱きしめた。

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