05.マジック・アイテム

 人混みの中で人目を気にせずに手を繋ぐなんてことは、これまでなかった。ふいに手を伸ばして、驚かれてから自分のしようとした過ちに気づく、なんてことはよくある。それなのに優しく手を握られて、いまの光喜の気分は最高潮だ。
 ちょっとくらいマイナスなことが起きても気にならない自信がある。いまは驚きの目も、好奇心の目も大した問題ではない。しかし中には二人を興味深そうに楽しげに見る視線もあった。

「見てみて、あの二人、手、繋いでる。可愛い」

「仲良しだね」

 通りすがりに聞こえた声に光喜が振り向くと、こちらを見ていた視線と目が合う。それとともに、きゃあきゃあと幼い少女のように騒ぎながら歩いて行く女の子たちは、実のところ初めてではなかった。

「どうしたの?」

「ううん、なんかさぁ。ある一定数、好きだよね、女の子って」

「え?」

「よくね、晴と一緒にいる時もきゃいきゃい騒ぐ子が多かったんだよ」

「二人とも格好いいからね。一緒にいると目立つよね」

「んー、まあ、見た目もあるけど、そういうことではないんだけどね」

 少しばかり言葉を濁した光喜に小津は不思議そうに首を傾げる。その顔を見る限りこういった視線にはとんと疎いように思えた。しかしいままで付き合っていた相手を考えれば、さほど異色に映らなかったのかもしれない。
 写真もぱっと見ただけでは普通の男女のカップルのように見えた。実物も、かなり少女めいていた。けれど光喜からしてみると、そういう疎い彼も可愛らしくていいと思う。

「小津さんは、小津さんのままでいてね」

「ん? どういう意味?」

「んふふ、なんでもなぁい」

「え? なに? すごく気になるんだけど」

 含み笑いをしながら腕に抱きつけば、慌てたように光喜の顔をのぞき込もうとする。それから逃れるようにしがみついた腕で顔を隠せば、情けない声で名前を呼ばれた。しかしその反応が楽しくて可愛くて愛おしくて、悪戯めいた気持ちしか浮かんでこない。
 さらに笑って勢いよく駆け出したら、珍しいくらいの大きな声で名前を叫ばれた。待ってと追いすがる彼を早く早くと急き立てれば、そのうち観念したのか膝をついてうな垂れてしまった。

「小津さーん?」

「や、やっぱり、やっぱり光喜くん、鉄砲玉だよ」

「酷いなぁ、飛び出しっぱなしじゃないから! ほらほら、ちゃんと戻ってきたでしょ? ちょっと走っただけで息が上がっちゃうなんて、運動不足だよ。たまには俺とフットサルでもする?」

「運動不足は認めるけど。光喜くんと僕とじゃ運動量が違い過ぎるから遠慮する」

「じゃあ、近所の散歩から始めよっか」

 ぐったりとした恋人を励ますように肩を叩いて、光喜は腰のペットボトルホルダーに納まってたものを差し出す。それに手を伸ばした小津は大きく息を吐き出してから、中身をゴクゴクと喉に流し込んだ。

「小津さん、もしかして喉、渇いてた?」

「うん、みたい」

「お昼食べてから結構経ったもんね。もう一本買ってくる?」

「ううん、大丈夫。ごめんね、全部飲んじゃった」

「いいよいいよ」

「あっ、あの! すみません!」

「……はい?」

 ひとしきり笑ってしょんぼりする恋人をなだめていたら、ふいに二人は大きな声に呼びかけられた。そしてそれに律儀に振り返った小津は不思議そうな面持ちする。けれど光喜は少しばかり面倒くさそうな顔をした。
 しかしそこに立つ彼女たちはその表情に気づかないのか、そわそわとした様子を見せる。

「モデルの光喜くんですよね?」

「あの私、すっごいファンだったんです! 雑誌デビューの頃から」

 常々、所属していた事務所にはファンを大事にしなさいと言われてきた光喜だが、隣にいる小津がまったく目に入っていないような反応に苛立ちが募った。それとともに繋いでいた手には力が入って、逃げていこうとするのを感じて、さらにムッとする。
 絡んでいた指が解けて離れる、その瞬間、それを追いかけて光喜は思いきりそれを繋ぎ合わた。

「ごめん、いまデート中だから、そういうのは遠慮してくれる?」

「えっ!」

「え?」

 あっけらかんと、なんの躊躇いも見せずに言い放った光喜に、隣と目の前から驚きの声が上がる。横にいる小津はいまだに逃げ出そうと必死だけれど、隠しようもないほど顔が赤くなっていた。そんな顔で否定しても無駄だと、思わず肩をすくめずにはいられない。
 さらになにか言いたげに唇をわななかせているが、あっさりと関係を口にした光喜には悪びれた様子は欠片もなかった。それどころか繋いだ手を引き寄せて、自分の左手も相手に見せつけるようにする。

「み、光喜くん!」

「ね、こういうことだから、そういうのはまた俺が一人の時にして」

「……あ、ああっ! ごめんなさい! お邪魔しました!」

「え? え? なに?」

 片方の子は深々と頭を下げたが、その隣に立つ子は理解が追いついていない顔をしている。それでも友人に片腕を引っ張られて、ぽかんとした表情のまま引きずられるようにして去って行く。そんな様子に光喜は満面の笑みでひらひらと手を振った。
 しかし真っ赤に染まる隣の彼は複雑そうな顔をして、ひどくそわそわと視線をさ迷わせている。その顔を見上げれば、さらに湯気でも出そうなほどに茹で上がった。

「これ、やっと効果を発したね!」

「こ、これは、魔法のアイテムとか、そう言うんじゃないよ!」

「んふっ、魔法のアイテムじゃん。お揃いの指輪!」

 繋いだ左手にある指輪と目の前にかざした左手の指輪。少し幅の広い平打ちのプラチナリングは去年、二人で選んで光喜の誕生日に小津が贈ってくれた。手彫りのデザインがおしゃれでいま一番のお気に入りだ。
 けれどこれまであまり見せびらかす機会がなかった。指輪を見た友人や同僚たちはいいね、と褒めてくれたが、お揃いであることを自慢できていない。

「ずっと自慢したかったんだよね。勝利なんてふぅん良かったな、ってそれだけだったし」

「冬悟は褒めてくれたよね?」

「んー、まあ、そうだけど。微笑ましく、父か兄のような眼差しだったもん」

「そう見え、なくもない、……けど。あれでいてちょっと羨ましそうだったよ」

「そうなの?」

「うん」

 思いがけない言葉に首を傾げれば小津はやんわりと笑う。それとともに気持ちが正直に浮き上がって、顔がだらしないくらいに緩む。照れたように光喜が頬を染めれば、捕まえていた手にぎゅっと握り返された。

「じゃあ、今日のことも目いっぱい自慢しよう!」

「光喜くんわりと意地悪だね。いま年度末で冬悟、忙しいのに」

「いいの! だってあの二人わりと無自覚に惚気すごいんだから。聞かされる身にもなってよ」

「それはちょっと言えてるかも。一緒に暮らせているって、やっぱりいいね」

「……うん、だよね。早く来年にならないかなぁ」

 あっという間な一年だったけれど、やはり先を考えると少し長い。しかし重たいため息を吐き出すと引き寄せられて、そっと頭を大きな手に撫でられた。その感触にうな垂れていた気持ちは簡単に上を向く。
 瞳を瞬かせて口の端を持ち上げて、にんまりと笑った光喜は背伸びをした。そんな突然の行動に対応できない小津は驚いて目を丸くする。それでも両手をぎゅっと握りしめて、そっと自分より少し上にある唇に口づけた。

「……み、つ、光喜くん!」

「あはっ、小津さん、真っ赤ぁ! かっわいい!」

「こ、こんな人のいる場所で、なにしてるの!」

「え? キス、したよ?」

「そんな可愛い顔したって駄目だよ!」

「えへ、可愛いんだ。やったぁ」

 ほんの少し怒った顔――けれどそれが見えたのは一瞬で、すぐにのぼせて赤く染まった彼は、しゅんしゅんとやかんみたいに湯気を噴き出しそうになった。それでも大人の威厳か、顔をしかめようとするから、光喜はおどけるようにちらりと舌を出す。
 そしてひらりと身をひるがえして軽い足取りで前へと進んでいく。その姿に小津は呆気に取られているが、しばらくすると慌てたように追いかけてきた。

「小津さん! 最後にあれに乗ろう!」

「観覧車? 最後って、もう、遊園地はいいの?」

「うん」

 並び立って歩く恋人は不安げな目をする。時間は昼を過ぎて数時間ほどで、夕方までもまだ間がある。もしかすると機嫌を損ねたと思っているのかもしれない。けれどその顔に満面の笑みを返して、離れた手を繋ぎ直した。
 そして光喜はまっすぐと大きな観覧車へと向かって足を踏み出した。