Feeling01
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 いつの間にか日が傾き始めた窓の外をぼんやりと眺める。そして時折、一人、また一人と会議室を出て行く生徒たちの声に、お疲れ様と返しながら、僕は手元の書類を片付けた。
 創立祭も間近に迫ると、そろそろすることがなくなって来た。いまは放課後の一、二年が集まるのみだが、それもそれほど時間を取らずに解散することが多い。あとは当日が無事終わるのを願うばかりだ。

「さて、もう誰もいないか」

 ため息交じりに後ろを振り返れば、会議室内はがらんとして誰もいなくなっていた。生徒会役員は既に生徒会室へ戻っているので、こちらへ来ることはないだろうと、僕は重たい腰を持ち上げて会議室を出た。

「センセ」

「ん?」

 部屋を施錠したのと同時か、聞き慣れた呼び声に気づき、僕は顔を持ち上げた。

「どうした、忘れ物か」

 こちらを見ている峰岸にそう問えば、ゆるりと片頬を持ち上げられた。

「なにか提出物あったか?」

 峰岸の笑みに込められた意味がわからず、僕は鞄を肩にかけて帰り支度をしている峰岸の姿に首を傾げた。

「センセ、もう終わり?」

「は? まあ、そろそろ」

 委員会が終わればもう自分はそれほどすることはない。鍵を返すついでに職員室に顔を出して、帰ろうと思っていたところだ。

「じゃあ、藤堂に会いに行くか?」

「はあ?」

 唐突な峰岸の言葉に思わず目を丸くしてしまう。しかしそんな僕の反応は既に予想していたのか、峰岸は至極楽しげに目を細めた。

「これからあいつのバイト先に行くから、一緒に行こうぜ」

「なんで?」

「この書類を届けに、それに見たいだろう? 藤堂の仕事ぶり」

 僕の言葉に含まれた二つの問いかけに、峰岸は躊躇うことなく答える。

「なんだそれ」

 そしてそんな彼がひらひらと振った、学校の名前が印刷された茶色の封筒を僕は訝しげに見つめた。するとなぜか峰岸は不思議そうな顔をして首を傾げる。

「俺、センセに説明してなかったか? 当日使う料理はあいつのバイト先で用意して貰うんだぜ。これはその契約書」

「え? そうなのか」

「ああ、いくつか候補あったんだけどな。結局あそこになったんだよ」

 驚いた顔をする僕に対し、峰岸は苦笑いを浮かべ肩をすくめた。そしていまだぼんやりしている僕の手から、さり気なく書類の束を攫っていった。

「あ、悪い」

 普段は傍若無人な振る舞いをする峰岸だが、やっぱりなに気に気遣いの出来る男だ。なにも言わずに歩いていく背中を見ながら、思わず感心してしまう。

 

「お先に失礼します」

 委員会の書類をまとめ、会議室の鍵を所定の場所へ戻した。そして職員室内に目配せし、残っている先生たちへ挨拶をすると、僕は職員玄関を抜けて生徒が利用している正面口へと向かった。

「あ、いた」

 扉の辺りへ視線を向ければ、柱にもたれた峰岸の後ろ姿を見つけた。

「……」

 しかしその後ろ姿に声をかけようと踏み出した足が止まる。どこからともなく現れた女子生徒の集団に囲まれ、峰岸は携帯電話をいじっていた手を止めて、ゆっくりと顔を持ち上げた。

「相変わらずハーレムだな」

 誰かといる時は遠巻きで見ている子たちがほとんどだが、なぜか峰岸が一人になった途端に蟻が群がるように彼の周りに人垣が出来るのだ。

「センセ」

「あ、ああ、悪い待たせた」

 しばらく黙って彼らのやり取りを見ていると、僕の視線に気がついたのかふいに峰岸がこちらを振り返った。それに合わせて僕が片手を上げれば、彼を囲んでいた女子生徒たちは皆一様に峰岸に手を振り去っていく。
 さーっと一瞬にして人が散っていくその様子は、何度見ても不思議な光景だ。

「どうしたセンセ。なにぽかんとしてんだ」

 校門に向かって歩き始めた僕の後ろを、のんびりとした足取りで付いてくる峰岸が首を傾げる。

「いや、なんとなく面白いなぁと思って」

 なに気なく彼女たちが去っていった先を振り返り、目を瞬かせれば、僕が言いたいことがわかったのか、峰岸はふっと口の端を緩めて笑った。

「ああ、一年の終わりに藤堂がキレたからだろ」

「は?」

「いまはこんなだけど、以前はところ構わずな感じだったんだぜ。朝、昼、放課後。歩けば後ろに列が出来る。教室にいれば見世物状態で、さすがのあいつもキレてさ。一人の時は構ってやるけど、それ以外は鬱陶しいから寄るなってことになってんの。基本的にあいつは近寄るなオーラがあるけどな」

 思い出し笑いなのか、突然噴き出すように笑った峰岸に目を見張ってしまう。一体どんな剣幕で怒ったのだろうか。
 派手な雰囲気がある峰岸ほどではないが、確かに藤堂もただ歩いているだけでも目に留まる。最近になって知ったが、二人はこの学校の中でも特に人気があるらしい。

「そういえば、お前たちは去年まで結構一緒にいたんだよな」

 ふいに以前、三島が言っていたことを思い出した。しかし、入学当初から二人はよく一緒にいたと聞くが、いまの二人の状態を見ていると、あまりずっと一緒にいたという感じには見えない――どう見ても水と油だ。

「ん? ああ、見込みないのに一緒にいるのしんどいだろ?」

「え……そ、そうか」

 軽い調子で笑う峰岸になんと返していいかわからず、つい引きつった笑みを浮かべてしまう。

「俺が言ったんだよ」

「なにを?」

 困惑している僕の顔を覗き込んで、峰岸はにやりと片頬を持ち上げる。その意味がわからず首を傾げると、峰岸は突然僕の肩を抱き寄せて、耳元に顔を近づけた。

「うだうだ悩んでるくらいなら告白しちまえって」

「えっ? なんで」

 ぼそりと耳元で囁かれた言葉に、思わず僕の声は上擦った。目を見開くそんな僕の表情に、峰岸はほんの少し困ったように笑う。

「なんでって」

「普通、好きな奴にそんなこと言うか?」

「……それ、センセが言うなよな。あいつが告らなきゃ、いまはないんだぜ」

 心底呆れたような眼差しと大きなため息。峰岸の反応に我に返れば、自然と顔が下を向いてしまう。そしてデリカシーの欠片もない自分の発言に自己嫌悪をした。

「センセらしいっちゃ、らしいけどな。別に気にすんなよ、センセがOKした時点で諦めた」

「諦めた?」

 本当に? 簡単に諦めてしまえるような気持ちではない気がする。
 なにかと僕に構うのは、藤堂の気を引くのが本音だろうし、気がつけばいつも峰岸は藤堂ばかりを目で追っている。同じ相手が好きな分、どうしてもそれに気づいてしまう。

「怖い顔すんなよ。それに言っただろ。俺はセンセも好きだって」

 訝しげな顔をして見上げた僕に、峰岸は珍しく含みのない優しい笑みを浮かべる。その表情に驚いて僕が目を丸くすれば、ふいに屈んだ峰岸が呆けた僕の額に口づけた。

「俺にとったらセンセもあいつも大事なんだよ。別れさせて泣かせるのは本意じゃない」

「なんで、だ」

 峰岸から見れば自分は、好きな相手を横盗る恋敵なのに――それなのに、なぜ好きだなんて言えるのだろう。

「ん? ああ、センセが可愛くて……いい人過ぎたからだろうな。泣くほど嫌なことされてんのに、またそんな奴のこと信じるような人なかなかいないぜ」

 皮肉めいた峰岸の笑みに、カッと頬が熱くなる。確かに危機感はないし、馬鹿みたいだとは思う。

「でも、お前、本気じゃなかったし」

「そこそこ本気だったけど。嫌な思いしたら、引くかと思ったんだけどな。しぶとかった」

「嘘つけ、からかっただけだろ、お前……だから峰岸は、ほっとけないと言うか」

 怖い思いはさせられたが、正直あのおかげで、藤堂が自分にとって特別だと気づいた。それに、峰岸は手はかかるが憎めないと言うか。

「なんか弟がいたらこんな感じかな、と」

「……へぇ、弟ね」

 しどろもどろな僕にポツリと呟いた峰岸の顔が、またいつものように楽しげな笑みを浮かべた。

「な、なんだよ」

「いや、なんでもない」

「お前、変な悪巧みしてないだろうな」

「さぁ?」

 肩をすくめてにやりと笑った峰岸は、疑いの眼差しを向ける僕に背を向けてスタスタと歩き始める。コンパスの長さも相まってそれを追いかける僕は、嫌でも小走りになってしまう。

「お前、絶対いまなんか悪知恵が働いてるだろ」

「センセ、早く来ないと置いてくぜ」

「こら、待て」

 笑う峰岸の背中を追いかけながら、諦めた――そう口にしてくれたことに、なによりほっとしてしまった自分の大人げない気持ちに呆れてしまう。けれど僕はそんな峰岸のさり気ない優しさに感謝した。

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