接近03
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 食事が進むとさすがに藤堂もいつまでも僕を見てばかりではなくなった。ほっと息を吐いてのんびりとスープを啜る。ようやく味がしっかりわかり始めた気がした。

「そういえば。藤堂、今日バイトは?」

 昼時になり混み始めた店内を見てふと思い出す。飲食店でバイトしているのならば、休日はなにかと忙しいのではないだろうか。けれど藤堂は僕の気持ちを読み取ったかのように優しく微笑んだ。

「ああ、休みです。日曜日はほとんど休みですね」

「日曜日はって、週にどのくらい出てるんだ」

 なに気なく問いかけた僕のその言葉に首を傾げた藤堂は、一瞬ぴたりと止まり瞬きをする。

「週五日か六日くらい? そういえばあまり気にしてなかった。日曜日以外は休みは決まっていないので」

「お前の朝の弱さは働き過ぎじゃないか。サラリーマンじゃあるまいし」

 学校へ行ってバイトも週五日はいくらなんでも働き過ぎだ。呆れた顔で藤堂を見れば苦笑いを浮かべていた。

「人の心配の前に自分の心配しろよ。学生で過労って笑えないからな」

「先生がそう言うなら気をつけます」

 眉を寄せた僕に藤堂は小さく笑って肩をすくめる。しかしどこかはぐらかすようなその仕草は、藤堂が持つもう一つの顔を隠す。
 いつも柔らかく笑い、感情的になり得ない雰囲気を醸し出している藤堂だが、時々表情や言葉、態度の端々に違和感を覚えることが多い。多分僕には見せない普段の藤堂がそこにいるんだろう。

「本当か? 実は案外、人のこと言ないくらい無茶するタイプだろ」

「どうでしょう」

「お前は意外と嘘をつくのうまいよな」

 含みのある言葉を返す藤堂に呆れた視線を向ければ、ふいに困惑したような表情を浮かべた。

「たとえそうでも、あなたが好きなことだけは嘘じゃないですよ」

「……」

 ほんの少し寂しそうに笑った藤堂に、心臓がぎゅっと鷲掴みされたみたいに痛んだ。軽くからかうつもりで言ったけれど、もしかしたら藤堂を傷つけてしまったかもしれない、そんな後悔が残ってしまった。

「先生、ちゃんと全部食べましたね。偉い偉い」

「……そんなこと褒められても嬉しくない」

 ぐるぐると色んなことを考えながら手を動かしていたら、いつの間にか僕は最後の一口を完食し終えていた。するとほぼ同時に藤堂も手を止め、空になった皿を見て満足げに笑う。かなりゆっくり食べていたにも関わらず、このタイミング。ちらりと藤堂を見ると彼は小さく首を傾げる。

「なんで、かな。もったいない」

 思わず出た僕の小さな独り言に藤堂は首を捻る。
 ここまで気遣いができて、顔もよくて性格は――ちょっと意地が悪いところもあるが、おおむねよくて、そんないい男がなんで自分なのかと、今更ながらに少し残念に思えてきた。本当に、こんなになんの取り柄もない僕なんかのどこがいいのだろうか。

「なんですか? 人の顔を見てそんな可哀想なものでも見るような目は」

「……なんでもない」

「どう見ても、なんでもない顔じゃないですけどね」

 眉を寄せた藤堂に僕は小さく息を吐いた。僕が考えても答えは見つからない気がしたので、それ以上考えるのはやめることにした。

「そろそろ行くか」

 いまだ納得のいかない表情を浮かべる藤堂を尻目に僕はのんびりと席を立った。
 そして会計時に財布を出した藤堂を無理やり下がらせ、それを開かせなかったのはなけなしの大人の意地。正直、男としては小さいけれど。でもやはり自分のほうが歳上だし、社会人と学生という立場から考えたら、こちらが支払うのは当然な気がして譲れなかった。

「ご馳走様です」

 でも逆にすぐに引いて僕を立てた藤堂のほうが、スマートで大人だと思ってしまった。

「だいぶいい時間だな」

 なんだかんだと長居をしたカフェを出て、時計を見れば十二時になるところだ。通りは人も増えて少し賑やかになってきた。

「ここから近いですよね。さらに通りが混む前に行きましょうか」

 先ほどまでは昼前で人がまばらだったが、駅前のこの通りは休日は人で溢れ返る。その混雑は正直辟易するほどだ。それを想像してわずかに顔が険しくなった僕の顔を覗き込み、藤堂は目を細めて笑った。
 その表情の意味を、僕はなんとなくわかり始めてきた。

「いま思ったことは口に出すなよ」

 ふいに口を開きかけた藤堂よりも先回りして、その言葉を制する。けれど彼は一瞬目を丸くしてそれを瞬かせる。

「可愛い」

「だから言うなって言ってるだろう!」

 予想通りの言葉に僕が眉をひそめるのに対し、藤堂は至極楽しそうに頬を緩める。

「無理です。だって」

「可愛くない!」

 なおも言い募ろうとする藤堂を一蹴して、僕はずかずかと大雑把に歩き始めた。足早に歩き出した僕の後ろを、藤堂は少し慌てたように追いかけてくる。

「ちょ、先生」

 焦ったような藤堂の声に、してやったりと僕はほくそ笑んだ。

 

 人の波を縫って歩いていく。目的もなくぶらぶらして歩くことがあまり好きではない僕は、のらりくらりと道を歩くのも好きじゃない。
 隙間を見つけては目の前の人を追い抜き歩みを進める。だがその歩みを引き止めるように、ぐいと左手を強く掴まれた。突然触れたその手に驚き、肩を跳ね上げれば耳元で小さなため息が聞こえる。

「意外とせっかちですね」

 その声に顔を上げると、藤堂が困惑した面持ちでこちらを見ていた。

「ああ、悪い。つい癖で」

 隣に並んだ藤堂の姿に我に返り、申し訳なく思い僕は頭を下げた。
 昔からとにかく人混みが嫌いで、無意識にそこを早く通り抜けようと足早になってしまう。この癖のせいで、いままで付き合っていた子たちに大ひんしゅくを買い、さんざん文句を言われていたことを思い出した。

「俺は別に構いませんけどね」

「……?」

 人の心を読み取ったかのようなタイミングで、ぽつりと呟いた藤堂の横顔を思わず凝視してしまう。

「俺は見失ったりしませんから」

 僕の視線に気がついたのかこちらにちらりと目を向け、藤堂は微笑みを浮かべた。そして掴まれたままだった手にはいつしか藤堂の指先が絡みつき、ぎゅっと強く握られる。
 繋ぎ合わされたその手に気づくと、僕はその手と藤堂の顔を見比べ水面に顔を出す魚のように口をパクパクとさせる。

「こうしていれば、はぐれないでしょ?」

 繋いだ手を持ち上げ僕の指先に口づけた、その藤堂の大胆な行動に僕は言葉も出ない。だがわずかに揺れた周りの空気に我に返ると、僕は脇目も振らず先ほどよりも速い足取りで歩き始めた。
 理性より本能が勝った瞬間だ。あそこで立ち止まって状況確認などしていられない。本能的に僕は逃げた。

「せ、せんせ……」

「いまはなにも言うな!」

 歩くというより、もはや小走りに近い僕に藤堂はなにか言いたげに口を開くが、いまそんなことを聞いている余裕は僕にはないのだ。
 混んでいるとはいえ、道の真ん中で男二人が手を繋いであんなことをしていて目立たないわけがない。藤堂の手は繋がれたままだが、この際それはどうでもいい。とにかくこの場所から逃げ出したい。
 ついでに穴があったら入りたい。

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