すれ違い08
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 驚いて身体を起こしたのと同時か、カシャリと音がした。

「え?」

 視線の先で携帯電話を構えているその姿に、思わず目を疑った。そして一見しただけでは誤解を与えかねないであろう、僕と片平の状況にめまいがした。

「センセ、密室でいやらしい」

「どこが密室だ」

 戸口にもたれ、わざとらしく含み笑いをしながら携帯電話をいじるその様子に、ため息しか出てこない。

「峰岸」

「残念。もう保存した」

 顔をしかめた僕に、峰岸は目を細めて至極楽しそうな笑みを浮かべる。しかし、その反面――。

「なんであんたがこんなところにいるのよ!」

 峰岸の姿を認めた途端、ひどく機嫌を損なった様子の片平は、不快を露わに顔を歪めた。女子で峰岸をここまで毛嫌いする子は初めて見たような気がする。確かに入れあげたり熱を上げたりしてない子も中にはもちろんいるが、それでも峰岸の目を惹くほどの容姿だ、好きか嫌いかと聞かれて、嫌いだという女子の方が珍しい。

「お邪魔して悪かったな、あずみちゃん」

「やめてよキモい。あんたに呼ばれると鳥肌が立つから!」

 こちらへゆっくりと歩いてくる峰岸を追い払うように手を振りながら、片平はわずかに後退し僕の横に並ぶ。片平の峰岸嫌いは相当のようだ。

「そんなに怯えると苛めたくなる」

「黙れ! 万年発情男」

「なんだ、まだ根に持ってるのか。あんなの挨拶程度で、ちょっと口の端にキスをしただけなのに。案外ウブだな」

 顔をしかめた片平に満面の笑みを浮かべる峰岸。その姿になぜか深いため息が漏れた。片平の峰岸嫌いの原因はこれか。
 峰岸の行動はもはや、セクハラや痴漢行為そのものだが、彼だからこそこの程度の反応で済むのだろう。普通だったらもっとひどくなじられて、訴えられても文句は言えない。いや十分片平の言葉は暴言ではあるが、されたことを思えば当然か。

「峰岸、あんまり女子をからかうな」

 学校一の色男は王様気質で頭が痛くなる。

「からかってるんじゃなくて、可愛がってるだけ」

「それじゃ、尚更タチが悪いだろう」

 目の前に立った峰岸を見上げれば、飄々とした雰囲気でまるで悪びれた様子はない。
 そうだ、峰岸は元々こういう少々タチの悪い生徒なのだ。教師たちも皆、普段から彼に軽くあしらわれ、言いくるめられ、あまり頭が上がらないところがある。しかしこれでいてリーダーシップは強いので、不思議と周りに人は集まる。だがやはり一癖ある性格だ。

「で、どうした。珍しくここに来るなんてなにか用か?」

 なんの顧問や担当もしていない僕は峰岸にとって、まったくと言っていいほど用がない人間のはずだ。

「ああ、そうだ部長会議が始まってるぜ、片平部長さん」

「えっ、あ、ヤバい」

 峰岸の言葉で腕時計に視線を落とした片平は、慌てて戸口に駆け出した。しかしふいに立ち止まってこちらを振り返る。複雑そうなその面持ちに首を傾げれば、さらにくしゃりと顔が歪んだ。

「西岡先生に変なことしたら許さないからね」

「おい、変なことってなんだ」

 峰岸を睨みつけ、ぴしゃりと戸を閉めてしまった片平に僕は思わず眉をひそめてしまった。それにしても相変わらず台風のような去り際だ。しんとした室内に僕のため息だけが残される。片平の言葉にひどく嫌な予感がしたが、とりあえず目の前に立つ峰岸を見上げた。

「……で、僕への用事は?」

 様子を窺いながら首を傾げれば、こちらを見ていた峰岸がふっと口の端を緩めて笑う。

「創立祭の顧問をしてくれないか」

「顧問?」

 ひらりと目の前に差し出された紙と峰岸を見ながら、僕は首を捻る。それは顧問引き継ぎの書面だった。

「生徒会主催は生徒会顧問が見るんじゃないのか」

「あの人このあいだ、事故っただろ」

「あ、ああ」

 峰岸の言葉にふと思い出す。そういえば、いまの生徒会顧問の先生は酔っ払って階段からダイブして――全治三週間だ。いささか遠い目をすれば峰岸はゆるりと口の端を持ち上げ、苦笑いを浮かべる。そう、思わず苦笑したくなるくらいあの人は行動を予測できない先生なのだ。

「仕事もできていい先生なんだけどな」

「いまフリーなのは西岡センセくらいなんだよ。戻ってくるまでいいだろ?」

「うーん、そう言われるとさすがに弱いな」

 こういった行事ごとは捕まらないよう、わざと気配を消し逃げていたので、見つかると正直逃げ場がない。

「二、三週間くらいならいいだろ?」

「うーん」

 それでもなお渋る僕に、峰岸はふと目を細めて身を屈めた。身体を寄せるように背もたれに手をつかれると、ぎしりとバネが軋む鈍い音がする。

「じゃあセンセ、いまここで俺とキスするのと顧問をやるのとどっちがいい?」

「あのな、それは脅迫って言うんだよ。そんなの決まってるだろ」

 呆れたように息をつけば、なぜか少し意外そうに峰岸は首を傾げる。

「なんだ?」

「あんた意外と危機管理能力がないな」

「は?」

 言っている意味がわからず訝しげに見れば、峰岸はふいに顔を傾けそれを近づけて来た。さすがにここまでくれば、鈍い自分でもわかる。

「ちょ、ちょっと待て」

 慌てて身体を捩り顔を背けると、無防備にさらけ出された首筋に噛みつかれた。

「うわあ!」

「なんつう色気のない声を出すんだよ」

 わざとらしくリップ音を立てながら唇を離した峰岸が、納得がいかないような顔で僕を見下ろす。

「うるさい、色気なんか出てたまるか」

 ちりちりとする首筋を押さえて文句を言えば、不満そうだった峰岸の顔が微かに緩む。

「なるほどね。反応が可愛くて苛め甲斐があるんだな」

「なんでお前に苛められないといけないんだ」

 一人納得したように頷き、人の顔を覗き込む峰岸を押しのけた。しかし距離を取ろうとしたその行動を阻むように、膝を割られ身体をそのあいだに置かれてしまう。

「なんでそんなに近い」

「苛めたいから」

 慌てる僕を尻目に峰岸は至極機嫌よさげに目を細める。さらに椅子の隙間に片膝をつかれ、身を屈められれば一気に峰岸との距離が狭まってしまう。そしてこうなると、どんなに精一杯避けようとしても逃げ場はなく、仰け反るように身体が浮いてしまう。この体勢は逆に不利だ。

「センセ、誘ってんの?」

 揶揄するようにゆるりと口の端を上げ、峰岸は背中にできた隙間に容易く腕を差し込んだ。

「ふざけるな離せ」

「離さない。センセこれから楽しいことして遊ぼうか」

「誰が遊ぶか!」

 無駄に色気のある低い峰岸の声に思わず肩が跳ね上がる。

「お、大人をからかうな」

「からかってない。可愛がってるだろ?」

 背中を撫でていた手がいつの間にか腰へ回り、強引に抱き寄せられた。顎を掴まれてそらした顔を上向きにさせられると、一気に血の気が引いていく。

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