休息08
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 藤堂の傍へ行くが、なにか考え事でもしているのか僕の気配に気づいていないようだった。こちらを見ながらにやりと笑う明良。そしてそれに比例するように藤堂はどこか落ち着かない様子だ。

「こういうのが鈍いやつでよかったなぁ」

 俯いたまま一向に顔を上げようとしない藤堂に、ますます明良は楽しげに笑う。明良がなんのことを言っているのかさっぱりわからない。先ほどの誰がどこで寝るかということだろうか?
 大体、なぜ藤堂は僕と一緒にいることを嫌がるんだろうか。これが明良の言う僕の鈍いところなのか。

「藤堂?」

 下を向いた顔を覗き込むように身体を傾ければ、やっと僕の存在に気づいたのか、藤堂がゆるりと顔を上げた。そして傍にいた僕に驚いた様子を見せる。

「どうした?」

「いえ、なんでもないです」

 ため息を吐きながらこちらを見上げる、その表情に僕は目を細めた。ぎこちない笑みがますます怪しい。心がここにあらずといった感じでちっともなんでもないようには見えない。

「佐樹さんは、わからないままでいてくれたほうがいいです」

 もの言いたげな僕の視線にほんの少し肩をすくめた藤堂は、言葉を先回りするかのようにやんわりと見えない線を引く。その言葉と拒絶に似た感覚に少し胸が痛んだ。

「明良は知ってても?」

 どうして明良にわかって僕にわからないんだろう。それがひどく悲しくなる。

「そうですね、そのうち」

 煮え切らない曖昧な返事――そのうちと言って、一体いつ話をしてくれるのか。この調子ではこのまま曖昧に濁してずっとなにも言ってくれない気がする。

「そのうちっていつ」

 そんな藤堂の反応に、また僕はいつもの苛々を募らせてしまった。誰だって口にしたくないことや、人に知られたくないことはたくさんある、というのは頭ではわかっているが、胸の内側から込み上がる感情はどうしても抑えられない。もう自分の感情が自分のものではない気がしておかしくなりそうだ。

「なんで明良と仲よくなってんだよ」

「なんとなく、ですかね」

 半ば八つ当たりに近い僕の問いに藤堂は笑って答えをはぐらかした。そしてそんな答えに思いきり顔をしかめれば、さらに苦笑いを浮かべて藤堂は僕の手をなだめるように握った。

「苛々する」

 その手は温かかったけれど、心でくすぶる気持ちはやはり拭えなかった。そしてぽつりと呟いた僕の言葉に藤堂は目を見開いた。

「佐樹、さん?」

 小さく僕の名前を呼んで、藤堂は焦ったように瞳の奥を揺らした。その不安げな視線に胸を鷲掴まれたような気分になる。やはり僕は彼のこの顔には弱い。どことなく落ち着きをなくした藤堂の手を解くと、僕は手のひらを合わせるように繋ぎ直す。
 そのほんのわずかな瞬間――離れそうになった僕の手を、藤堂の指先は躊躇いがちに追いかけてきた。そして繋ぎ合わせた手とその指先に込められた力に、どうしようもなく安堵して僕は頬が緩んだ。

「お前ら砂吐く、人前でいちゃついてんじゃねぇよ。独り身にどんな仕打ちだよ」

「吐きたきゃ吐け」

 投げやりなほど素っ気なくそう返せば、明良は目を丸くしまじまじと僕を見つめる。その視線はいささか居心地の悪いものだったけれど、繋ぎ合わせた藤堂の手を離す気にはなれなかった。

「佐樹、お前さ。こないだ会った時に相当だと思ったけど、どんだけそいつにメロメロなんだよ。おいおいダーリンすげぇな」

 僕と藤堂を見比べ長く大きなため息を吐き出すと、明良はオープンキッチンへ足を向けておもむろに換気扇を回す。そして胸ポケットから抜き出した煙草をくわえて、肩をすくめた。
 明良が言っているのは初めて藤堂のことを話した時のことだろう。そんなに相当と言われるほど、すでにあの時の僕は藤堂のことを想っていたんだろうか。いまはその時よりもずっと想いが強過ぎて、迷いだらけだったあの時の気持ちがどれほどだったかよくわからない。でも間違いなくあの時、すでに藤堂には惹かれていたんだということだけはわかる。

「化石が生き返るってのは、ある意味奇跡だな」

「悪かったな化石で」

 このあいだから枯れてるだの化石だの言いたい放題な明良に顔をしかめれば、盛大に笑い飛ばされる。
 けれど日に日に藤堂に対する想いが強くなっていて、独占欲の塊が胸を占めていることは自分でもよくわかってはいる。藤堂のことが見えないのも、わからないのも嫌だなんて気持ちはひどく醜い。そう頭でわかっていても最近は気持ちが暴走してしまうのだ。本当に明良の言うように、化石が生き返った、というのはあながち間違いではないかもしれないとさえ思う。

「なんか重いよな」

 でもどうしても、藤堂だけは離したくない。いまそれは自分にとって絶対に耐えがたいことのような気がする。自分の気持ちがひどく重たく感じた。こんな感情、いままでなかったはずなのに、いままでとなにが違うのだろう。

「いいんじゃねぇの。お前、昔から欲しがらないしな。それくらいの我がまま、言っとけば」

 ゆらりと立ち昇った紫煙の向こうで、明良はゆるりと笑う。先ほどまでのからかいを含んだ笑みではなく、至極優しい微笑み。
 明良にそんな風に笑われると調子が狂う。いつも人をからかったり小馬鹿にしたりするのが明良だから、優しくされるのはむず痒くなってしまう。

「……布団、出してくる」

 どことなく居心地悪さを感じて一歩後ろへ下がると、繋いでいた藤堂の手が離れていく。その手の温もりがなくなることがひどく名残惜しく思えたが、僕を見上げて小さく笑った藤堂に不思議と安堵した。藤堂が優しく微笑んでくれるだけで、僕の中のモヤモヤはすっと晴れていくような気分になる。
 僕の心をかき乱すのも、癒やすのも藤堂しかいない。

「俺も手伝いましょうか?」

「いい、すぐ終わるから、ここで待ってろ」

 首を振る僕に目を細めて笑うと、藤堂は離れた手を指先で持ち上げ、いつものようにその先に口づけた。その優しい行為に胸がほんのり温かくなった。なにかあるたびにこうして指先に口づけられると、ああ、いま藤堂に想われているんだ。そんな不思議な安堵感が胸に広がる。だからこの行為には、思っている以上に深い想いがあるような気がしている。

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