邂逅01

 窓から見える夕焼け空の景色の中に、グラウンドで走り回る運動部の生徒たちや、下校する生徒たちの姿が見えた。
 久しぶりにやってきたこの部室の窓からは、相変わらず色んな景色が見える。机上に散らばった写真を片付けながら、ふと長いこと見つめていた窓から視線を外し、僕はそのあいだずっと閉まったままの扉を振り返った。

「お前ら、いつまでやってるんだ」

 ほんのわずか隙間を空けて、中を覗く。明るいこちら側の室内に比べて、向こう側は真っ暗だ。けれどカーテンの隙間から奥へ視線を向けると、セーフライトの赤い光が見えた。目を細めて人の気配を探れば、それを察する前に楽しげな声が聞こえてくる。

「これすっごいピンボケ」

「ちょちょ、これ天才的だと思わねぇ」

「ああ、これやっぱあっちで撮ればよかった」

 暗い室内ではこちらのことなどまったく気づいていない様子で、皆様々にネガを覗いたり、写真を吊したりしていた。

「あ、ごめん西やん。なんかいま盛り上がっちゃってる」

 ふと目の前が遮られ、上から降ってきた声に顔を上げれば、三島が少し困ったように僕を見下ろしていた。その顔に肩をすくめて笑うと、背後を指さされ、促されるように僕は扉から身を離した。

「しばらくあの調子かも」

 暗室から出てきた三島は手近の椅子に腰かけて、机上に置いてあったペットボトルを掴む。

「ごめんね、代理で来てもらってるのに」

「いや、これから展覧会もあるから仕方ないだろ。それに代理顧問とは言っても、いつもと変わらず大して僕のすることはないからな」

 所詮代理と言っても、顧問の先生が不在の時に部室内の施錠確認や備品管理をするのが精々だ。今日は特にすることもなかったので部室に顔を出しているだけのこと。本来だったらわざわざ部室に来る必要もない。
 
「うーん、三年なんかは最後だから、余計気合いが入っちゃってるんだよね」

 封の開いていないお茶のボトルを僕に手渡しながら、三島は苦笑いを浮かべる。その顔に小さく笑って僕は三島の向かい側の椅子を引いた。

「そうだよな。やっぱり最後となると入れ込み具合も違うよな」

「そういえば昔、西やんも写真部だったんでしょ。どのくらいやってたの?」

「中学、高校だけ。大学までは続けなかった」

「そうなんだ」

 なにかと代理を頼まれるのは、昔少しだけ経験があるという簡単な理由。でもここに来ると少し懐かしい気分にはなる。いまの三島たちのように楽しんでいた学生時代を思い出す。

「うちの写真部は誰もデジタルのやついないんだな」

「うん、顧問の先生のこだわりでもあるんだけど。フィルムのほうが味があるからって、部活内ではデジタルカメラは禁止なんだよね」

 部内の戸棚に並ぶ備品のカメラは、古いものから新しいものまですべてアナログの一眼レフ。きちんと整備されているのかどれも現役だ。顧問の先生はいささかカメラオタクなところがあるのでなおさらか。

「まあ、気持ちはわかるけど」

 昔は僕もアナログのカメラを触るのが好きだった。手間をかければかけるほど思うような写真が撮れるようで、それがすごく楽しかったんだ。いまは性能のいいデジタルカメラで簡単に綺麗な写真が撮れるけど。

「いまでも結構好きなんだ」

「まあな」

 いまでこそ写真を撮ること自体少なくなったが、それでもいまだにカメラを触ったり見たりすればワクワクするし、写真展や展覧会に行くのも好きだ。

「始めたきっかけってある?」

「うーん、そうだな」

 首を傾げた三島の視線に、僕は昔の記憶を巻き戻すかのように目を細め、考えてみる。色んなことが思い浮かぶけれど、はっきりとした印象は一つだった。

「ああ、父親かな。プロだったわけじゃないけど、ずっと写真撮ってる人だった」

 小さい頃にあちこち連れ回された記憶がある。休みの日になればどこへでも飛び出して行ったので、実家に帰れば家族写真を綴じたアルバムが何冊もあったはずだ。

「あの人がいなくなってから、あまり触らなくなったのかもしれないな」

「……もしかして西やんのお父さん、亡くなったの?」

「そ、もうどれくらい経つかな? 高校に入った年だった気がする。病気を患ってな、あっという間だった」

 あれは本当にあっという間の出来事だった。医師に宣告されてから、さほど時間が過ぎないうちに父はいなくなってしまった。人生は明日、いや次の瞬間なにが起きるかわからないものだと思った。

「そんな顔をするな」

 急に曇った三島の顔に僕は軽く笑って見せる。それはどうしたっていつしか来る別れだ。それが少しばかり早かっただけのこと。それにもう随分と時間が過ぎて、いまではほんの少し思い出が残っている程度だ。

「じゃあ、お母さん大変だったね」

「え? ああ、そうだなぁ。上がだいぶ大きかったから、少しはマシだったろうけど、大変だったとは思う」

 三島の言葉に一瞬だけ僕は戸惑った。なぜなら人は大概僕に対して大変だったねと言う。だがいまそう言われなかったのが不満だったのではなく、三島はほかの誰よりも母親の心配をした。そのまっすぐな気持ちが少し嬉しかったのだ。

「そうか、そういえばお前の家は、お父さんと中学生とまだ小さい弟の四人だったな」

「うん、うちの母さんは産後のひだちが悪くて、一番下の弟が生まれてすぐに。だから男ばっかりで暑苦しいんだよね」

「それならうちは、女ばっかりで肩身が狭いぞ」

 三島の柔らかい和みのある雰囲気は、男だらけとはいえ相当な癒やし要素だろう。彼が怒った姿はまだ一度しか見たことがないけれど、家ではやはり厳しかったりするのだろうか。

「どしたの? 俺の顔になんかついてる?」

 気づいたらじっと三島の顔を見つめていた。その視線にものすごく怪訝な顔をされてしまった。

「いや、三島の普段ってどんな風かと思って」

 三島は藤堂や片平といる時でさえ、いつも一歩後ろで見守っているような雰囲気がある。それはどこか父親や母親みたいな包容力だ。

「家ではさすがに怒鳴ったりもあるよ? すぐ下の弟はどんどん生意気になってくるし、一番下はまだ小さいから目を離せないし」

 下の弟たちを思い出したのか、三島の眉間にしわが刻まれる。自分は下に兄弟がいないので、その気持ちを残念ながら理解してやることは出来ないが、なんとなく大変そうなのはひしひし伝わってくる。

「そうか、いい兄ちゃんだな」

 さり気ない三島の気遣いや優しさは、藤堂のとはまた少し違った感じで、つい安心し過ぎて涙腺が緩むこともある。背も高いし、手も大きいし、少しだけ記憶の隅に残っている父親みたいな温かさを感じるのかもしれない。
 いま思えば自分は長男で末っ子だったから、父親に甘やかされてたんだな。昔を思い出して少し気恥ずかしくなった。そしていつも三島や片平に世話を焼かれているそのわけが、なんとなくいまわかった気がする。
 自分は甘やかされるのに弱い完全なる末っ子体質なのだ。そんなことを今更思い知って肩ががっくりと落ちてしまった。