邂逅02
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 昔から僕は両親にも姉たちにも怒られたことがほとんどない。いつだって仕方ないねと笑って頭を撫でられる。それを不満に思ったことは一度もないが、自分の甘さを実感してしまう。

「いい兄でいるのもなかなか大変だよ」

「そうか、でも頼られるのはいいと思うぞ。うちは下もいないし、上が強いからなぁ」

 母に姉二人――我が家は女が個々に強いので、あまり頼りにされることがない。僕はいつも彼女たちの後ろをついて歩くばかりだ。

「うーん、でもいたらいたで面倒だよ。だけど西やんは生徒にはすごく頼りにされてるし、愛されてると思う。ちょっと不器用だけどね、いい先生だよ」

「なんだよ、その不器用って」

 褒められているものの、少々その内容に納得がいかない。僕を横目に見ながら小さく肩をすくめた三島に思わず口を曲げてしまう。

「西やんのいいところは、ほかの先生たちが面倒くさがって聞いてくれないような、小さな声にも耳を傾けてくれること」

「でも、全部背負おうとして潰れちゃうとこが不器用」

「え?」

 ふいに三島の言葉に続き聞こえてきた声に振り返れば、締め切られていた扉が大きく開いた。静かだった室内の空気が揺れて、人の気配が広がる。

「終わったのか?」

 ぞろぞろ暗室から出てきた生徒たちに首を傾げれば、その先陣を切って歩く片平がにこりと笑った。

「まあね。でもまだ少し撮り直しかな。今日はこれで解散」

「そうか」

 その片平の言葉とほぼ同時か、皆一様にそれぞれの荷物を手に帰り支度を始めた。

「西岡先生ばいばい」

「先生さようなら」

 次々と頭を下げて去っていく生徒たちにひらひらと手を振れば、いつの間にか室内には片平と三島、そして自分だけが残された。

「弥彦、今日もまたおじさんは遅いの? ご飯どうする?」

「うーん、今日は大丈夫。残り物もあるし、なんか適当にやるよ」

 ほかの生徒たち同様、荷物を片づけていた片平が三島を見ながら首を傾げる。それに対して三島はゆるりと笑みを浮かべて首を振った。

「なんだかお前ら夫婦みたいだな」

「は?」

「え?」

 ごく自然な二人のやり取りに思わず口が滑る。当然言われた二人は目を丸くして固まった。

「悪い。変な意味じゃなくて」

 一瞬、しんと静まり返った室内に、僕は慌てて首を振った。付き合っていそうとかそんな意味ではなかったのだが、変な誤解をさせたかもしれない。

「夫婦ってより、弥彦はデカい弟みたいな感じよねぇ」

「まあ、俺たち家族付き合いが長いから、弟も普通にあっちゃんのこと姉ちゃんだしね」

 慌てふためく僕に、二人は似たような表情を浮かべて肩をすくめる。どうやら僕が思うよりも先ほどのことは気にしていないようだ。少しほっと息をついてしまった。

「普段から一緒のことが多いし、もう家族みたいなものよ」

「ふぅん、楽しそうだな」

 なんだかすごく賑やかで仲のよさそうな家族だなと思った。僕の家族は普段から全員集まることは少ないが、たまに揃った時の一家団らんな雰囲気はやはり好きだ。

「あ、お母さんからメールだ。弥彦ちゃんのご飯はどうしますかって。いらないんだよね?」

「うん、大丈夫。今日は父さん遅いしうちで食べるよ」

「あーもう、うちのお母さんと弥彦のお父さん、早く再婚しちゃえばいいのにね。面倒くさいったらない」

 震えた携帯電話を開きぶつぶつと呟いていたが、片平は鞄を肩にかけるとくるりと身を翻した。そしてこちらを振り向き大きく手を上げる。

「それじゃ、お先に!」

「ああ、気をつけて帰れよ」

 いつものように慌ただしく駆け出した後ろ姿に、思わず苦笑いが浮かんでしまう。しかし片平はなにかを思い出したのか、小さく「あっ」と呟くと戸口で立ち止まった。その様子に首を傾げれば、くるりとスカートを翻しながら再びこちらを振り返る。そして僕にまっすぐと指先を向けて笑みを浮かべた。

「先生、今日のご褒美が机の上にあるから持って帰って! じゃあね!」

「え? あ、ああ」

 楽しげな表情を浮かべ、笑いを堪えるようにして口元に手を当てた彼女に、思わず首を捻ってしまった。片平があの仕草をする時はいつもなにかを企んでいることが多い。

「ご褒美ってこれかな」

「ん?」

 三島の声に振り返ると、右手に透明なシートで包装された小さなお菓子。左手には淡いピンク色の封筒を持っていた。

「これなんだ」

「さぁ?」

 お菓子はともかく、封筒の中身がわからない。僕が首を傾げれば、三島もまた不思議そうに首を傾ける。しかしここで顔を突き合わせていても仕方がないので、受け取った封筒を開けてみることにした。

「あ、写真……って、これ若干、盗撮気味な気がするのは気のせいか?」

 封筒から出てきた写真には、いまやすっかり見慣れた藤堂の姿が映っていた。誰かと話しているところなのだろうか。その表情は普段自分が見ている笑みとは少し違って、ちょっと新鮮だ。

「ん、多分。気のせいじゃないかも。またこんなの撮ってるんだ、あっちゃん。昔から優哉の隠し撮りを、一枚五十円とかで売ってたんだよね」

「なにをしてるんだあいつは」

 片平らしいと言えばらしいのだが、それに需要があるのが正直少し気に入らない。やっぱり昔から藤堂はモテていたんだろうな。

「そういえば」

「どしたの」

「藤堂って確か、一人っ子なんだよな。あまり家族で食事したことないって言ってたけど」

 いままで家族の話をしていたせいか、ふいに藤堂がうちへ泊まりに来た時のことを思い出した。みんなで集まって話したり、食事をしたりするそんな些細なことが本当に楽しかったと言っていた。

「ああ、優哉のお父さんもお母さんも忙しい人なんだ。だから小学校くらいまでは、よくみんなであっちゃんの家に集まってたんだけど。……中学になってからは」

「なってからは?」

 急に口ごもった三島を見つめると、なぜか困ったような顔で見つめ返される。

「うーんと、なんて言うか。あんまり俺たちにも、自分の家にも寄りつかなくなっちゃって」

「反抗期?」

 いまの藤堂からはまったく想像はつかないが、思春期ともなれば誰しもそんな時期はあるものだ。けれど複雑過ぎる三島の表情を見ると、なんとも言いがたい気分になった。

「反抗期、なのかなぁ。前に言ったでしょ。中学までは全然喋らない、笑わない、物事興味なしって」

「ああ」

 でもいまは毎日のように声を聞かせてくれるし、笑顔を見せてくれる。それにバイトを一生懸命やってる姿を見れば、興味がないなんてことはありえないだろう。

「んー、なにかあったのか、中学の頃」

「あれ、西やん。これもう一枚あるよ」

「ん?」

 一人で唸っていると、三島が手元の写真を指先で引っ張る。すると藤堂の写真に重なっていた、もう一枚が下から出てきた。

「これ誰だ」

「え? これも優哉だよ」

「これ、藤堂?」

 三島の言葉に、思わず二枚を並べて見比べてしまった。
 一枚はいつもの藤堂。けれどもう一枚は見慣れない制服をきた青年、いや制服と言うことは少年か。本当にどちらも藤堂なのだろうか。雰囲気が随分と違い過ぎる。随分と大人びた眼差しだ。でもこの藤堂はどこかで見たことがある。

「これいつ頃の写真?」

「えーと、この髪の長さは、多分。中三くらいかなぁ」

「ふぅん」

 それはいまから約二年と少し前だ。入学した時の藤堂はいまと同じだったのだろうか。それともこの写真の藤堂だったのか。藤堂と僕は一番初め、一体どこで出会ったのだろう。
 藤堂が中学三年の頃――僕の記憶に残るものが間違いでなければ、確かにこの写真の藤堂と出会っていたはずだ。

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