夏日02
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 というのも二人で旅行に行ってから藤堂の態度が前よりはっきりして、喜怒哀楽がわかりやすくなった。時々甘えたりもしてくれて、それはものすごく嬉しいのだけれど、その分だけこうしてブラックな部分もはっきりしてきた。

「……もう、いいです。先生に怒っても仕方ないですし、先生に怒ってるつもりもないですし」

「もういいってなんだ?」

 明らかに不機嫌なのがわかるいつもより低めの声は、かなり素っ気ない物言いをする。そんな声にこちらはつい顔色を窺うような眼差しになってしまうが、それでも僕はじっと藤堂の目を見つめ返した。

「あの人に遠慮しても仕方ないのは、ここ最近のやりとりでわかりました。だからもういいです。謝らないでください」

「でもまだ怒ってるだろ」

「それは、察してください。俺、そんなに出来た人間じゃないんで、すぐに気持ち切り替えられるほど器用じゃないです。だからもう謝らないでください」

「う、うん」

 ため息交じりに髪をかきあげ、それをくしゃりと乱して頭を抱えた藤堂は、気持ちの整理でもするかのように目を閉じた。
 ここが渡り廊下でもなく学校でもなかったら、いますぐにでも抱きしめてやれるのに、もどかしい気持ちが心の中に生まれる。

「とりあえず、遠慮なくいままで通りに顔出しますので」

「ああ、でも」

 毎日弁当を持ってくる藤堂は間宮にどう映るだろう。しかしすでに藤堂が来るのが当たり前であるかのように、間宮は挨拶をしている。もはや心配するだけ無駄かもしれない。けれど変に勘ぐられてしまうのは嫌だなと思った。

「いいんです。あの人の場合は変に隠したり、嘘ついたりしても無駄な気がします。意外とよく人を見てるタイプですよ。それに隠そうとするほうが詮索されやすくなりますから」

「そういうもんか?」

 藤堂が言うほど間宮が敏感そうとか聡そうなどというところは、一度も感じたことがないけれど、藤堂の目に映る間宮は僕とは違うのだろうか。
 首を捻る僕に藤堂はふっと口元を緩めて優しく笑みを浮かべた。

「先生がなにも感じないのは、裏表がなくてまっすぐだからです」

「あいつも、裏表とかそういうのなさそうだけどな」

「あんまり油断しないでくださいね」

「そこまで警戒しなくても」

「先生の周りは危険が多いですから」

 にこりと至極綺麗な微笑みを浮かべた藤堂の言葉から「絶対に信用ならない」という含みがはっきりと伝わってしまって、返す言葉が見つからなかった。けれど引きつった笑いを浮かべた僕の頭を、藤堂は優しく撫でる。

「こら、藤堂」

「大丈夫です、誰もいません」

 慌てて頭に乗せられた手を引き下ろすと、気分を害する様子もなく藤堂はふっと目を細めてゆるりとした笑みを浮かべた。
 含みがあるようなこういう笑い方をする時は、大概僕の反応を楽しんでいる時だ。でも眉をひそめて見上げたら、今度は子供らしく無邪気に笑われてしまった。その笑顔に僕は見事に撃沈する。
 じわじわと熱くなる顔を隠すように俯き、僕は両手で顔を覆った。僕がギャップに弱いのを知っていて、わざとやっているんじゃないかと思うようなタイミングだ。

「じゃあ、先生。今日のところは戻ります」

 嫌な含み笑いだ。やはり僕の反応を楽しんでいる。
 けれど嫌いになるどころか、そんな藤堂が可愛くて愛おしくなる僕は、かなり重症だ。

「わかったよ、もう行っていい」

「じゃあ、また」

 出来る限り声を平坦にして素っ気なく言ったのに、藤堂は至極機嫌のよさげな顔で去っていった。その背中を見送る僕の心の隅に残った敗北感は、一体なんだろう。
 ――してやられた、という感じだろうか。でもまあ、藤堂の機嫌が直ったならいいかと思ってしまう僕は、完全に負けだろう。大体どうしようもないくらい藤堂の笑顔に弱いんだから、仕方がない。

「あれ、藤堂くん帰っちゃったんですか」

 準備室に戻るとパンをくわえた間宮が振り返った。そしてそれをじっと見つめる僕に首を傾げながら、間宮はもぐもぐとパンを咀嚼して珈琲でそれを飲み下す。

「……お前がいるから悪い」

「はは、ひどいです」

 思わず口をついて出た僕の本音に、間宮は一瞬だけ目を丸くしたがすぐにへらりと笑った。

「それにしても藤堂くんと西岡先生が仲がよかったというのは意外です」

「別にいいだろ、たまたま気が合ったんだよ」

「ふぅん、まあ、そんなこともありますよね」

「そうそう」

 小さく首を傾げながら、またパンを頬張る間宮に投げやりに答えを返して、僕は藤堂が置いていった紙袋から弁当を取り出した。

「藤堂くんのお弁当はいつもながら綺麗ですよね」

「覗くな、やらないぞ」

 背後に気配を感じて振り返ると、後ろから間宮が弁当を覗いていた。でも間宮が感心するのも納得で、藤堂の弁当はいつも色味も鮮やかで、おかずも栄養が偏らないように配慮されている。今日の惣菜は僕の一番好きな和食だ。

「かなり愛を感じますね」

「……っ、変なこと言うな」

「そうですかね?」

 ぽつりと呟いた間宮の言葉に、口に入れたご飯粒が飛び出しそうになった。
 正直、この間宮が鈍いんだか聡いんだかよくわからなくなってきた。本気で首を傾げている様子を見ると、もう気づかれているんじゃないかとヒヤヒヤもする。

「西岡先生は生徒から愛されてますよ」

「あ、そう」

 でもこうしてなんだか大きく違うところに飛躍もしていく。とりあえず間宮に振り回されないように気をつけようとしみじみ思ってしまった。

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