夏日10
132/251

 口づけを交わすたびに胸に想いが降り積もる。そして好きで好きでたまらなくなって、愛おしさに飲み込まれてしまう。触れ合う熱はいくつも心に火を灯していくから、もうきっとこれ以上の想いなんて見つからないと思い知る。
 ゆっくりと離れていく藤堂を視線で追いかけると、名残惜しさを感じ取ったのかもう一度唇が触れた。それが嬉しくて思わず口元が緩んでしまう。

「佐樹さんが可愛いから、とりあえず満足しました」

「なんだよ、そのとりあえずって」

 ふっと目を細めて笑った藤堂の顔を見て、つられるようにこちらも笑ってしまう。心がじんわり温かくなって、くすぐったい気分になる。そんな気持ちを誤魔化すように藤堂の指先を握れば、なにも言わずにぎゅっと強く手を握り返してくれた。それが嬉しくて小さく笑ったら、やんわりと頬に口づけられる。

「ずっとこうしていられたらいいのに」

 握られた手に力がこもり、指先が絡み繋ぎ合わされた手のひらからは熱が伝わった。こちらを見下ろす寂しげな瞳が揺れて、胸がきゅっと締めつけられる思いがする。

「きっとあっという間だよ」

 まだまだ先だと僕も思っていた。けれど藤堂が卒業するまで、多分きっと思っているよりも時間の流れは速いだろう。最近はなに気ない時間があっという間に過ぎていく。そして時間が過ぎれば、その先はずっと一緒にいられる。繋いだ手を握り返して笑みを浮かべれば、少しほっとしたような顔で藤堂もまた笑みを浮かべた。

「そうですよね」

「うん」

「ずっとモヤモヤしてたんですけど、直接聞けてよかった」

「そういえば、ずっと会ってなかったな」

 夏休みに入ってから会うのは今日が初めてだ。ずっとメールだけのやりとりだったし、声を聞くのさえも久しぶりだ。そう思ったらなんだか急に藤堂がすごく愛おしくなった。

「佐樹さん、あんまり可愛い顔されると、どうしたらいいかわからなくなる」

「え?」

 身を屈めた藤堂の顔が目の前に迫る。唇をかすめた感触に驚いて目を瞬かせれば、困ったように眉を寄せて藤堂は僕の目をのぞき込む。

「これだけじゃ我慢出来なくなるから」

「あ、えっと……か、帰ろう」

 真剣な眼差しに言葉が詰まる。熱くなった頬を誤魔化すように俯いて、僕は繋いだ手を引いて歩き出した。我に返ったそこは夕闇に染まる道の途中だった。手を繋いでいたから人通りの少ない裏道を歩いていたけれど、近づき過ぎたかもしれない。ほんの少し挙動不審に辺りを見回し、誰もいないのを確認してほっと息をついた。

 学校からはかなり離れているが、もう少し先へ行けば駅が近づく。そうすれば人通りは嫌でも多くなる。藤堂に言われてやっと気づくなんて、すぐに周りが見えなくなるのは僕も同じだなと、しみじみ思いながらも反省した。

「佐樹さん」

「ん?」

 いつの間にか少し先を歩いていた藤堂の声に小さく首を傾げて応えれば、繋がれている手がきゅっと強く握られた。

「俺、夏は嫌いだったんですけど。佐樹さんのおかげで少しは好きになれるかもしれない」

「……うん、そうか」

 なに気ないように呟かれた言葉だけれど、なぜだか軽い気持ちで受け止められなくて、ほんの少し言葉に詰まってしまった。藤堂の声音から感じたそれは、夏は暑いから嫌いだとかそんな簡単な理由ではない気がして、また「そうか」と呟いて僕は藤堂の手を握り返した。

「佐樹さん、楽しみにしてます。佐樹さんの家に行くのも、写真部について行くのも」

「写真部のも?」

「えぇ、佐樹さんと会える数少ない日ですから」

 思えば夏休み中はなにかとお互い忙しいから会う機会が少ない。渉さんがいるから嫌がると思っていたけれど、そんな風に考えてくれていたなんて、嬉しい誤算だ。

「そっか、そうだな」

 僕も楽しみにしていると、そう思いながらまっすぐ前を向く藤堂の横顔を見つめた。もしかしたらいままで、あまり夏にいい思い出がなかったのかもしれない。もしそうだとしたらそんな寂しい思い出は塗り替えて、少しでも藤堂が笑っていられる時間を増やしてあげたい。

「地元でさ、お祭りがあるんだ。花火もやるし、実家に行ったら夏らしい夏を体験させてやるよ」

 田舎の祭りだから大層なものではないが、それでも季節を感じるには充分過ぎるものだと思う。ゆっくりと休みを満喫して、ほんのちょっとでもいいから藤堂の心が穏やかになればいい。
 僕が藤堂にしてあげられることなんてこれくらいしかないけれど、それでも藤堂のためならなんだってしてあげたい。

「楽しみです」

「うん」

 二人でたくさん色んなことをしたい。いっぱい笑って嫌なことは全部忘れて、いい夏だったなって言えたら最高だろう。

「向こうはこっちよりずっと涼しいから過ごしやすいぞ」

「それはいいですね」

 昼間のうだるような暑さを孕んだアスファルトが続く道で、汗を滲ませながら僕らは顔を見合わせて笑った。そして時折吹く風に目を細めて、夏の暑さを実感する。
 二人の夏休みまであと少しだ。そう思ったらこの暑さもちょっとぐらいなら我慢出来そうな気になった。

「佐樹さんといると幸せです」

「なんだよ急に」

 突然の言葉に驚きと戸惑いで声が少し上擦った。改まってそんなことを言われるとなんだかむず痒い。けれど藤堂の声には色んな思いが詰まっていそうだ。

「すみません。なんだかふとそう思って、言葉にしたくなったんです」

「……それだけならいいけど。思い悩むくらいなら、ちゃんと僕に吐き出せよ」

 心の内に色々と溜め込む癖があるので少し心配になる。夏が嫌いだなんてそんな弱音を吐くほどだから、もしかしたらちょっと弱っているのかもしれない。そういえば今日はやたらと僕に触れたがる。でも釘を刺すように言ったら、振り返った藤堂がふっと頬を緩め嬉しそうに笑う。

「佐樹さんといると心強いですね」

「いつもお前に助けてもらうばかりだからな。たまには頼っていいぞ」

 本当はたまにじゃなくてもっと頼って欲しいと思っている。いつだって藤堂が抱えているものを半分でもいいから背負ってやりたいと思う。そんな気持ちを伝えたくて、ほんのわずかの距離を埋めて僕は藤堂の隣に立った。
 隣で見上げる僕に少し驚いたような表情を浮かべたけれど、藤堂は僕の心の内を察してくれたのか、寄り添うように肩を並べてくれた。

リアクション各5回・メッセージ:Clap