夏日19
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 随分と久しぶりにカメラに触れた。自前のカメラはそんなに本格的なものではないけれど、写真を撮るのは久しぶりで、シャッターを切る瞬間の楽しさが蘇ってくる。
 カメラは目の前にある感動や喜び、様々な瞬間を写し撮り、切り取ることが出来る。それは当たり前なようでとても奇跡的に素晴らしいことのようにも思えた。いまこの瞬間のみんなを残しておきたくて、僕はいつの間にか夢中で写真を撮っていた。

「せーんせいっ」

 しばらく時間を忘れて写真を撮っていると、急な呼び声と共にカメラの画面いっぱいに片平の顔が写った。驚いてカメラから目を離せば、片平がにこにこと笑みを浮かべて目の前に立っている。その笑みの意味がわからなくて首を傾げたら、腕を掴まれ引っ張られた。

「なんだ、どうした?」

 勢いのままに引っ張られて、思わず引きずられそうになる。僕の問いかけに、いいからいいからと軽い返事だけが返され、ますますわけがわからない。

「連れてきたーっ」

「センセどこまで行ってたんだよ」

「え? あー、ちょっとぐるっと近くを回ってきた」

 片平の声に峰岸と三島と藤堂が振り返る。呆れたような峰岸の声にへらりと笑えば、なにやら大きなため息をつかれてしまった。写真部の子たちを追いかけて写真を撮っているあいだに、僕は随分と広場から離れてしまっていたようだ。
 荷物番のこともあるので、そんなに遠くへ行くつもりはなかったのだが、集中してしまうとつい周りが見えなくなってしまう。ふと集合場所に視線を向ければ、地面に腰を下ろした瀬名くんが変わらず木の下にいた。

「西岡先生、写真撮ってあげる」

「え?」

 ふいに背中を片平に押されてよろけた僕は、目の前に立っていた藤堂にぶつかりそうになる。けれど慌てて手を伸ばしてくれた藤堂に支えられ、衝突はなんとか免れた。しかしほっと息をつくと、今度は早く並んでと片平は僕を急かす。

「表情堅ーいっ、もっとスマイルスマイル」

「そんなこと急に言われても」

 いまだよく状況を理解出来ずにいるというのに、片平はこちらに向けてカメラを構えている。思わず藤堂を見上げれば、彼もまた少し戸惑った表情を浮かべていた。
 しかしお互い顔を見合わせたまま困惑していると、僕らの様子を傍で見ていた峰岸と三島が背後から近づいてくる。なんとなく嫌な予感がして振り向こうとしたら、二人は一斉に僕と藤堂に襲いかかり脇腹をくすぐりだした。

「ちょ、三島ストップっ」

「やめろ馬鹿っ」

 遠慮のない二人に僕らは抵抗を試みるものの、一向にやめる気配がなくそれどころかますます勢いが増した。その感触はくすぐったくってむず痒くて、身悶えるように身体をよじらせてしまう。
 終いには笑うどころか悲鳴が上がってしまった。峰岸や三島は僕らを笑わせるつもりでいるのだろうが、そんな僕らを見ながら笑う彼らのほうがよほどいい笑顔だ。

「あーっ、もうほんと無理無理、ギブっ」

 散々くすぐりまくられて、僕と藤堂は肩で息をしながら両膝に手をついてうな垂れた。

「お前ら、手加減しろよな」

「……ただで済むと思うなよ」

 ぽつりと小さな声で呟いた僕と藤堂は次第に息が整い始めると、顔を見合わせお互い小さく頷き合った。そしてすぐ傍に立っていた峰岸と三島に向かい同時に飛びかかった。

「えっ? マジで?」

「西やんっ、ごめんごめんっ」

 突然の逆襲に怯む峰岸と三島を捕らえると、僕と藤堂は情け容赦なく二人の脇腹をくすぐった。すると二人の悲鳴にも似た笑い声が響き渡り、僕らも思わずつられて笑ってしまう。そしてカメラをずっと構えていた片平の笑い声も重なり、賑やか過ぎるほど賑やかに笑い声が辺りに木霊した。

「やべー、マジもう声出し過ぎて喉いてぇ」

「笑い過ぎてお腹痛い」

 力尽きたように地面に寝転がった峰岸と、膝をついて崩れ落ちた三島を満足げに見下ろし、僕と藤堂は顔を見合わせ笑うとハイタッチした。

「うん、いい画が撮れた」

 僕らの子供じみたやり取りをずっとカメラで追っていた片平が機嫌よさげに頷いた。そんな片平の手元を覗き込めば、彼女は画面を操作していくつもの画像を見せてくれた。そういえばこうしてじっくりと片平の写真を見るのは初めてだ。
 素人目ではあるけれど、彼女の視点はなんとなく渉さんに似たようなものを感じる。なに気ない瞬間が鮮明で目を惹かずにはいられない。そんな優しい光と眩しいほどの笑顔がそこにはたくさん写し撮られていた。

「ああ、いいな。すごく」

「先生と優哉が写ってるのは全部プリントアウトしてあげるからね」

「ん、ありがとう」

 僕の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべながら顔を上げた片平。そんな彼女の頭を、気づけば僕は自然と撫でていた。そしてそういえば渉さんも片平の頭を撫でていたなと、ふいに思い出す。
 基本的に女性には自分から近寄らない人だったのに珍しいなとその時は思った。けれどそういう括りを感じさせない、片平のまっすぐな純粋さに好感を抱いたのかもしれないなと、彼女の写真を見て改めて感じた。

「あ、もうこんな時間」

 急に鳴り出した音に肩を跳ね上げた片平は、鞄のポケットからその音の主である携帯電話を取り出しアラームを止めた。

「そろそろお昼だから集合かけなきゃ」

 いまの時代は便利になったものだ。携帯電話のメッセンジャーアプリで、グループ設定をした相手に瞬時に用件を伝えられる。携帯電話を操作していた片平が顔を上げると、もれなく僕らの携帯電話が受信音を響かせた。

 お昼の招集をかけられた生徒たちが集合場所に集まると、片平から午後のスケジュールを簡単に伝えられた。
 帰りの移動時間も考慮して午後は十六時に集合、十六時半には撤収ということらしい。そしてスケジュールの最終確認が終われば、生徒たちは各々の弁当を持ってまたあちこちへ散っていった。

「マミちゃん、お昼用意してないでしょ? こっちで食べていきなよ」

 木製の広いテーブルにクロスを広げ、昼食の準備をしていた片平が、所在無げにしていた間宮を振り返った。
 午前中は間宮と一緒にいた北条先生だったが、昼食を渉さんと同じ席で取るのはおこがましくて仕方がないからと、ほかの生徒たちと一緒に行ってしまった。間宮もそちらへついて行くかと思いきや、先ほどから僕の近くをウロウロしている。学校での癖が外でも抜けないのだろうか。

「すみません」

「いいのいいの、どうせどっかの誰かさんが強引なことして急に巻き込まれたんでしょ。それにお弁当は余るの覚悟でかなりたくさん用意してきたし、遠慮なく食べってって」

 申し訳なさそうに頭を下げた間宮に笑みを浮かべた片平。しかし彼女は我関せずな様子で、三島や藤堂が手にした重箱を覗いている峰岸を横目で睨んだ。

「あんたの分はないからっ」

「これほとんど藤堂と三島が作っただろ。片平は切るかちぎるかしかしてないぜ絶対」

「う、うるさいわね。おにぎりは握ったわよ」

 テーブルの上に広げられた重箱には、惣菜やサンドイッチやおにぎりなどが本当にたくさん詰め込まれていた。
 藤堂の言っていた準備とはこのことだったのか。僕や渉さんたちは昼の準備をして来なくていいと言われてはいたけれど、これだけの量となるとかなり朝早くから準備していたに違いない。

「あー、わかった。この三角だか丸だかわかんねぇ、いびつなのが片平で、この綺麗な三角が藤堂だな。んで、藤堂のと似て綺麗な形してっけどちょっとほかより大きいのが三島のだ」

 木製ベンチに跨がり、重箱のおにぎりを眺めていた峰岸が片平を見てにやりと笑った。その表情に片平はムッと口を曲げて怒りをあらわにする。

「藤堂と三島なら味は変わんねぇからこのデカイのいただき」

「ムカつくっ、塩むすびだから味は変わんないわよっ」

「バーカ、塩むすびならなおさらだ。塩加減ってもんがあるんだぜあずみちゃん」

「食べるなーっ」

 片平に背中を勢い任せに叩かれながらも、にやにやと笑い峰岸はおにぎりに齧り付いた。

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