夏日29
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 寄り道をしたにもかかわらず車は順調過ぎるほど順調に走り、予想していた時間よりも早く佐樹さんのマンションへとついた。
 そしてそれをひどく残念がりながら、車にもたれる月島が佐樹さんの手を握るのを見てかなり苛々としたが、ここまで送ってくれた礼も含めてなんとかそれは心の中に押しとどめた。

 けれどおそらく顔の笑みは引きつっていたのだろう。俺の顔をちらりと見た月島の目は至極楽しげだった。
 そんな中ふいにデニムの後ろポケットで携帯電話が鳴った。短い着信音だったのでメールの受信だろうと思い、あとで確認しようと然して気にせずにいたら、ほとんど間を置かずにまた着信音が響いた。

 二度も鳴り響いたその音に佐樹さんや月島の視線がこちらへ流れる。その視線となんとなく胸の中に広がった嫌な予感を覚えて、俺は席を外す旨を佐樹さんに伝え、その場から少し離れたマンションの裏手、あまり周りに声が届かないだろう場所まで移動して携帯電話を開いた。

 メールの着信は弥彦とあずみからだった。よほど急いでいたのかあずみに至っては珍しく絵文字が一つもない簡素なメール。二人からのメールを読むと、どろりとした嫌な気分が湧き上がり、さらに胸の中を蝕むようにそれが広がった。
 どうするべきかじっと携帯電話の画面を見つめていると、突然携帯電話が鳴り出した。それはメールの着信ではなく、通話着信だ。画面に表示される名前に少し手が震えた。しかしこのままでいるわけにいかないと、俺は震える指先で通話ボタンを押した。

「もしもし」

 なるべく落ち着いた素振りで電話に出ると、「どこにいるのっ」と少しヒステリックな声が耳に届いた。その声と言葉を聞いて俺は小さく息を吐く。流されるな、同調するなと心の中で言い聞かせて、再び息をつくと俺は呆れたような声で「いい加減にしてくれ」と呟いた。

「弥彦やあずみと写真部の仲間と打ち上げあるって言っただろう」

「二人ともいまいないから出られないって」

「トイレの中まで追いかけてくるわけないだろ。ましてやあずみは女だぞ。それになんで俺じゃなくて二人へ先に電話するんだよ。わけわからない真似するのはやめてくれ」

 緊張で声が裏返ったり上擦ったりしないようになるべく平坦な声で返事をする。相手に伝わるほど大きくため息を吐いて、この電話を早く終わらせたい意思を伝えるが、電話の向こうではぶつぶつと呟く声が続いていた。

「とにかく今日は帰るのは遅いって事前に言っただろ。終電で帰る」

 耳元から聞こえてくる、ぼそぼそとした声はまるで呪いをかける言葉のようで背筋が寒くなる。平常心を装い小さく息を吐くと、ぴたりと電話の向こうの独り言が止んだ。

「ねぇっ、なんでそんなに遅いの。もっと早く帰ってきなさいっ。私は話があるって」

 そして突然またヒステリックな声が響く。

「俺にはないっ、いい加減諦めろよ。なに焦ってんだよ。俺を巻き込むなっ」

 最後まで平静を装うつもりでいたが、気がつけば声を荒らげ言葉をまくし立てると、一方的に通話を切断して俺は電源すらも切っていた。携帯電話を握り締める手が震える。
 肩で息をする自分に気がつき深呼吸を繰り返してなんとか落ち着こうと目を閉じた。けれど耳に障る声が頭の奥で響き、次第に気分が悪くなってくる。

「藤堂?」

 けれどふいに聞こえてきた声に、頭の中で鳴り響いていた不快な声がかき消される。携帯電話を見つめていた顔を弾かれるように上げた俺は、その声を振り返った。そこにはどこか心配げな表情を浮かべた佐樹さんがいた。振り返った俺に小さく首を傾げ、じっとこちらを見つめている。

「あの二人は?」

「渉さんと瀬名くんならもう帰った」

 片手にビニール袋を下げた佐樹さんの姿に、ふと思い出した二人のことを問えば、ほんの少し後ろを振り返ってからこちらを見て肩をすくめる。

「それより、大丈夫か?」

「え?」

「顔色悪い」

 ゆっくりと近づいてきた佐樹さんは目の前で立ち止まると、眉をひそめ俺の頬に手を伸ばす。そっと添えられたその手はやけに温かくて、自分が血の気が引くほど冷えていたのだと気がついた。

 与えられるぬくもりは心の内を蝕んでいたものを追い払うかのように優しくて、温かくて、俺は自分の手をその手に重ねる。添えられた手に寄り添い目を閉じると、今度は優しい音が聞こえてくるような気がした。
 ほんの少し早いが規則正しい音。自分の心音なのかもしれないが、それが目の前にいる彼のモノのような気もして、心が落ち着いた。

 しばらくそうしていると、微かに近づいた気配と共に唇に柔らかくて温かいものが触れた。それに驚いて目を開ければ、ほんの少し頬を朱に染めこちらを見上げる視線とぶつかった。
 急に目を開いた俺に驚いたのか、彼は慌てたように目を伏せて頬や耳まで赤くする。そんな目の前の可愛い人に胸が締め付けられて、たまらず俺は抱きついた。

「佐樹さん可愛い、好き、愛してる」

 こんな言葉だけじゃ足りない。彼は俺にとっては一筋の光だ、道を見失わないよう照らしてくれる唯一の光。

「な、なんだよいきなり」

 頬をすり寄せ、額やまぶたや頬に口づける俺に、佐樹さんは慌てたように身を引こうとするが、抱きしめる腕に力を込めてそれを阻止した。困ったように眉を寄せながら、頬を染めて見上げる目の前の彼が愛おし過ぎて、この場所がどこであるかも忘れて俺は口づけた。

 追い詰めるように口内の彼の舌を追いかけ絡めとると、鼻先から小さな甘い声が抜ける。必死に俺の着ているシャツにしがみつく様が可愛らしくて、腰を抱き寄せさらに奥へと押し入る。
 すると二人分の溢れた唾液が佐樹さんの唇の端を伝いこぼれ落ちる。それでも貪ることをやめずに、舌を擦り合わせ上顎や歯列を撫で上げた。

 そのたびに小さな声が漏れ聞こえて来て、普段なら落ちる前に離してあげるのだが、止められずに追い詰めてしまう。カクンと膝の力が抜けた佐樹さんの身体が胸にしなだれかかった。
 瞳が潤んで、赤く染まった目尻に溜まる涙がいまにもこぼれ落ちそうで、それがやたらと扇情的に見えた。まともに立っていられなくなったのか、シャツを握る手もどこか頼りなげだ。唇をようやく離して、口の端から伝い落ちる唾液や唇にまとわりついたそれを舐めとった。

 舌を這わせるたびにびくりと肩を跳ね上げる反応に、加虐心が煽られる。顎から首筋に舌を滑らすと「あっ」と小さな甲高い声が漏れ聞こえた。
 ふっと視線を持ち上げると真っ赤に染まった顔で口元を片手で覆う佐樹さんと視線が合う。しかしそのまま首筋に口づけようとする俺を、彼は慌てて止めにかかる。

「待って、待った。部屋、部屋に行こう。もう、無理だ」

 うろたえたように目をさ迷わせた佐樹さんは、これ以上ないくらい顔から首筋までも真っ赤に染めて目を伏せた。もぞもぞと逃げ出そうとする彼に首を傾げてみせると、泣きそうな顔をされる。
 そっと抱きしめていた身体を離せば、着ているTシャツの裾を伸ばすように掴み俯いていた。その姿にまさかと思ったが俺は耳元に唇を寄せる。

「佐樹さん、いまのでもしかして勃っちゃった?」

「うるさいっ」

 投げやりに言い放ち、ぎゅっと目をつむって口を引き結ぶその姿はあまりにも可愛い。しかし微笑ましいその反応を思わず笑ってしまったら、不機嫌そうに睨まれてしまった。

「部屋に戻って続きしたい」

「へっ」

「したい」

 裏返り上擦った声を上げた佐樹さんの顔を覗き込んで笑みを浮かべると、俺は自分の気持ちをはっきりと言葉にした。するとあたふたとした様子で佐樹さんは辺りを見回し始める。
 しばらくその様子を見つめていたが、逃げ場を探しているのだということに気がつき、俺はビニール袋を下げているほうの手を掴むと強引に足を進めた。

 突然歩き出した俺に半ば引きずられる形で佐樹さんはついてくる。しかし握り締めた手を強く掴むが、振りほどこうとはされなかった。
 そして乗り込んだエレベーターの中でも俯いたままだったが、部屋の前に着いて鍵を開けて中に入ると、途端に佐樹さんは俺の手を振りほどいて廊下の途中にある脱衣所に駆け込んだ。

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