夏日39
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 花火が夜空を彩る中、二人でずっと手を繋ぎながら空を見上げていた。特になにを話すでもなく、ただ寄り添っていた。空に次々と現れる大輪の花は様々に色や形を変えて打ち上がる。
 大掛かりで派手な花火はそれほど上がらないけれど、それでも花火の光を見ているだけで気持ちはその美しさに高揚した。そんな中、空を見上げる藤堂の横顔を時折盗み見てはその穏やかさにほっとした。

 両親の話をしていた時のような苦しそうな表情はいまはない。それだけのことでも安堵することが出来るくらいに、あの時の藤堂は辛そうだった。そして打ち上がりから一時間半ほどで花火は終演を迎えた。
 けれど僕らはその場所から動き出しはしなかった。夜空に瞬く星をただぼんやりと眺めながら、肩を寄せ合い静寂に包まれる。

 街のようにどこにでも明かりがあふれているような場所ではないから、屋根の上から見える明かりはごく僅かだ。そんな闇夜の中から微かに虫の音が聞こえ、穏やかな時間が流れていく。
 ふいに肩に重みを感じて振り向くと、藤堂の頭が肩の上に載せられていた。そのぬくもりが愛おしくて少し口元を緩めながら、そっと髪を梳いて撫でてあげれば、藤堂は静かにまぶたを閉じた。

 藤堂にはもっとゆっくりとした時間が必要だ。急かされ追い立てられるような生活で心も身体もきっと疲れ果てているだろう。もっとこうしてなにも考えずにいられる時間を増やしてあげられればいいなと思う。
 せめて自分が傍にいる時くらいは気負うことなくありのままでいられるように、その心を抱きしめていてあげたい。僕のことが負担になるようなことがなければいいなと、もたれかかる藤堂の肩を優しく抱きしめた。

 そしてそれからどのくらい経ったのかわからないくらい、夏の夜をただ静かに二人で過ごしていると、部屋の扉がノックされた。それは返事をする前に開かれて、来訪者はなんの躊躇いもなく部屋の中へ入ってくる。その音に藤堂は身体を起こし、僕と一緒にその音の主を振り返った。

「まーた、あんたは屋根に上がってる」

「あ、佳奈姉」

「まったく、いちゃついてないで二人ともお風呂入っちゃいなさい」

「え、風呂? ちょっと」

 窓から顔を覗かせ眉をひそめる佳奈姉の姿に目を瞬かせると、言うだけ言って姉は部屋を出ていこうとする。けれどふと先ほどの言葉に違和感を覚えて、屋根を這い窓から室内を覗き込めば、振り返った姉はあっけらかんと言い放った。

「二人で一緒に入っちゃいな」

「なんでっ」

「時間短縮よ。姉さんたちも一緒にもう入ったし、あんたたちも一緒で平気でしょ」

 あ然とする僕をよそに用件は済んだとばかりに部屋の扉は無情にも閉められた。どうしたらいいものかとゆっくりと藤堂を振り返ると、苦笑いを返されてしまう。二人で入るのは初めてではないけれど、その時のことを思い出すと自然と頬が熱くなってくる。
 あの時はとっさに僕が風呂場に逃げ込んだのが悪かったのだが、急に改まってそういう状況になるというのはなんだか気恥ずかしい。いや、ただ一緒に風呂に入ったくらいならばこんなにも恥ずかしさはない。

「佐樹さん、顔赤いよ」

「言うな」

「可愛い」

 恥ずかしさのあまり思わず顔を背けそうになるが、ゆっくりと近づいてきた藤堂に自然とそちらへ視線が向いてしまう。視線をそらしたいのに、そらすことが出来なくて、じっとレンズの向こう側にある瞳を見つめてしまった。
 すると目の前まで近づいてきたその目に捕らわれたような気分になる。そして誘われるように目を閉じてしまった。
 ふわりと優しく唇に触れる感触が温かくて、胸がきゅっと締め付けられるような、けれど満たされる不思議な感覚に陥る。

「藤堂」

「なに?」

「ん、好き」

 そっと目を開いた先にある微笑みに、ぎゅっと締め付けられた胸がトクトクと音を早める。胸が熱くなって、熱さが心を揺さぶって、言葉にしつくせない想いがあふれた。想いの先にどうしても触れたくなって、そっと手を伸ばす。
 そしてそんな僕の手には藤堂の手のひらが重なり、指を絡ませ二つの手が繋がる。その手を少し引き寄せれば、再び唇に優しい口づけが落とされた。しばらくそんなやりとりを繰り返して、ふっとお互い顔を見合わせて笑ってしまった

「そろそろもう行かないとな」

 いつまでもこんなことをしていてはまた佳奈姉がやって来ると、僕らは屋根の上を片づけると二人で一階へ下りた。するとリビングからは四人の明るい笑い声が聞こえていて、少しほっとした気分になる。
 そしてそれと共になんとなくまた藤堂に触れたくなり、そっと手を握ったらやんわりと目を細めて笑ってくれた。その眼差しから多分同じことを思ってくれているのだろうなということが伝わった。

 実家の風呂は自宅のマンションより広く、男二人が入っても十分に余裕がある。少し躊躇いがちに入ると、藤堂は楽しげに目を細めて笑った。ぎこちない僕を見て面白がっているような雰囲気さえ感じて大人げなくふて腐れてしまったが、甘やかされなだめすかされ、いいように手のひらで転がされてしまう。
 髪を優しく洗われて背中も流してもらった。ここまで至れり尽くせりな状態で風呂に入ったのは、幼少の頃以来ではないだろうか。

 僕はというと藤堂の髪を洗わせてもらって、自分のとは違う髪質や無防備な姿にドキドキとさせられた。そしてまた以前のように二人で湯船に浸かり、たわいもない会話をしながらのんびりしていたら、ウトウトとしてしまって何度かうなじに口づけられ慌てて目が覚めた。湯船に浸かって安心して寝てしまう癖はこんな時にも出てしまうようだ。

 少し長湯をして風呂から上がった頃には、身体がホカホカとして冷たい空気に当たりたくなるほど温まっていた。なに気なくリビングを覗けばそこにはソファに座っている佳奈姉と母しかおらず、僕の顔を見るなり二人して「相変わらず長湯ね」と言って苦笑いを浮かべた。

「優哉くん付き合わされてのぼせなかった?」

「大丈夫です。ただ寝てしまうので少し焦りました」

「あんた、人と入る時まで寝るとかどれだけ神経図太いの」

「うるさいな」

 言いたい放題の母と佳奈姉に眉をひそめながら、僕はリビングに足を踏み入れキッチンの冷蔵庫へと向かった。そして冷凍庫の引き出しを引き開けて、その中から箱に入っていた棒状のアイスを二本取り出す。
 そして振り返ってその一本を藤堂に差し出した。そんな僕の仕草にリビングの入り口に立っていた藤堂はゆっくりと近づき、僕の手からそのアイスを受け取った。

「さて私も入ってきちゃおう」

 ソファから立ち上がり伸びをすると、飲みかけのビールを飲み干し佳奈姉はそそくさとリビングを出て行った。相変わらずの飲酒量でビールはだいぶ消費されたようだ。うちの家系はほぼ太らないので、毎日のようにビールを飲んでいるのに佳奈姉の体型はかなり細身なほうだ。
 そして母も詩織姉も華奢な印象を与えるくらいに細い。ふとそんなことを思い、Tシャツの袖から伸びる自分の腕を見つめて複雑な気分になった。男の割に僕の身体も例に漏れず細い。

「どうしたの佐樹さん」

「ん、いや細いなと思って」

 じっと腕を見つめている僕を不思議に思ったのか、首を傾げて藤堂が顔を覗き込んでくる。そして僕は思うままにぽつりと呟いた。そんな僕を藤堂は目を瞬かせて見つめる。多分なぜいきなりそんなことを思ったのだろうと、疑問符が頭の中に浮かんでいるのだろう。
 けれどそんな藤堂の疑問には答えず、僕は自然と手を伸ばし藤堂の腕や胸にぺたぺたと触れる。藤堂は体格がいいという感じではなく、細身ではあるけれどほどよくついた腕などの筋肉は男らしい。鍛えている風でもないのでバイトでついたものだろうか。

「お父さんも細かったからうちはみんな細くなっちゃったのよね」

「うん」

 僕の行動の意味を悟ったのか母は小さく笑って目を細めた。そして僕は母の言葉に大きく頷いて、ひとしきり触れた藤堂を見上げると無駄な肉がついてない頬を軽く引き伸ばした。

「うちの父さんは僕が高校に入った年に病気を患って、もういないんだ。藤堂には話したことなかったなそういえば」

 聞いていいのか、触れていいのか、わからないというそんな表情をした藤堂に、僕は笑みを浮かべて返した。

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