夏日41
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 藤堂に意図して触れられるのは普段触れられるのよりも何倍も緊張するし、心臓の鼓動が馬鹿みたいに早くなってくる。声を押し殺していなければいけない状況も、その気持ちを煽るばかりだった。
 昨夜は散々焦らされ追い詰められ、最後のほうはもう気持ちが高ぶり過ぎてあまり覚えていない。夜中にふっと目が覚めた時には、狭いシングルベッドで藤堂に抱きしめられていた。

 静かに眠る藤堂の顔が目の前にあり、それは予想出来ないほどの近さだったので、心臓が大きく跳ねた。けれどその寝顔を見つめていると幸せな気持ちにもなれた。
 胸元に擦り寄って目を閉じると、抱きしめてくれる藤堂の腕に力がこもってさらに引き寄せられる。ふと視線を持ち上げて藤堂を見つめたが、起きている気配はなく、無意識の行動のようだった。

 それからしばらくすると再び僕にも眠気がやってきて、窓から吹き込んでくる夜風で暑さも感じることもなく、そのあとも朝まで二人離れずに眠っていた。そしてカーテンを閉めていなかったので、朝日が昇り始める頃には目が覚めた。
 次第に朝陽が部屋の中へ射し込み始めると、藤堂が眩しそうに少し眉をひそめる。なに気ないそんな表情に思わず笑いながらも、僕はそっとレースカーテンを引いて部屋に降り注ぐ光を和らげた。

 しばらくそのまま藤堂の寝顔を見つめていたが、時刻も六時になり、そっと身体を起こしてベッドから抜け出す。家にいる人数が多いと色んなところが渋滞しがちになる。
 藤堂の携帯電話の下にメモ紙を残して、僕は部屋を出た。するとちょうど隣の部屋の佳奈姉も部屋から出てきた。

「おはよう」

 なに気なくいつものように声をかけるが、佳奈姉はじっと人の顔を見つめてしばらく身動きしなかった。その反応がわからなくて首を傾げたら、大きく肩で息を吐かれる。

「なに?」

「いやー、別に、昨日は随分お楽しみのようだったようで」

「……はっ? え?」

 一瞬首を捻りかけて、ふっと頭をよぎったものに時間が止まったような気がした。考え込んで伏せた視線を持ち上げてみれば、目を細めてじっとこちらを見る佳奈姉の視線と思いきりぶつかる。

「隣があたしでよかったわね。姉さんだったら途中でカチコミされてたかもよ」

「え、あ、ってそんなに、その」

「弟の喘ぎ声を聞く日が来るとは思わなかったわ。せめて窓閉めなさいよ」

「わーっ、忘れろっ」

 ため息交じりに呟かれた言葉に被せる勢いで声を上げるが、佳奈姉は先ほどと変わらず目を細め憮然とした顔で僕を見ている。
 僕はといえば顔が尋常じゃないくらい熱くなって、湯気でも出るんじゃないかというほど動揺していた。それと共におぼろげだった昨日の夜の記憶がはっきりとしてきて、二重苦のようになってしまう。

 触れ合うだけの行為ではあったけれど、半ば泣きながら声をこらえる僕を藤堂は煽るように時折性急にそして優しく触れた。
 その視線や指先を思い出すだけでもおかしな気分になりそうで、僕は大きく首を振ってその記憶を振り払った。そして昨夜窓を開け放していたことも思い出し、めまいが起きそうになる。

 居間のようにエアコンがあるわけではなく、扇風機だけが回る室内では夜風のみが頼りだ。それは姉の部屋も同じことで、向こうも窓を開けて寝ていたのだろう。声を抑えていたつもりではあったし、藤堂も何度も口づけてくれていたけれど、静かな夜だ――聞こえないわけがない。

「その顔、水で洗ったらすっきりするんじゃない」

「うるさいっ」

 肩をすくめた佳奈姉は、顔を火照らせうろたえる僕をよそにのんびりとした足取りで階段を下りていった。それと共に僕は熱くなった頬を両手で包み、大げさなほどに肩を落とした。
 心臓がうるさくてそれが身体中に広がって、身悶えるようにジタバタとしたい気分になる。とっさにその場にうずくまり頭を抱えてそれを落ち着かせると、自然と深いため息がもれた。なんだか自分は色々と軽率過ぎる。

 今更感はすごくあるけれど、最近そんなことを思う回数が多いような気がした。本当に藤堂のこととなると周りが見えなくなることがある。
 もしも姉にあれを聞かれていたなんてことが藤堂にバレたら、そんなことを思っていたたまれない気持ちになった。下手に伝わって申し訳ないなどと思わせるのもなんだか嫌だ。

 元はといえばあの時ぐずって我がままを言った僕が悪いのだから、藤堂が悪いわけではない。それに本当に嫌だったならばそう言葉にすればよかったわけだし、そもそも僕は嫌だとは思っていなかった。
 そうだ――嫌だと思っていなかったことが軽率過ぎた。

「はぁ」

 しかしいつまでもこんなことをしているわけにもいかない。自分の意志の弱さを恨みながら、僕は立ち上がり階段のほうへと足を向けた。すると階段を一段下りたところで背後で扉が開く音が聞こえる。その音に振り返ると、少し慌てた様子で藤堂が部屋から顔を出した。

「あ、お……おは、よう」

 少しどもって上擦った僕の声に藤堂は目を瞬かせ不思議そうに首を傾げた。けれどその理由を口にするのもいまは躊躇われてしまう。というよりも絶対に言えない気がする。佳奈姉が余計なことを言わないことを願うばかりだ。

「おはよう佐樹さん、どうしたんです?」

「ううん、なんでもない。一緒に下りる?」

「はい」

 近づいてきた藤堂に顔を覗き込まれて、思いきり不自然に身体が反れてしまった。いまあまり顔を覗き込まれたくない。恥ずかしくてまだ頬が熱くて仕方がない。けれどそんな僕のことを気にしているのだろうが、あえて聞き出そうとはしない藤堂の配慮はありがたいと思った。
 その気持ちを返したくて、俯いたまま隣にある指先を小さく握ったら、少し驚いたように藤堂は振り向いたが、すぐに僕を見下ろしてふっと口元を緩めて笑う。

「あら、おはよう二人とも」

「おはよう」

「おはようございます」

 一階に下りると朝食の支度をしている母が僕らに気づき微笑んだ。まだ詩織姉や保さんたちは下りてきていないようで、リビングには母しかいなかった。向かおうと思っていた洗面所は、恐らく先に行った佳奈姉がまだいるだろう。
 しばらくリビングで時間を潰そうかとも考えたが、タイミングよく佳奈姉が洗面台のある脱衣所から出てくる。そして僕と藤堂に気づくとこちらを見つめてにやにやと唇を緩めて笑った。その笑みに嫌な予感しかしなかったが、いまはなにも言う気はないのかさっさとリビングへ入っていった。

「佐樹さん、眉間にしわ寄ってる」

「えっ」

 ふいにそう言って藤堂は僕の顔を覗き込むと、指先で優しく撫でるように眉間に触れる。その感触に驚いて肩を跳ね上げたら、目を細めて小さく笑われた。よほど僕が驚いた顔をしたのだろう。また頬が熱くなって俯いたら、優しく手を握られた。

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