夏日42

 それから身支度を調え朝食を済ますと、僕と藤堂は川釣りに行くという保さんについて行った。普段から釣りが趣味の保さんは毎年実家から近い場所にある川で釣りをする。そして釣った魚はすぐに昼の食卓に焼き魚として並ぶことが多い。

「優哉くん釣りはしたことないのか」

「はい、いままで機会はなかったです」

 保さんの隣でレクチャーを受けながら釣り竿を振るう藤堂を見つめ、僕は岩場に腰かけて足を川の水に浸してぼんやりとしていた。釣りは嫌いではないけれど、それよりもこうしてのんびりしているほうが性に合う。それに藤堂は意外と筋がいいのか、先ほどからいい引きを見せていた。

 僕がしなくとも昼の食卓は潤うだろう。それにこうして藤堂が他人と交流を持っていくのを見ているのはなんとなく嬉しい。まだ今朝の詩織姉はぎこちなかったけれど、それでも一応全員で食卓を囲んだ。いまは少しずつ慣れて行ってくれればいい。

 そして少しでも藤堂が笑ってくれればいい。僕の願いはそれだけだ。僕が出来ることはたかが知れている。それでも藤堂の居場所が増えたらいいなと思う。片平や三島も傍にいるし、いまでもきっとないわけではないと思うけれど。もっと藤堂が寄りかかれるように、たくさんの人に愛されて欲しい。

「そう、いまそこで引けば、うん、いいタイミング」

 いまもこうして藤堂の笑顔を見ているだけで嬉しくなって頬が緩む。保さんが笑顔になるのにつられて藤堂も楽しげに笑みを浮かべ、水辺の光と優しくて和やかな雰囲気で周りが煌めいて見える。

 せっかくだからカメラでも持ってくればよかったと、二人の笑顔を見ながら思う。水場で濡らしても困ると持ってこなかったのを今更ながらに後悔した。
 写真をたくさん残しておきたい。いまの瞬間を収めておきたい。不思議とそんな気持ちが強くなった。やはり好きな人が笑っているのが幸せだからだろうか。

「負けたなぁ」

 太陽の位置が高くなり昼が近づいたので引き上げの頃合いか、釣れた魚を見下ろして保さんがそう言いながらもにこにこと笑った。
 どうやら今日は藤堂のほうが釣れたようだ。水際で涼んでいた僕は川の水をざぶざぶと波立たせながら二人のもとへ近づいた。そして覗いた大きめのクーラーボックスの中はなかなかの大漁だった。
 そして僕がクーラーボックスを眺め、二人が釣り具を片付けていると、ふいに遠くから声をかけられた。

「あれ?」

 その声に顔を上げると沿道のほうから母や姉たちが近づいてくる。その姿と彼女たちの手の荷物に気づき、僕は裸足のまま駆け出し彼女たちの傍へ向かった。みんなの手には大きなバスケットや折りたたみのテーブルなどがあり、僕はとりあえず一番重そうなものを受け取った。

「どうしたの?」

「せっかく川辺に三人いるなら、みんなでここでお昼にしようってお母さんが言いだしたの」

「保さんが釣ったお魚すぐ焼けるように炭も持ってきたわ」

 重たいテーブルに解放された佳奈姉は肩をすくめて笑い、大きなバスケットを抱えた母は至極楽しげに笑った。そしてその少し後ろからおずおずと詩織姉が炭の入ったかごや小物などを持って付いてくる。

「お義母さん、今日は俺よりも優哉くんのほうが大活躍でしたよ」

「あらそうなの、優哉くんすごいわ。それじゃあ、お腹いっぱい食べられるわね」

 朗らかな保さんの笑みに母も嬉しそうに笑う。そんな二人の笑顔に藤堂は気恥ずかしそうにはにかんだ。そんな和やかな笑顔を見ながら、僕は岩場から少し離れた場所でテーブルを組み立てることにした。そしてしばらくテーブルと格闘していると、しゃがみ込んでいた僕に影がかかり、その気配に僕は顔を上げて首を傾げた。

 そこにいたのは詩織姉で、なにか言いたげにじっと見つめてくる。疑問符が頭に浮かび首を捻りつつ見つめ返せば、なにやら小さな声が聞こえた。しかしそれはあまりにも小さくはっきりと聞き取れない。

「どうしたの詩織姉」

「あ、えっと……昨日はぶってごめんなさい。ちょっと感情的になり過ぎた」

「ん、ああ、僕は平気だよ。それに僕もちょっと配慮が足りなかったし」

 前もってちゃんと考えておけばよかった。そうすればあんなにこじれるようなことはなかったかもしれないし、みんなに心配をかけることもなかったかもしれない。これは詩織姉が悪いわけではない。

「彼、気を悪くしてなかった?」

「藤堂? 全然そんなことないよ。藤堂は優しいから心配してくれてた」

「そう」

 よほど気にしていたのか、どこか緊張していた詩織姉の顔がほっとした表情に変わる。

「いきなりこんなことになって、納得いかないかもしれないけど。でも僕がいまこうしていられるのは藤堂のおかげだと思ってる」

 なんのしがらみもなく目の前のことが楽しいと思える。いまの僕は去年までの僕とは明らかに違うと思う。ずっとどこか心に重石が乗っていた気分だったけれど、藤堂と一緒にいるようになってそれが少しずつなくなって、いまではほとんど罪悪感や後ろめたさに苛まれることはなくなった。押し込めて忘れようとしていたものに向き合って整理出来たのだと思う。

「僕と付き合っているっていうことが目について、気になってしまうかもしれないけど。藤堂を見てやってくれないかな。藤堂は本当に優しいし、いい奴なんだ。少しずつでいいから詩織姉に知ってもらいたいよ」

 同性同士だとか、歳が離れているだとか、目につくところや気になることは多いかもしれないけれど、それだけのことで藤堂を測らないで欲しい。人として見てどういう人間なのかを感じて欲しい。僕にとって藤堂の存在がどれほど尊いのか、それを知って欲しい。

「……うん、わかった」

 しばらく目を伏せて考え込んでいたが、大きく首を縦に振り頷いた詩織姉はきゅっと引き結んでいた口を綻ばせ、口角を上げて僕に笑顔を見せた。そんな姉の笑顔に僕も自然と笑みがこぼれる。

「佐樹、大好きっ」

「えっ」

 そして身構える間もなくいきなり、機嫌よさげに詩織姉は腕を広げて抱きついてきた。そんな急な行動に受け身が取れるはずもなく、僕は後ろに転がるように尻餅をついてしまう。けれど締め付ける勢いでぎゅうぎゅうと抱きつく姉に、僕はため息交じりに背中を何度か優しく叩いてあげた。

「二人でなにやってんの。テーブルまだ?」

「もうすぐ」

 呆れ顔で近づいてきた佳奈姉に苦笑いを返せば、肩をすくめられた。そして手早く慣れた手つきで佳奈姉はテーブルを完成させてしまった。

「もう向こう魚さばいて焼く準備始まってるわよ。これあっちに持って行くから端を持って」

 テキパキとした動きでテーブルを立て直すと、佳奈姉は顎でテーブルの端を持つよう促す。目を細めて見下ろす佳奈姉の視線に、いまだ首にぶら下がっている詩織姉の腕を解いて立ちあがった僕は、言われるままにテーブルの端を掴み持ち上げる。
 ゆっくりと藤堂たちのところへ向かえば、岩場の平らな場所で母と藤堂が魚をさばいてハラワタを除いていた。そして保さんは炭火の傍で綺麗にさばかれた魚を串に刺し焼き始めている。なんだかその様子がキャンプをしているようで自然と笑みが浮かんできた。