夏日45
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 普段は人混みが苦手ですぐにでもその場から抜け出してしまいたいと思うのだけれど、祭りというのは本当に不思議なもので、そんな喧騒がいまはわくわくとした気分にさせられる。時折片平たちや姉たちとも合流しながら、あれやこれやと出店を見て回った。

 たこ焼きに焼きそばにお好み焼き、大判焼きやクレープにりんご飴にわたあめなど、普段はそこまで食べたいと思わないものまで、なんだかお祭りに来ると美味しそうに見えてきてしまう。
 それに出店でやっているようなゲームは子供っぽいと思うけれど、ついムキになってしまったりもする。そんな中、保さんが射的で見事に撃ち当てたクマのぬいぐるみを、詩織姉が至極嬉しそうに抱きしめていた。

「佐樹さんもなにか欲しい?」

「えっ、いやいい。特には」

 僕の視線の先に気づいた藤堂が顔を覗き込むように身を屈めてくる。その視線に驚いて肩を跳ね上げたら、小さく笑われて頬が熱くなった。
 特になにかが欲しかったわけではない。なんとなく無邪気に笑う二人が幸せそうでいいなと思っただけだ。けれど繋がれた手を強く握りしめたら、ふいに手を引かれて藤堂の腕の中にすっぽりと収まってしまった。

 一瞬なにが起きたかわからなかったけれど、ぎゅっと強く身体を抱きしめられていまの状況を理解した。
 すると途端に先ほどの比ではないくらい顔に熱が集中して熱くなってしまう。けれどこうしているのは目立ってしまうという気持ちがあるのに、藤堂の身体を押し離すことが出来なかった。

「藤堂、恥ずかしい」

「すみません、佐樹さんが可愛かったから」

 離れる瞬間にさり気なくこめかみに口づけられて心臓が跳ねた。そして思わずまた手を握りしめてしまう。俯いた顔が赤くなっているだろうことが自分でもわかって恥ずかしくてたまらない。それなのにまっすぐ自分を見下ろす藤堂の視線が感じられて、ますます顔が上げられなくなってきた。
 しばらくそうしていると急にシャッター音が響いた。それに驚いて反射的に顔を上げてそちらを見ると、携帯電話を構えた片平がゆるりと口角を上げて笑った。

「先生、可愛い」

「お前、そういうの、撮るなよ」

「えー、だってなんかいいシーンだなって思ったから」

 まったく悪びれていない口ぶりで片平はまた口元に手を当てて笑う。そしてふっと我に返り周りを見渡せば、片平のほかに僕らの様子を見ていたらしい三島や詩織姉、保さんまでもがにこやかに笑っていた。それに驚きまた顔を俯かせると、再びみんなが小さく笑った。

「佐樹ってあんまり甘えるイメージなかったけど。そういう顔もするのね。なんだかすごく意外で可愛い」

 からかうように大きなクマのぬいぐるみで僕の頬をつつきながら、詩織姉は楽しげに笑う。それが照れくさくてふいと顔をそらすが、彼女はますます笑みを深くするばかりだ。眉をひそめられたり嫌な顔をされたりしないのは嬉しいけれど、気恥ずかしさのほうが優ってしまって、どんな反応をしていいのかわからなくなる。

「恥ずかしいから、そういうこと言わないでくれよ」

「ごめんごめん。あんまりにも可愛いから、からかっちゃった。そんなふてた顔しないで」

 クマのぬいぐるみに今度はよしよしと頭を撫でられて、複雑な心境になってしまう。三十路を過ぎたいい大人がふわふわとした甘ったるい恋愛している。
 それを知られるのは羞恥以外のなにものでもない。けれど縋るようにちらりと藤堂を見上げたら、僕の気持ちとは裏腹に涼しい顔をして微笑んでいる。少し悔しくて思わず不満をあらわに口を引き結んでしまった。

「そんな顔しないの。お詫びにしばらく二人っきりにさせてあげるから」

 気持ちが晴れぬまま顔をしかめていたら、クマに眉間を撫でられた。そしていつの間にかくるりと方向転換させられて、僕と藤堂は楽しげに笑う詩織姉に道の先へ押し出されてしまう。
 慌てて後ろを振り返るけれど、そこにいた四人はひらひらと手を振るばかりだ。なんだか丸め込まれた感じがしてすっきりしない。

「佐樹さん、手、離れると寂しいかな」

「お前まで恥ずかしいこと言うなよ」

 ふて腐れたように俯いて歩く僕を、藤堂は身を屈めて覗き込んでくる。そして離れてしまった手を促すようにそっと指先で触れる。
 まっすぐに見つめられると、触れられた指先から鼓動が伝わってしまいそうだ。けれど戸惑いながらも僕は藤堂の指先を握り返した。その指先はするりと僕の手に優しく絡みつく。繋ぎ合わされた手と笑った藤堂の顔に、ほんの少し胸のざわめきが落ち着いた気がする。

「悪いなんか、ちょっといまの八つ当たりっぽかったかも」

「気にしてません」

「ごめん」

 甘えてるとわかっているのに、つい優しい藤堂に気持ちが寄りかかってしまう。このままでは駄目だなと思うけれど、そんな僕を見つめて藤堂が顔を綻ばせるから、なんだかほっとした気持ちになる。

「あっ……」

「どうしたんですか?」

「うん、いや金魚。夏っぽいなと思って」

 歩きながらふっと視線を流した先に、金魚すくいの出店があった。赤や白や黒などの金魚が広い水槽の中でたくさん泳いでいる。それを目に留めて、小さい頃に父親に金魚をねだったことを思い出した。
 その時は赤い金魚が二匹だった。二匹ともずいぶん長生きをして、小学生の頃から高校卒業くらいまではずっと家に帰ると水槽で二匹仲よく泳いでいた。

「藤堂、金魚すくい得意?」

「金魚すくいですか? うーん、正直言ってまったく得意じゃないですね」

「赤いのと黒いのが欲しい。うちで飼う」

「俺の言葉をいま完全にスルーしましたよね」

 難しい顔をする藤堂の表情に目を細めて笑うと、僕は渋る藤堂の腕を引いて金魚すくいの店の前にしゃがみこんだ。
 とりあえずまずは試しにとポイを一つずつ手にするが、いまだ藤堂の顔は渋いものだ。その様子から本当に得意じゃないんだなと、思わず横顔を見つめて笑いを噛みしめてしまった。

 案の定、数回試したあとにポイがすっかり破れてしまった。もう一度ともう一度と三度粘ってみたけれど、残念ながら藤堂のお椀に金魚が入ることはなかった。
 ほんの少しだけ眉間にしわの寄った藤堂に笑いながら、「隣の兄ちゃんはやらないの?」と店主に声をかけられてようやく僕も水面に目を向けた。

「藤堂どれがいい?」

「え?」

「赤いのは僕が選ぶから黒いのは藤堂選んで」

 戸惑いの声を上げた藤堂に口角をゆるりと上げ笑い返すと、僕は濡らしたポイを少し斜めに水面に落とし、狙った赤い金魚をすぐさますくい上げ、お椀の中に滑り込ませた。

「もしかして、佐樹さん得意だった?」

「うん、実は」

 驚いた表情を浮かべる藤堂と店主にふっと僕が笑みをこぼせば、藤堂は目を瞬かせ、店主は少しだけ苦い顔をした。

「どれがいい?」

「ああ、じゃあ、この子」

 しばらく水面を眺めてから、藤堂は小さい身体ながらも元気のいい少しまだら模様の入った黒い金魚を指差した。そして僕はその指先を視線で追い、二匹目をさっとすくい上げた。

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