夏日47
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 参拝を済ませておみくじを引いたあとは、詩織姉と保さん、そして母たちとは行かずに片平の携帯電話と共に残った三島と合流してから、車で十分ほどのところにある大きな銭湯にやって来た。すでにそこには母や佳奈姉、片平も到着しており、みんなで一緒に中に入ることになった。
 ここのお風呂は温泉が引かれていてその種類も多く、男湯にもサウナや岩盤浴があり、長湯をすると余裕で二時間くらいは入ったら出ることはない。先に離脱したものは休憩スペースでのんびりと長湯組を待つことになる。

 僕はと言えば、もちろん長湯組だ。藤堂も途中までは付き合ってくれたけれど、さすがに最後まで付き合うのは大変だろうと先に上がらせた。
 一人になったあとも僕は湯に浸かったりサウナに入ったりと、これでもかというほどに満喫してからほかほかとした身体でようやく上がった。その頃にはもうみんな出ていて、アイスを食べたりジュースを飲んだりしていた。

 最初から予想はしていたが、やはり僕が一番あとだったようだ。けれどここに来るといつものことなので、あまり家族は気にする様子はない。藤堂も僕の長湯は知っているので同じくだ。
 片平や三島は待っているあいだに、僕はどうせ長湯だからまだ出てこないとでも言われたのだろう。片平にはのんびりとした声でおかえりと声をかけられた。

 最後の僕が湯から上がりしばらくして、湯冷ましも済んだところで家に帰って出前でも取ろうという話にまとまった。そして僕たちは保さんと詩織姉の運転する車にそれぞれ男女に分かれて乗り込んだ。行きは運転手だった佳奈姉の手にはちゃっかりビール缶が握られていた。

「そういえば電話はきたか?」

「うーん、まだどこにもかかってきていないみたい」

「そうか」

 後部座席に座っている藤堂と三島を振り返ると、少し困ったように眉を寄せて三島が肩をすくめた。

「案外待ってるとかかってこないこともあるよな」

 決まった時間にかかってくる訳ではないようだから、かかってくるかもしれないし、こないかもしれない。ただ待つと言うのは意外と身を持て余すものだ。藤堂もすっきりしなくて居心地が悪いのだろう。眉間にしわが寄っている。
 電話が鳴れば藤堂は母親と会話しなくてはならなくなり、気分が重たくなる。だけれどかかってこないとなれば気を揉んでしまいずっと落ち着かない。ではどちらがマシだろうかと考えてみるが、あまりどちらも大差がない気がした。

 ならばいっそのこと電話などかかってこなければいいと思うのだけれど、そう言う訳にもいかないのが現実だ。このまま悶々と布団に入ってもゆっくり睡眠を取れない気がする。
 しかしどちらの選択肢もこちらに委ねられていないので解決策もなく、これは僕がいくら考えても堂々巡りだと思い考えるのをやめた。

「ここの夜道は歩くと怖そう」

「確かに、夜は男でも怖いかもしれないな。この辺りは家も密集してないし、外灯が少ないからね。それに山から降りてきたクマが出ることもあるしね」

「クマですか? うーん、街中に慣れるとこういう暗さはないなぁ」

 のんびりとした三島と保さんの会話を聞きながら、周りには気づかれないよう小さく息を吐いて、僕はただまっすぐに前を見つめる。車のライトに照らされた道を眺めながら、ふと昨日の晩に藤堂が言っていたことを思い出した。執着と支配――愛情。
 どうにかしてを養子に出したいと強行する母親の態度で、自分には執着がない、愛情を持っていないと藤堂は感じているのかもしれない。けれど僕から見れば充分に、いや異常なまでに藤堂の母親は藤堂自身に執着しているように感じられる。

 ひどく歪んではいるがそこに藤堂の母親なりの愛情があり、なにか意図があって自分の敷いたレールを強行しているのだと思う。
 そう考えると、こんな状況で本当に僕のことが知られていないのだろうかと疑問が湧く。以前に藤堂は連絡を取ることさえ躊躇いやめてしまったこともあるのだ。それは連絡を取り合っていると、僕の存在が知られてしまう可能性があるということを暗に示しているのではないか。

 そんなことを考えると胸に焦りのような重苦しい気持ちが広がっていく。もしもこれが母親だけでなく学校側に知られた場合、藤堂の処遇はどうなるだろうかという心配が真っ先に浮かんできた。
 成績も優秀だし、人柄も合わせて学校での藤堂の評判はいい。とは言えなんのお咎めもなしとはいかないだろう。停学などになったりはしないだろうか。

 こんなことを言うと藤堂は怒るだろうが、僕自身が免職を問われるのは覚悟しているので構わない。けれどもし藤堂がなにかの処分を下されることになるのは避けたい。あと半年ほどだ、このまま藤堂の母親にも学校側にも知られることなく過ぎてくれればいいと切に願うばかりだ。
 しかしそんな不安が湧いては来るけれど、それでも別れようという選択肢は浮かんでこないのだなと、自分の気持ちを改めて自覚する。

「……さん、佐樹さん」

 ふいに耳元で声が聞こえ、肩に触れる手の感触に気づき思わず肩を跳ね上げてしまった。はっと我に返り瞬きをすれば、目の前には車のライトに照らされた実家の庭が見える。どうやら考えごとをしているうちに家に着いていたようだ。
 心配げにこちらを覗き込んでいた藤堂を振り返ると、ほっと息を吐かれた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、悪い。ちょっとぼんやりしてた」

 苦笑いを浮かべて返すと、藤堂も困ったように苦笑する。こんな顔をされては悩んでいたことなど口に出せないなと思ってしまう。余計な心配を増やしたくない。僕が不安になっていてはいけない気がする。

「女性陣はもう家に入ったよ」

 のんびりした保さんの声音に気づいて車内を見回せば、僕を心配げに見ていたのは藤堂だけではなかったようだ。運転席の保さんや後部座席の三島に視線を向けると、彼らもまた安堵したような笑みを浮かべた。

「家に着いたし、やっと保さんも飲めますね」

「あ、うん。実はちょっと楽しみにしてた」

 みんなで車を降りて先を歩く保さんの背中に声をかければ、振り返った彼は至極嬉しそうに微笑んだ。佳奈姉の酒豪さばかり目につくけれど、車の運転がなければ保さんも結構な量を飲むほうだ。
 僕もあと少し飲めたなら、藤堂が成人した時に一緒に楽しめるのになと思いつつ、先を歩く三人の背中を追った。

「もう晩ご飯は頼んじゃった」

 リビングに着くなり、出前のメニューをまとめたファイルを振る佳奈姉の声に迎えられた。僕がぼんやりしているあいだに行動の早い姉たちは即決していたようだ。まあとは言え、時間も遅いので早く頼まなければ出前も終わってしまう時刻だ。文句は言えない。

「保さん一日お疲れ様。こっちでゆっくり飲んでね」

 リビングに僕らがやってきたのと同時に席を立っていた母が、冷蔵庫から冷えたビールを持ってきた。それに恐縮しながらもリビングのソファに腰かけた保さんは、グラスに注がれたビールを一気に飲み干した。そしてそれを隣で見ていた詩織姉は小さく笑い、空になった保さんのグラスにビールをなみなみと注いだ。

「弥彦、優哉! 見て見て、おばさまたちがこれを買ってくれたの。出前が届くまでこれやろう」

 そんな中で片平がこちらを向いて、飛び上がるようにしてなにかを頭の上に掲げた。

「花火?」

 透明な袋に入ったそれは、様々な種類の手持ち花火だ。大きさから見てもかなりたくさん入っている。家で花火だなんて何年ぶりだろう。そんなことを思い目を瞬かせてしまった。

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