疑惑02
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 建物内に入る時も受付に守衛がいたが、なにやら戸塚さんが通行パスらしきものを見せるとすんなりその前を通り過ぎることができた。
 長い廊下を抜けてエレベーターや階段を何度か上がり下りしていくと、また廊下が続いた。そこは両サイドに扉がいくつもある廊下だった。扉の横に名前が色々書かれているので楽屋というやつだろうか。

「ここが今日二人に使ってもらう部屋だよ」

 扉を押し開いて振り返った戸塚さんが、後ろを黙って歩いていた藤堂と峰岸に視線を向けて笑みを浮かべる。覗き込んだそこはよくテレビやドラマなどで見るような雰囲気だった。
 室内はそれほど広さはないが、壁際に並んだ化粧台や服がたくさんかけられたキャスターの付いたラック、大きな机に飲み物や弁当まで置いてあり、なんだかすごくそれっぽい。
 藤堂や峰岸も物珍しそうな顔をして室内を見回していた。

「これからスタイリストさんとメイクさんが入るので、二人には準備にとりかかってもらうね。予定としてはメイクやヘアメイク、フィッティングで午前中終わっちゃうかもしれないな。昼食挟んで午後から撮影本番かな」

「そんなに時間が準備かかるものなんですか」

 さらりと告げられた予定に驚いてしまう。そう簡単なものではないと思っていたけれど、現実はそれよりも予想をさらに大きく超えていった。

「うん、今回は特にね。もともとは十人くらい使ってやる企画だったから、二人に着てもらう服は多いかな。衣装合わせもしてないし、撮影が始まってもまた髪型を変えたりメイクを直したりとか、色々時間はかかるよ」

「そうなんですか」

 なんだか僕の安易な考えと興味で藤堂と峰岸に大変なことを押し付けてしまったなと、今更だが申し訳ない気持ちになってしまう。そろりと二人に視線を向けると、僕の心情を察しているのか、峰岸は肩をすくめて笑い、藤堂は小さく首を傾げて微笑み返してくれた。

「おはようございます」

「あ、おはようございます。こちら今日お願いする優哉くんに一真くん、よろしくね」

 恐縮しているあいだにも開きっぱなしだった扉をノックしながら三人ほど室内に入ってきた。その面々を見ると、戸塚さんは笑みを浮かべて挨拶を返し、その三人に藤堂と峰岸を紹介する。

「スタイリストの宮原くんにメイクの桜井さんにアシスタントの神谷さん。三人とも月島くんのお墨付きだから、なにか気になることやわからないことあったらなんでも聞いてね」

 少し緊張した面持ちになった藤堂と峰岸に紹介されたのは、裏方とは思えないほど顔立ちの整った宮原くん、すらりと背の高いモデルのような桜井さんに、小柄で可愛らしい印象の神谷さん。
 みんな二十代半ばか後半くらいだろうか。三人ともすごくおしゃれで、こういう世界は裏方さんもこんなにそれぞれ雰囲気があるのかと感心してしまう。

「お墨付きとか、またまた! 戸塚さんそんなこと言ってもなにも出ないですからね。でもまあ、やるからには精一杯頑張るのでよろしく」

 三人の中で一番歳上であろうと思われる唯一の男性、宮原くんがおどけたように笑うと、ほかの女性二人もつられたように笑い「よろしく」と片手を上げてひらひらとその手を振った。そして改めて藤堂と峰岸を見つめて三人は感嘆の声を上げる。

「写真で見てたけど生は違うね。お肌つやつやだし、足長いし、ほんとに格好いいね」

「顔、小さいね」

「へぇ、素人さんには見えないな」

 三人に囲まれてさすがに気圧されたのか、藤堂と峰岸の笑みが少しばかり強ばった笑いに変わる。終いには遠慮なく肩や背中や髪などに触れられ、二人は固まったように動かなくなった。

「じゃあ、二人のことは頼んだよ。佐樹さんはスタジオのほうへ行って見ましょう。月島くんも待ってると思うから」

「あ、はい。じゃあ、えっと……藤堂、峰岸よろしくな」

 少しばかり急ぎ足な戸塚さんにつられ二人に片手を上げると、二人はこちらに視線を向けてぎこちないながらも微笑んでくれた。その笑顔に少し救われた気分になる。

「今回の撮影って結構大変なんですか?」

 廊下を抜けてスタジオのほうへ向かっていると、あちこちに人がたくさんいて、忙しそうに声をかけ合ったり、様々な作業をしたりしている。それがすべて今回の撮影に関わるのかはわからなかったけれど、先ほどから少し急いでいる雰囲気の戸塚さんに思わず声をかけてしまった。

「うん、実はかなりタイト。なにせ月島くんが予定をねじ込んできたからね」

「えっ!」

「もともと月島くんは、予定が一年分は大まかに組まれてるんだよね。年契約だから」

 思わず戸塚さんの言葉に上擦った声が出てしまった。今回もだけれど戸塚さんの話の通りなら、先月の部活動も予定をねじ込んだということになる。いつでもいいと渉さんは笑って簡単に言っていたけれど、実際はそんなことになっていたのかと、知れば知るほど申し訳なさが込み上がってくる。

「でもある程度は休みとか予定をねじ込まれても大丈夫なようにしてるから、気にしなくていいよ。このあいだの休みは楽しかったみたいで次の日は機嫌よかったしね。僕らにとっては好都合だったよ」

 僕の慌てぶりに気持ちを察してくれたのか、戸塚さんはゆるく笑い肩をすくめる。それにしても長く渉さんとは付き合いがあるけれど、知らないことが多いなと改めて感じた。
 あまり私生活や仕事のことを多くは語らない人だったし、僕も深くは追求して聞こうとは思わなかったせいかもしれない。それは興味がないわけでなく、必要ならば話してくれるだろうという信頼のような気持ちだ。

「あの、普段の渉さんって」

「うん? 気になる? 僕も佐樹さんが見ている月島くんが気になってるよ」

「え?」

 ふふっと小さく笑った戸塚さんに首を傾げると、ますます笑みを深くして見つめられる。そんなに仕事場での渉さんは僕の知っている渉さんとは違うのだろうかと、頭の中に疑問符が飛び交った。
 しかし考えたところで戸塚さんが浮かべた笑みの意味がわかるわけもなく、曖昧に笑い返したらなにかまた機嫌よさげな様子で戸塚さんは微笑みを浮かべた。

 楽屋からしばらく歩いた先は、なにかの裏手に当たるのかベニヤ板や木枠で組まれた骨組みが見えた。そしてその隙間にある細い通路を抜けていくと、薄暗い場所から急に明るい場所へと出る。

「ここが今回の撮影場所だよ」

 一瞬明るさに目がくらんだが、慣れると大した明るさではなく、戸塚さんが腕を伸ばし指し示してくれた場所が目の前に広がった。そして裏側から見えていたのは大掛かりな背景のセットだというのがわかった。
 そこには思っていたよりもたくさんの人たちがいて、僕は見慣れない世界に呆然としてしまう。

 撮影に使われるのだろう照明や機材が点在し、その傍では色々な人たちが段取りなどを確認しているのか、書類を片手に顔を突き合わせている。そして撮影場所から少し離れたところに、パソコンのディスプレイらしきものが並んでいる机があった。

「月島くん」

 そこには見慣れた後ろ姿もあり、戸塚さんがその背中に向かって声をかける。するとなにか話をしていたその人はゆっくりと振り返った。

「あ、佐樹ちゃん!」

 そして僕を見るなり椅子から立ち上がると、まっすぐに駆け寄ってきた。両腕を広げて満面の笑みでいつものように抱きついてきた身体を抱きとめれば、ぎゅっと強く抱きしめられて頬を顔にすり寄せられる。

「あ、えっと……渉さん今日はありがとう」

「それはこっちの台詞だよ。二人を落としてくれた佐樹ちゃんに感謝」

 僕の両頬に軽く口づけ、肩に手を置いたまま腕を伸ばし、僕の顔を覗き込むようにしてにこやかに笑う渉さんはいつも通りだ。けれど僕に勢いよく渉さんが抱きついた瞬間、まわりの空気が揺れたのは鈍い僕でもすぐさま気がついた。そしてまた集まる人の視線、それは本日二度目の感覚だ。

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