疑惑05
175/251

 好きとか愛してるっていうのは、柔らかくて甘いものを連想するけれど。きっと優しいだけじゃない。現に相愛同士で恋愛していても、すれ違いや傷つけ合いをしたり、嫉妬して喧嘩して気持ちをぶつけたりすることだってある。
 それを踏まえてもしも、万一にも僕が渉さんを好きになったとして、付き合うことになったらどうなるか。きっと僕たち二人の恋愛はうまくいかないんじゃないかと思う。

 なぜなら彼は優しくて甘くて、いつだって僕を真綿で包み壊れモノのように大事にしてしまう。けれどそれではいつまで経ってもお互い対等な関係になりきれない気がする。甘く優しく甘受され、喧嘩をして泣いたり怒ったりすることもなさそうだ。

 確かにすれ違いもなく傷つけ合うこともない関係は理想的かもしれない。そんな風になれたらどんなにいいかと思う。けれど波風のまったくない関係だけでは、心がいつまで経っても近づくことがないのではないか。奉仕する側とされる側、そんな関係になってしまいそうだ。

 そこに愛情はあるかもしれないけれど、それは僕が望む愛ではない。僕はいつも隣で一緒に泣き笑い、苦しみや痛みを共有し、互いを支えあえる関係を恋人に望んでいる。そしてその相手はやはり僕には藤堂しか考えられない。

 降り注ぐライトの光にも負けないくらいのオーラをまとってそこに立つ藤堂はいま、少しだけ別の世界にいるみたいで遠く感じる。それでも合間合間に入るメイク直しや衣装調整のたびにこちらを振り向いて、柔らかな眼差しをくれた。

 そのたびにいつもとは雰囲気の違う藤堂に胸を高鳴らせてしまう。そしてこの藤堂を様々な人が目にするのかと思うと少しばかり、心が締めつけられる思いもした。自分が撒いた種を今更になって後悔し始める。
 こんなに格好いいなんて想定外過ぎて、安易に浮かれてしまった自分を恨みたくなる。けれど僕の目はずっと藤堂を追いかけそこから離せずにいた。

「二人とも今日だけなんてもったいないな。こんなに初回で撮影が止まらないのは珍しい。勘がいいんだね」

「そうなんですか?」

 僕の横で撮影を真剣に見つめていた戸塚さんがひどく残念そうな声音で息をついた。そんな声に僕は藤堂に向けていた視線を戸塚さんへと向ける。すると苦笑いを浮かべながら戸塚さんが振り返った。

「まったくの素人さんは今回が初めてだけど、月島くんと初めてやる子は大抵二度三度はストップがかかるんだよね。特にモデル歴が浅い子だと余計多いかな? 月島くんとモデルさんの呼吸が合わないっていう感じだね」

 肩をすくめた戸塚さんは再びちらりと現場に視線を向けた。そこでは渉さんの少しの指示で的確であろう動きをする藤堂と峰岸がいる。
 撮影は止まるどころか見ているだけでも順調そうなのがよくわかった。そのおかげなのかまわりの空気も張りつめたものではなく、ほどよい緊張をまとった空間になっている。

「編集さんも大人数で来てるし、もしかしたらページが増えるかもしれないな。ちょっと失礼しますね」

「あ、はい」

 少し声を弾ませた戸塚さんが会釈をして離れていくのにつられ、周囲へ視線を巡らせば、わずかながら撮影開始時よりも人が増えているような気がした。
 編集さんということは雑誌関係者だろうか。そういったことは疎くてよくわからないけれど、渉さんの仕事ということだけあって注目されているのかもしれない。

 そう考えると本当に僕は安易にこの話に飛びついてしまったのだと再認識させられる。撮影が開始され、あいだに昼休憩を挟みかれこれ五時間以上は経つが、まだまだ撮影は終わる気配がない。
 しかしこれだけの時間をかけて撮影されたものはどんな風に出来上がるのだろうかと、期待に満ちた眼差しを送ってしまうのが正直なところだ。

「まだ続くと思うので椅子どうぞ」

「あ、すみません」

 戸塚さんが離れぽつんと立っていたのが気になったのか、ふいにスタッフの人に声をかけられた。驚きながらも頭を下げて、僕は差し出された椅子に腰かけてしまう。
 ずっと撮影している藤堂たちには申し訳ないが、さすがにずっと立っているのに疲れを感じ始めた頃だった。それにしてもまだ続くとはあとどれくらい藤堂と峰岸は着替えをしてカメラの前に立つのだろう。スタッフの人に差し出された紙コップのお茶をのんびりと啜ってしまった。

「ちょっと、誰。このおじさん呼んだ人」

 またしばらくじっと撮影風景を眺めていたら、ふいに渉さんの動きが止まり誰かを振り返った。険を含んだその声にまわりは少しざわつくが、驚きよりも戸惑いといった様子だった。

「月島くん、それはないよ」

「呼んでないし」

 渉さんが視線を向ける先には四、五十代くらいの口髭をはやしたスマートな出で立ちの男性が立っていた。すっきりとスーツを着こなし、佇まいも凛としていて渉さんが煙たがる要因がよくわからないほど顔立ちも整った男性だ。
 露骨に嫌そうな顔をする渉さんに男性は困ったように苦笑いを浮かべてみせる。

「勧誘しないでくれる?」

「まだなにも言ってないよ」

「存在自体、認めてないから」

 感情のこもらない平坦な声音で煩わしそうに目を細める渉さんに、男性はますます困ったような顔になるが、視線はちらちらと藤堂と峰岸に注がれていた。

「月島くん自らの選出と言われたら気になるでしょ。二人ともこの業界に興味ない?」

「勧誘するなって言ってるんだけど」

 急に現れた男性に撮影が中断し、藤堂と峰岸は不思議そうに顔を見合わせた。業界への勧誘ということはモデル事務所かなにかだろうか。
 もしそうならば男性の仕草や表情、立ち振る舞いには納得がいく。無駄のない洗練した雰囲気が醸し出されている。元モデルの事務所社長とかそういう肩書きが僕の頭の中に浮かんだ。

 僕がぼんやり考え込んでいるあいだにも渉さんとの言い合いは続いていたようで、いままで見たことがないような不機嫌の塊になっている渉さんがいた。やはり僕が普段見ている渉さんは、渉さんの一部分でしかないのだなと改めて感じる。

「面白いとは思うけど、受験あるからなあ」

「俺は興味ないです」

 渉さんと男性の小さな攻防に肩をすくめた峰岸と藤堂が、それぞれに思っていることを口にする。するとなぜかその瞬間まわりの空気がざわりと揺れた。
 動揺にも似たそのまわりの反応に僕だけでなく藤堂と峰岸も首を傾げる。けれどそんな反応は予測済みだったのか、渉さんが大きく息をついた。

「だから駄目だって言ってるんだよ。二人とも高校生だし進路があるんだから本格的には無理だよ」

「高校生なのか! てっきり大学生くらいかと思ってたんだが」

 渉さんの言葉に男性は心底驚いたような声を上げて藤堂と峰岸を上から下まで見つめ、また最後にじっと顔を見つめた。先ほどのざわめきの理由は二人がまだ高校生だという事実を皆知らなかったということか。
 確かに見た目だけなら二人は十分過ぎるほどのオーラがあって顔立ちも雰囲気も大人びている。そういえば最初に展示場で渉さんが藤堂を見たときも同じような驚きをしていたなと思い出す。

「バイト感覚でもいいよ」

「俺はやりません」

「大学は結構講義が多いって聞くしな」

 相変わらず即決の藤堂に比べると、峰岸のほうは少なからずこの世界に興味があるようだ。けれど現実的な問題があって二の足を踏んでいるのか、返す言葉は曖昧に濁したものになっている。しかしそんな峰岸の言葉に期待を持ったのか、男性の目がきらきらと輝き出す。

「大学優先で短期契約も受け付けてるから考えてみて!」

「おいこら、神林。おっさん、帰らないと仕事切るよ!」

「あ、名刺おいていくから!」

 不機嫌そうな渉さんの顔がますます険しくなっていくと、近くにいた戸塚さんがあいだに入り、神林と呼ばれた男性を諭しながら出入り口のほうへと促していく。
 しかし悪くない感触だと思ったのか、かなりひどい扱いを受けながらも男性は満面の笑みだった。こういう業界はこのくらいの勢いがないとやっていけないんだろうなと、思わず感心してしまう。

 しかし渉さんの機嫌は明らかに下降している。苛立たしげに舌打ちをすると、カメラを手放しそのままスタジオの奥へと歩いて行ってしまう。その後ろ姿にスタッフたちは大きく肩を落としていた。

リアクション各5回・メッセージ:Clap