疑惑12
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 放課後になってから間宮と二人で駅前にある携帯ショップへと向かった。長らく故障することもなく同じ携帯電話を使っていたので、ショップには随分と久しぶりにやって来た。

 店頭に並んでいる機種は大きな画面と薄さが売りであろう最新型ばかりで、折りたたみの携帯電話が置かれているのは店頭のごく一部分だ。
 けれど間宮が持ってきてくれたカタログがあったおかげで、希望の機種も色も伝えられ、スムーズにことが済んだ。

「ありがとうございました」

 店員の笑顔と共に僕は手渡された紙袋を受け取る。そして背後のソファに腰かけていた間宮に目配せすると、すぐに出入り口へと向かった。

「待ってるあいだ暇だっただろ?」

「いえそんなことはなかったですよ。大丈夫です」

「だったらいいけど。でも思ってたより早く終わった」

 僕の携帯電話は古い機種で全損だったので多少時間を取られたが、想像していたよりもずっと早く手続きが終わった。

「普段そんなに使わないけど、ないとないで落ち着かないもんだな」

「いまの時代は携帯電話がないと不便ですよね」

「確かに」

 毎日連絡をくれる相手は藤堂くらいしかいないが、繋がらないと思えばなんとなく急用があったらと余計な心配をしてしまう。
 壊れた本体は電源が入らなかったけれど、データのほうはメモリカードが生きていて、なんとか新しい機種に移してもらえた。

 これでいつ誰から連絡が来ても慌てることはないだろう。それにしても昔は機種変更のたびに何時間も待たされたような気がしたが、僕の古い記憶などあてにはならないようだ。真新しい携帯電話を手に僕は目を瞬かせてしまう。

「そうだ」

 しばらく携帯電話を見つめていた僕は、思い出したように携帯電話を開くと真っ先にメール画面を表示する。そして一番に連絡しようと思っていた藤堂へ向けて、新しい携帯電話を買ったとメールを打ってほっと息を吐いた。

「希望の色が在庫にあってよかったですね」

「ああ、付き合ってくれてありがとうな」

 ショップにいるあいだもメールを打っているあいだも、黙って待っていてくれた間宮に改めて礼を言えば「お安い御用です」と満面の笑みを返される。その笑みにほっとして腕時計に視線を落とせば、まだそれほど時間は遅くなかった。

「腹も減ったし、なにか食べて帰るか?」

 以前の僕ならば出てこないだろう言葉が自然と口から発せられる。藤堂がいてくれるようになって、僕の腹時計はかなり正常な働きをするようになった。

 朝は珈琲だけでは物足りなくなったし、昼も固形栄養食にお世話になることはほとんどない。夜も量こそ多くは食べられないが、食事をするのが当たり前になった。
 いまもまさに小腹が空いてなにか食べたい欲求が強い。付き合ってもらった礼をこめて声をかければ、間宮は嬉しそうに頬を緩ませた。

「そうですね」

「いつもの定食屋でいい? 今日のお礼にご馳走するぞ」

「ありがとうございます。もちろんそこでいいですよ」

 小さく頷いた間宮に僕は思い浮かんだ店の方角を指差した。駅前には色んな店があるが、僕たち教師陣が行く店はなんとなく決まっている。
 馴染みの居酒屋に定食屋。だから名前を言わなくとも大体どこなのかは把握できる。それに僕は基本的にお酒を飲まないし、お酒で失敗をした間宮はいまのところ禁酒をしているから、二人で行く場所は限られてくるのだ。

 目的の店はいまいる場所からはすぐ近く、大通りを挟んだ向かい側だ。横断歩道を渡っていくのは遠回りになるので、歩道橋を通っていこうと僕は方向転換をした。

「あ、西岡先生すみません。先に行っててもらっても?」

「ん?」

 慌てた声を上げて立ち止まった間宮を振り返ると、携帯電話がその手の中で着信を知らせていた。

「わかった」

 間宮の様子からすぐに終わる内容ではないと推測できたので、僕は頷いて再び歩道橋に向かって歩き出した。
 階段を数段上りちらりと視線を落とせば、道の端に移動しながら間宮は電話の応対をしているのが見える。のんびり歩いていけば間宮もすぐに合流するだろうと、僕はまたゆっくりと階段を上り始めた。

「ん、なんの音だ?」

 階段を上ってると大通りを流れる車のエンジン音に紛れ、硬質ななにかが甲高い音を響かせているのに気がついた。
 その音を探すように視線を持ち上げれば、丸いビー玉のようなものが上のほうから跳ねながらいくつも転がり落ちて来るのが見える。なにげなくそれを視線で追いかけさらに階段を上っていくと、ふいに大きな影が自分を覆う。

「え?」

 突然感じた人の気配に驚いて身構えたけれど、身体は勢いよく伸ばされた腕に突き飛ばされた。とっさに顔を上げてその腕の先にいる人物を見上げたが、逆光でその顔がわからなかった。

「西岡先生!」

 背後から僕の名を呼ぶ間宮の声が聞こえる。けれど突き飛ばされた時に階段のへりで足を滑らせた僕は、軽く宙に浮いてから身体を階段に打ちつけられ、そのまま数段転がり落ちた。

「痛っ」

 落ちると気づいた時、とっさに頭をかばい身体を丸めたけれど、その代わりにさらけ出された背中や肩がズキズキと痛む。しかし一番下まで転がり落ちなかったのは幸いだったかもしれない。僕の身体は階段の途中で駆けつけた間宮が抑えてくれたおかげでさらなる衝撃をまぬがれた。

「大丈夫ですか?」

「なんとか」

 昨日の今日で二度も肝を冷やされる出来事に遭遇するとは思いもよらなかった。この状況ではさすがに作り笑いも浮かばなくて、身体の痛みに顔をしかめるしかできない。

「身体大丈夫ですか? どこか傷めてませんか?」

 慌てているのか間宮の声がいつもより早口で上擦っている。

「あー、手首捻ったかも」

 身体の痛みももちろんだったが、右手首が熱を持ったように熱くて鈍い痛みが走る。階段に落ちた時にとっさに手をついてしまったのかもしれない。左手で手首を掴んでみるとじりじりと痺れるような痛みが広がった。

「病院行きましょう! 遅くまでやってるところ知ってます」

「え?」

 急に立ち上がった間宮は携帯電話を取り出しどこかに電話をし始めた。いつもはのんびりとしたところしか見ていないので、その行動の速さに目を見張ってしまう。僕が目を瞬かせ驚きをあらわにしているあいだに予約を取りつけた間宮は、僕のスーツの汚れを払うと手を差し伸べてきた。

「歩けますか?」

「あ、うん。大丈夫だ」

 その手をとるかどうか一瞬迷ってしまったが、いつまでも歩道橋の階段で座り込んでいるわけにもいかないので、差し伸ばされた手に左手を預けた。

「右手首のほかに痛いところないですか」

「うーん、多分平気だ」

 身体はあちこち痛むけれど、右手首ほど腫れているような感覚はない。しかし心配げにこちらを見つめてくる間宮の表情に曖昧な返事をしたら、ますますその顔に心配の二文字が浮かんだ気がした。

「そんなに心配しなくても大丈夫だ」

「心配しますよ。あまり無理をしないでくださいね」

「ああ、わかってる」

 これ以上心配かけるのは申し訳ないなと、今度は言葉を濁すことなく返事をした。すると少しばかりほっとした様子で間宮は小さく息をつく。
 この様子だと僕が階段から足を滑らせたと思っているのかもしれない。もしかしたら人影でも見ているのではと思ったが、余計なことを聞いて混乱させるのは悪いと僕は小さく笑みを返した。

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