疑惑18
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 僕の危機管理能力はいつまでたっても甘いと評価を受ける。しかしそれのどれもが予想外過ぎて僕は本当にわからないのだ。
 だから目の前でにこにこと笑みを浮かべながら肉を頬張っている、そんな間宮のどこに気をつけたらいいのかがわからない。間宮が学校に赴任してきてからもう三年は過ぎた。そのあいだも特に変わらず同僚として接してきている。気を許すなというのはどこまでのことを指すのだろう。

「西岡先生、お肉こげちゃいますよ」

「あ、うん」

 裏っ返しにされて、ほどよく網の上で焼けた肉に視線を落とした僕は、それを皿に移すと黙々と口に運ぶ。すると間宮はせっせと新しい肉を網に載せていく。この甲斐甲斐しいところも昔から変わっていないし、僕に懐いて後ろをついて歩くのも赴任以来ずっとだ。

「私の顔になにかついてますか?」

「あ、いやそんなことはない!」

 気づいたら間宮の顔を僕はじっと凝視していた。慌てて首を振ったら間宮は眼鏡の奥にある瞳を瞬かせ、不思議そうに首を傾げる。
 しかし長いこと一緒に仕事をしているが知らないことは多い。特に僕と間宮はあまり相手の深いところまでは立ち入らないタイプなので、自然と知る情報も限られてくる。
 考えてみれば間宮のことは仕事場の姿しか知らない。プライベートなことで知っているのは、生徒会にいる柏木の叔父であることぐらいだ。普段の間宮はどんなことをしてるのだろう。

「間宮の趣味ってなんだ?」

「え? 急な質問ですね。うーん、読書とかが一番自分の時間が持てていいですね」

「お前は勉強とか好きそうだよな」

 そういえば間宮は大学院へ進んだのに退学して教師になったのだった。なにやら難しい薬学かなにかを研究していたとか、前に聞いたことがあったような気がする。それにしてもそんなに楽な仕事でもないのに、どうして教師になどなったのだろう。

「間宮は教師じゃなくてもほかに仕事あっただろう」

 大学院は中退だけれど大学自体はいいところへ行っていたらしいので、就職のあてはもっと好条件なところがあったように思える。

「そうなんですけど、ちょうど話が来たので」

「ふーん、学校はもう慣れたか?」

 三年以上も勤めているのに今更な問いかけだ。現に目の前では間宮が驚きに目を瞬かせこちらを見ている。しかし言葉にしてしまったものは安易に取り消すことができず、僕はそのまま視線を皿に向けてしまった。仕方なく不自然にならぬように箸で肉をつまむとそれを口に放り込んだ。

「西岡先生がいてくれるおかげで随分慣れましたよ」

「え?」

「もし西岡先生がいなかったら途中で逃げ出していたかもしれません」

「大げさだな」

 間宮の言葉になんだかむず痒さを感じてついそっけない返事をしてしまう。けれどそんな僕を見ながら間宮は機嫌のよさげな笑みを浮かべている。しかし間宮にそんな風に思われているとは思いもよらなかった。

 彼が赴任してきた年はみのりを亡くした翌年だ。その時にはもうすっかり準備室に閉じこもっている状態だったので、プライベートも仕事もあまり愛想がいいとは言えない状況だった気もするが、わからないものだ。

「大げさじゃないですよ。私は本当に西岡先生には感謝しています」

 感謝をされるようなことをしてあげられていたとは思えないが、なんだかんだと職員室になじめずにいた間宮を準備室に置いていたのは確かだ。感謝とはそういうことだろうか。

「そうか」

 満面の笑みを向けられてはそれ以上返す言葉も見つからなくて、僕は小さく頷きまた肉を頬張った。そういえば間宮とこんな話をするのは初めてだ。しかし改まって礼を言われるとどうしたらよいものかと戸惑ってしまう。

「そういえば西岡先生は最近とても健康的になりましたね」

「健康的?」

「食事を自ら進んでしているようですし、顔色もよくて元気そうです」

「そうか?」

 いままで大して気にしてはいなかったけれど、そんなに僕は不健康そうだったのだろうか。まあ、いまと以前を比べると格段の差だが、そこまで違うものだろうかと思わず首を傾げてしまう。

「不思議そうにされてますけど、一時期とても痩せられて皆さん心配してましたよ」

「え、そうなのか?」

 確かに事故のあとは食事も喉を通らなくて、ズボンのウエストがだいぶゆるくなった覚えはある。それから食事は適当になったけれど、ある程度痩せてからはそれほど変わっていないと思っていたが、心配されるほどだったのか。
 最近は少し肉付きがよくなってきたのは気づいていた。しかし無駄に肉がつくような、太ったという感じではないのは藤堂の食事のおかげだろうか。

「うーん、色々と心配かけたのは確かだよな」

「それだけ西岡先生がまわりに愛されてる証拠ですけどね。西岡先生が笑っていると皆さん和やかになりますよね」

「え? そんなことないだろ」

 前にも誰かに似たようなことを言われた気がするが、そこまで自分がまわりに影響を与えているとは思わなかった。けれど毎日顔を合わせていれば自然と空気というものは伝わるのかもしれない。気分が塞いでいた頃はあまり生徒たちも近づいてこなかった気がする。
 誰かに与える影響は少なからずあるのだろう。

「私が休んでいるあいだに随分とみんな変わっていたので、ちょっと寂しいですけど」

「あ、あー、そうかな」

 少し目を伏せて拗ねたような表情を浮かべる間宮にうまい言葉が浮かばない。つい誤魔化すように目が泳いでしまった。しかし春は色んなことが凝縮されていて、目まぐるしい季節だった。

 藤堂に告白されていままでにない恋をして、ずっと忘れていた過去を思い出した。みのりのことも清算できて、それがなによりも僕の気持ちを変化させた気がする。
 それに片平や三島、峰岸や生徒会の生徒たちとも触れて賑やかさにもまた慣れた。

「そういえば文化祭もうすぐだから、生徒会もなにかと忙しいだろう」

「あ、はい。色々と手続きが多いのでなかなか大変です。毎年のこととは言えこの忙しさには慣れないですね」

 困ったように笑って肩をすくめたが、間宮もなんだかんだと生徒会の顧問をして二年が過ぎた。最初の頃はひやひやしたものだが、いまはさすがに慣れたのか堂に入ったもので、仕事は的確で処理スピードも速い。
 もともとコツコツと仕事をこなすタイプだから僕にはそれほど驚きはないが、顧問になりたての頃はほかの先生たちが気を揉んでいた。間宮はすごく真面目だけれど、たまに突然予想がつかないこともするからだ。

 とはいえ物事には限度がある。三月の送別会の時、なぜあんなにも酔っ払うほど飲んだのだろう。階段から飛び降りたのは、酔っ払った勢いからだろうというのはなんとなく見ていてわかったけれど、それまではあそこまでお酒でハメを外すというのはなかった気がする。

「なにか不満とか、溜まってることはないか」

「不満ですか? うーん、特にこれといっては」

「大丈夫か? お前は知らぬ間に色んなこと溜め込んでいそうで心配だ」

 僕の問いかけに頭を悩ませている間宮を見てますます心配になってしまう。普段どんな話をしていても、間宮の口から愚痴というものがこぼれたことがない。
 聞いている側からすると嫌な気分になることもなくていいのだが、なにか聞いてやったほうがよかったのではないかという気持ちにもなる。
 とはいえそんな余裕は藤堂に出会う前の僕にはなかったから、未然に間宮の事故は防ぎようもなかった。改めて考えると僕はひどく頼りにならない先輩だ。

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