疑惑19
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 基本的に間宮は大人しい。もうちょっとこう押しが強くてもいいくらいだと思うが、いつも困ったように笑い自分の発言をあまりしない。だからほかの先生たちはそんな間宮にあれやこれやと用事を押しつけてしまうのだ。
 けれどそのことで愚痴をこぼすかと思いきや、自分が至らないばかりにとしょげている。僕もそれほど自己主張は激しくないが、間宮はお人好しの典型だなと思う。いや、でも最近は少しばかり我が強くなったかな? ふいに夏の部活動の帰り際を思い出した。

「西岡先生に心配してもらえるなんて嬉しいです」

「心配してるのに、喜んでどうするんだよ」

「あ、すみません」

 頬を緩めて笑う間宮に少しばかり呆れつつも、僕もつられて笑みが浮かんでしまった。心配になることは多いが、この間宮が持つのんびりとした空気感は嫌いではない。一緒にいると肩肘を張らなくていいから気が楽なのだ。

「あまり見られると照れるんですが」

「照れるなよ」

 本当に顔を赤らめて俯く間宮を見て思わず声を上げて笑ってしまう。からかうように顔をのぞき込んだら、ますます真っ赤になってうろたえる。結構間宮は恥ずかしがり屋だ。いつもなに気なく顔を見つめれば、すぐに照れたように視線をそらす。

「お前ってほんと目線合わせるの苦手だよな」

「は、恥ずかしいじゃないですか」

「なんだよそんなうぶなこと言って。好きな子を前にしたら置物になりそうだな」

「ドキドキしてそれどころじゃないです。私はあまり恋愛ごとに向いていないので」

「なんだそれ、可愛いなお前」

 そわそわと落ち着きなく視線をさ迷わせる間宮は、急に早送りしたみたいに動き出す。少し滑稽なその反応に、申し訳ないと思いつつも涙が出るほど笑ってしまった。やっぱり間宮は和み系だな。いままでまわりにあまりいなかったタイプのような気がする。
 思えば僕の身近にいる人は自己主張もできる自立した人間が多い。間宮のように手を伸ばしてやろうと思える相手はほとんどいなかった。

「間宮は、なんかいいな」

「え?」

「一緒にいて楽しいよ」

「あ、ありがとうございます」

 嬉しそうに笑う間宮を見ていたらなんだか癒やされた気分になった。無邪気って言葉がぴったりな男だと思う。

 それからしばらくたわいない話をして、食事を終えて店を出た頃には二十時を回っていた。肉や野菜をたらふく食べてもう満足だ。久々にがっつりと肉を食べた気がする。

「西岡先生の細い身体のどこにあの肉が消えたのか不思議です」

「そうか? 食べた分は腹が出てるけど」

 満腹の腹をさすっていると、間宮がその腹を見つめて意外そうな顔で目を瞬かせた。しかしスーツのジャケットを着た状態ではあまりわからないかもしれないけれど、見た目以上に胃が膨れている。
 普段それほど大食らいではないが、最近は胃腸の調子もいいのでこのくらいで胃もたれすることはない。

「間宮は一見細そうだけど、そうでもないんだよな。結構しっかりしてる。本の虫のわりに運動もしてる?」

「え? ちょっ、西岡先生?」

 身長は僕より少し高いくらいで、一見した感じは色も白いし顔も小さいからほっそりとした印象を受ける。けれど実際は適度に筋肉がついている健康的な身体だ。薄着になると意外と胸板も厚くて男らしい。僕は食べても運動しても筋肉があまりつかないので、ちょっとばかり羨ましくなる。

「逃げるなよ」

 ぺたぺたと僕が触れるのがくすぐったいのか、思いきり身をよじって逃げられた。さらには一歩後ろに下がられてしまう。ちょっと不満げに視線を上げたら、間宮は困ったように眉をハの字にして顔を赤く染める。
 そこまで嫌がらなくてもいいだろうとは思ったが、少し無遠慮に触り過ぎたかなと思い触れていた手を引いた。

「えーと、あの朝晩は走ってはいます」

「ん? あ、そうなのか。偉いな、僕は走るなんて、ここ最近したことないな」

 ぽつりと呟かれた言葉に一瞬首を傾げてしまったが、運動はしているのか、という僕の言葉に応えてくれたようだ。もっと家にこもっているようなイメージを勝手に持っていた。人は見かけによらないものなんだなと、まじまじと間宮を見つめてしまう。

「なんですか?」

「うん、ちょっとお前のイメージが変わったなと思ってさ。意外とアウトドアなところもあるんだな」

 少し身構える間宮に小さく声を上げて笑うと、さらに戸惑ったような顔をされる。けれどそんな顔がなんだか可愛くて思わず勢いのまま頭を撫でてしまった。柔らかいこげ茶色の髪が指のあいだでさらさらと踊る。

「西岡先生?」

「ああ、悪い。なんか柔らかくて猫みたいだなと思って」

 あまりの触り心地のよさに猫をあやすみたいに髪を撫でていた。さらさらとしているのに、しっとりもしている柔らかい髪の毛だ。毛足の長い長毛種を撫でているような錯覚に陥る。動物を撫でている時に出るアルファ波を感じて、思わず無心で髪を撫でてしまう。

「猫、可愛いよな」

「えーと、私は猫ではないのですが」

「あ、悪い」

 いつまでも髪を撫でていたら、さすがに我慢ならなくなったのか間宮に手首を掴まれてしまった。その感触に驚いて髪から手を離したけれど、手首をぎゅっと強く握られる。思いのほか力強いその手を見つめるが、こちらの視線には気づいていないようだ。

「間宮?」

「あ、すみません」

 じっと僕の腕を見つめていた間宮が、呼びかけた声に我に返ったように顔を上げた。そんな様子に僕が首を傾げると、掴まれていた手も離される。

「やっぱり、まだまだ細いですね」

「うーん、少し運動したほうがいいかな? 腕立て伏せとか?」

 ここまで細いと言われるとなんだか自分が頼りなく思えてしまう。間宮の隣に立ち腕を並べたら、手首はひと回りくらい細いようにも見えた。もともと骨からして細いので仕方ないといえば仕方ないのだが、ちょっと不満でもある。男らしいという要素が自分に少ないのは気のせいか?

「すみません、あまり気にしなくても大丈夫ですよ」

「うん、まあ気にする」

「えっ! 本当にすみません。気にしないでください!」

 慌てふためく間宮の様子につい吹き出すように笑ってしまう。ちょっとした仕返しのつもりで言っただけなのに、こんなにあたふたするとは思わなかった。素直な反応が面白い。

「もしかして、私のことからかってますか?」

「悪い悪い」

「ひどいですよ」

 ようやく僕の意図に気がついたのか、間宮は口を引き結びほんの少し拗ねたような表情を浮かべる。その顔を見て僕はまた声を上げて笑ってしまった。
 やはり間宮には危機感など持ちようがない。僕よりもずっとお人好しで、ちょっと気が弱くて、けれど頼りにならないかと言えばそんなこともなく、気が利く優しい後輩だ。

「そんな顔するなよ。今度またご飯連れていってやるからさ」

「え! あ、はい!」

「なんだよお前、現金なやつだな。もう機嫌直ったのか?」

「西岡先生とご飯食べるの好きです」

「ふぅん、そっか」

 まっすぐで可愛い後輩のどこを疑ったらいいのだろう。あまり器用ではないから僕は人の裏と表を見極めるほどの目は持っていない。けれどできれば自分で触れて知った相手を信じたい。
 人を疑うのは苦手だ。人が好すぎると呆れられることもあるが、それでも笑いかけてくれるその笑顔は疑いたくはないのだ。 

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