別離10
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 しばらく固まったように僕は館山さんの顔を見つめてしまった。考えが及ばない話をされて、頭がまったくついていけていない。けれど彼は目の前で肩をすくめるとため息交じりに話し出す。

「この事件に色々と圧力かけられてるんで、ほかの容疑者を探してるんですよ」

「あの、よくわからないんですが、圧力って調べるなと指示が出ているってことですか?」

「簡単に言うと、そういうことですね」

 うろたえる僕を見ながら、館山さんは言葉を濁すことなく返事をする。と言うことはこれは正規の捜査ではないのか。だったらこれ以上、僕がこの件で二人に関わる必要はないということだ。
 しかしまだほかにいる協力者というのはとても気になる。もう一人の容疑者は僕に危害を加えながら、なぜ僕を事件から遠ざけるのか。その理由もできれば知りたい。
 けれどふとした疑問が浮かんだ。

「でもいまもこうして捜査を続けているのは、もう一人の容疑者に近づいているからなんですか?」

「ええ、必ず捕まえますよ」

 はっきりとした館山さんの返事にますます疑問が湧き上がる。藤堂の母親が起こした事件は傷害事件ではあるが、正直言えばそこまで大きく騒ぎ立てるほどの事件ではない。簡単に言えば痴情のもつれというやつだ。
 関わりがあるとされている僕と藤堂の事件も、警察がそんなに躍起になるような事件でもない気がする。それなのにここまで力を入れるなんて、別のなにか理由があるのだろうか。

「そんなに大きな事件でもないのに」

「事件に大きいも小さいもありません。今回は運よく死者が出なかっただけです」

「……あ、すみません」

 野崎さんの冷静な言葉に我に返った。そうだ、運がよかったのだ。藤堂が無事なのは処置が早かったからだと看護師さんから聞いた。もしあと少し遅かったら、後遺症をもたらすことも考えられた。

 マスコミに取り上げられることのない事件だったとは言え、藤堂はいまも病院のベッドの上だ。無事に回復してきていたので大事なことを忘れるところだった。
 でもこうして警察が手を引かないのは、もう一人の協力者のせいなのだろうか。それは一体どんな人物なのだろう。

「館山、余計なおしゃべりは終わりだ。西岡さんが混乱してる」

「すんません」

「僕のほうこそすみません。興味本位に話を聞こうとしてしまって」

 頭を下げる僕と館山さんに目を細めると、野崎さんは小さく息をついてお茶をすすった。

「えっと、今日はお話それだけですか?」

 少しばかり気まずい雰囲気になり、僕は話を戻そうと野崎さんに視線を向ける。すると野崎さんはふいに目を伏せ考え込む仕草をした。そしてしばらく沈黙してから、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「西岡さん」

「はい」

 神妙な面持ちで名前を呼ばれて、思わず背筋が伸びた。少し息を詰めて見つめ返せば、また少し言葉を切る。けれど伏せられていた視線が持ち上がると、まっすぐに僕の目を見据えた。

「事件の発端に関わることです。藤堂優哉くんと、特別な関係にありましたか?」

「……それは」

 湯呑みをテーブルに戻した野崎さんは、言葉を詰まらせた僕をじっと見つめる。その眼差しに焦りで心臓が馬鹿みたいに速くなる。
 これはやはり認めるまで聞かれるのだろうか。しかし藤堂には二人のあいだになんの関係もないと答えて欲しいと、そう言われている。それに僕は了承もしてしまった。ここで容易く頷くわけにはいかない。

「その質問は、答えなくてはいけないことですか?」

「我々はあなたを罰するために聞いているわけではないのです。これは事実確認です」

「すみません」

 今更隠しても二人で一緒に写っている写真も見られているだろうし、事件の直前に電話をしていたことも知られているだろう。僕と藤堂が近しい関係だったことはもうきっと聞かなくても知っているはずだ。
 だからいずれ黙っていられない状況になることも目に見えてわかる。けれどいまは言葉にはできない。藤堂との約束を破るわけにはいかないのだ。

「学校のほうで少しお話は伺いました。今年の春頃から親しくされているようですね」

「……学校に、行ったんですね」

 警察がやってきて話を聞かれたら、僕たち二人が揃って怪我をしていることになにか疑問を持つかもしれない。
 付き合っていることまではわからないかもしれないが、一般生徒とは違う特別な間柄なのはわかるだろう。そしてそれを追求されれば、たどり着くのはいま問い詰められている答えと一緒だ。

 僕はどんな処分を受けても構わないけれど、藤堂は大丈夫だろうか。卒業まであと五ヶ月もない。藤堂までなにか処分を受けることになったら、ここまで藤堂が頑張ってきたものが全部水の泡になってしまうかもしれない。
 それだけは嫌だ。藤堂の足枷になるくらいなら、僕はすべてをなくしたっていい。

「藤堂には幸せになってもらいたいんです。ただそれだけなんです。それ以上の気持ちはありません」

「彼もそう思っているんでしょうね。あなたとの関係を何度聞いても、自分の一方的な気持ちであなたには関係ないと言っています」

「そう、ですか」

 藤堂も多分きっと僕と同じことを考えている。学校や世間での僕の立場が危うくならないようにと考えているのだろう。お互いが思っていることは一緒なのに、僕たちはどうしても掛け違える。お互いがお互いのために犠牲になろうとしている。

 これでは駄目だとわかっているのに、正しい答えが見つからない。僕が藤堂を選んだ時点ですべてがねじれているんだ。本当は手を取ってはいけなかった。せめてあと一年、待たなくてはいけなかったんだ。
 でも僕はそれができなかった。藤堂を手放すことができなかった。

「また、改めて伺います」

 言葉が見つからず俯く僕にこれ以上聞いても無駄と判断したのか、野崎さんは両膝に手を当て頭を下げると勢いよく立ち上がった。それにつられて顔を上げれば、野崎さんはどこか心配げな面持ちで僕を見つめる。

「すみません、今度来ていただく時にはお話しできるようにしておきます」

「よろしくお願いします」

「はい」

 いつまでもこうしてはぐらかし続けているわけにはいかない。藤堂には今度ちゃんと警察に話をすると言おう。そして藤堂ともこれからのことをちゃんと話し合おう。そのほうが早く解決することもあるかもしれない。
 野崎さんと館山さんを玄関先で見送ったあと、僕は藤堂と連絡を取ろうと携帯電話を手に取った。

「電話、学校からだ」

 携帯を開くと着信が一件あった。その着信を目に留めてなんとなく嫌な予感が胸をよぎった。警察が学校に行ったことで、やはりなにか疑問に思われただろうかと胸に不安が湧き上がる。けれど着信を見なかったことにするわけにもいかない。
 しばらく携帯電話を見つめたまま立ち尽くしてしまったが、このままなにもかも後回しにしても解決はしないと意を決して電話をかけることにした。

「西岡ですけど。電話をいただいていて」

「あ、西岡先生お疲れ様です。ええと、ごめんなさい、いま新崎先生は席を外していて」

「そうですか」

 どうやら僕に電話をしてきたのは三年の学年主任である新崎先生のようだ。藤堂の担任で直接関係がある先生だ。僕もとてもお世話になっている先生だが、いま僕に電話がかかってくる理由が見当たらない。
 また折り返しで電話をかけてもらえるようお願いすると、僕は大きく息を吐き出しながら通話を切った。一体これからどんな話をされるのだろう。胸の中で膨れ上がるように不安が広がった。

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