別離12
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 僕の返事を聞いた新崎先生は少し言葉に詰まるような、苦しそうな顔をした。十年、僕を見てきた人だから、僕のことはよくわかっているだろう。僕は決めたことを譲らない頑固な性格だ。わかっているからこそ深いため息をつく。

「この仕事に誇りを持ってやっていると思っていましたが」

「もちろんいまもそのつもりです。でもそれを秤にかけた時、僕の中に藤堂以上のものは見つけられませんでした」

 悩みはしたが、藤堂を選ぶと決めた時の切り替えは早かったように思う。そうして決めたあとは心の中がすっきりしたのをいまも覚えている。
 どんな理由があっても、教師が生徒に手を出すなんてことあってはならない。それを理解してもなお、僕の選択肢は一つしかなかったんだ。

「でもこの写真だけでは、相手が藤堂だということはわかりませんよね」

「そうですね。少なくともこれを見た校長や教頭は気づいていないようです。ですが西岡先生だけが処罰を受けるつもりですか」

「はい、藤堂を選んだのは僕です。待とうと思えば卒業まで待てたのに、それをしませんでした。藤堂のことは不問にしていただけませんか」

 まだ藤堂のことが表沙汰になっていないのなら、できればこのままわからないままでいて欲しい。そう願って頭を下げた僕に、新崎先生は困ったようにまた長いため息を吐き出した。

「参りましたね。西岡先生を辞めさせるとなれば藤堂も学校を辞めるでしょう。そのつもりの退学届だと思いますよ」

「藤堂はこのメールに心当たりがあるということですか?」

 しかし退学届は一昨日作成されたものでメールは今日届いたものだ。どうして藤堂はこのメールを予期することができたのだろう。

「彼は自分の伯父が西岡先生になにか危害を及ぼすだろうと言っていました。けれどこれの出処がどこなのかはわかりません。実際にそうなのか確かめようがないのです」

 出力された紙に視線を落としアドレスを確認するが、それはよくあるフリーアドレスだった。不特定多数が使用できるものだから人物の特定は難しいだろう。
 しかしこれを送ってきた、もしくは送るよう指示したのが藤堂の伯父だと言うなら、藤堂の母親の協力者はその人だということになる。その人物はどういった人なんだろう。

「新崎先生は藤堂の伯父についてはなにか知っていますか?」

「川端さんはこの学校に寄付してくださっている方の一人ですよ。うちの理事長と懇意にしていると聞いたことがあります」

「学校に関わりが深いんですね」

 もしも本当にその人が協力者なのだとしたら、僕の名前が事件に挙がらなかった理由がなんとなくわかる気がする。
 事件の原因が僕と藤堂の関係であることも伏せられているし、学校の名前が公にならないようにするためではないだろうか。多分その人は学校の不利益になることをもみ消している。

 今回こうしてメールが来たのは僕を学校から排除するためか。でもなぜ藤堂の伯父がここまで介入してくるのだろう。なんだかまだわからないことばかりだ。

「もう少し、藤堂と話をしてみます。藤堂がいまなにを考えているのか、聞いてみないと」

「そうしてください。西岡先生とのことは聞かせてくれましたが、まだ口を閉ざしていることは多いと思います」

「あの、どうして藤堂は、僕とのことを話したんですか?」

 僕には誰にも言わないでくれと言っていたのに、どうして新崎先生に話してしまったんだろう。藤堂は簡単に秘密を漏らしてしまうような男じゃない。それなのに、どうして。

「それは、私が気づいていたからです」

「え?」

「あなたたちのあいだにあるものが、単純な師弟愛ではないと私が気づいていたから、言葉にしてしまったんでしょう。秘密を抱えると言うことは苦しいものです。吐き出すように私が彼をつついたんですよ」

 やっぱり僕はなに一つ隠せていない。二人の秘密を、簡単に知られてしまう。誰にも知られてはいけないはずなのに。そうしないと藤堂を守ってあげることができないのに。

「……僕という存在は、彼のとって辛いものなんでしょうか」

 僕は彼に苦しい思いばかりさせる。それなのにその腕を広げて、いつだって藤堂は僕を守ろうとする。自分が一番傷ついているはずなのに、僕が傷つかないようにすべてを背負って深い傷を負う。
 僕が彼を愛することは間違いだったんだろうか。僕が答えを出さなければ、こんな未来は訪れなかった。

「いいえ、あなたはあの子にとっての救いです。西岡先生、あなたはまっすぐに藤堂を愛していますか?」

「愛しています。……彼以外のすべてをなくしても、それでもいいと思えるくらいに」

「あの子もまた同じことを思っています。いま自分が存在していられるのは、あなたという人が傍にいるからだと、そう言っていましたよ」

 それはあまりにも藤堂らしい言葉で、想像したらあふれた感情がこぼれ落ちた。そういうことは面と向かって僕に言うべきだ。でもきっといまはそんな言葉も容易く紡げないほど苦しんでいるのかもしれない。

 藤堂のことだからまた心の内に色んなことを溜め込んでいるんじゃないだろうか。父親のことといい、今回の伯父のことといい身内の話だ。余計僕に話をしにくいのかもしれない。それに藤堂はなんでも自分で解決しようとする悪い癖がある。

「僕がいまできることはなんでしょうか」

「そうですね、掴んだ手を離さずにいることではないですか」

 本当にそれだけでいいのだろうか。もっと僕が藤堂にしてあげられることはないのだろうか。抱きしめたい。腕の中に閉じ込めて、すべてのものから守りたいと思う。でも僕は無力だ。きっと大きな力には敵わない。
 でも、それでも、藤堂を失うことだけはしたくない。

「僕は、藤堂と一緒に生きていきたいです」

「それが望む道ならば、へこたれていてはいけませんよ。そしてできれば二人とも考えを改めてくれると嬉しいですね」

「でもこのままなにもお咎めがないというのは難しいですよね」

「届けのことやメールの件は私に任せておいてください」

 藤堂が送った届け出は幸い新崎先生宛てだ。まだ上のほうへは知られてはいないのかもしれない。けれど僕の件は本当に大丈夫なのだろうか。しかし新崎先生が任せろと言うのだから信じるほかない。せめて藤堂のことが表に出なければいいのだけれど。

「色々とありがとうございます」

「いえ、二人がお互いに与える影響がよいものであると私は信じていますよ」

 穏やかな笑顔と共に与えられたそれは、思いがけない言葉だった。僕と藤堂のことが学校側に知れた時にはバッシングされるだろうと思っていたし、僕の懲戒免職も即決定だろうと思っていた。
 だからまさかこんな風に優しい言葉をもらえるとは思っていなかった。誰よりも先に僕たちのことを知ったのが新崎先生でよかったと思う。ほかの先生ではこうはならなかっただろう。

「藤堂のこと、助けてやってくださいね」

「はい、できる限りのことはしようと思っています」

 僕にできることがあるのか正直言ってわからないけれど、それでも小さく些細なことでもいいから藤堂の力になりたいと思う。藤堂の歩く未来が明るいものになるようにどんなことでもしたい。

「西岡先生がいてくれれば安心できます。彼は無理をしやすいですからね」

「僕もそれは気がかりです」

 育ってきた環境がそうさせてしまったのか、藤堂は本当に我慢をすることが身についてしまっている。早く色んな問題を解決して藤堂の心が安らげる状態にしてあげたい。

「今日はこれから藤堂のところへ行きますか?」

「はい、行ってみようと思います」

「では頂いたものは預かっておきますと伝えてください」

「わかりました」

 柔らかな笑みを浮かべた新崎先生は僕の目を見て大きく頷いた。その眼差しを受けて僕は立ち上がり頭を下げた。
 何度感謝してもしきれないほどの思いが胸の中に広がる。この恩を返すためにも教師を続けることを最後まで諦めないでいよう。そして藤堂を退学になんてさせないようちゃんと話し合おう。
 新崎先生に挨拶を済ませると、僕は病院へと向かうことにした。

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