別離13
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 藤堂の一見した見た目や雰囲気はとても落ち着いていて、迷いや戸惑いなんかないんじゃないかと思わせる。最初の頃は正直言えば僕もそう思っていた。でも一緒にいるうちにそれは弱さの裏返しなんだって気がついた。

 藤堂の強さは自分を守るために身に付いたものなんだ。だから本当の藤堂は傷つきやすくて繊細でとっても脆い部分を持っている。けれどその弱さを必死で人に見せまいとして強くあろうとするから、心は疲弊しどんどん小さな刃物に傷つけられていく。
 そして限界が来ると藤堂は殻に閉じこもるように人から離れていってしまう。

 それなのに見過ごしていた――藤堂の弱さに気づいていたのに、僕はうまく心が通じ合えないことに目を伏せていた。時間が解決するだろうと、いまは仕方がないのだと距離を置いてしまっていた。
 考え直そうと思っていた矢先ではあるが、僕の行動は少し遅かったのかもしれない。

「どこに行ったんだよ」

 空になった病室を見つめながら、携帯電話を耳に当て僕は唇を噛んだ。そして耳元で聞こえる無機質なアナウンスに思わず頭を抱えてしまった。いまどき電波の届かない場所なんて限られている。考えられるのは意図的に電源を切っていることぐらいだ。
 繋がらない電話は諦めて携帯電話を上着のポケットに突っ込んだ。そして僕は辺りに視線を巡らせて、見知った顔を探した。

「あの、篠田さん」

 運よくすぐにいつも病室に来ていた看護師さんを見つけられた。篠田さんは僕とも何度も話したことがあり面識がある。数メートル先を歩くその背中を追いかけて、僕は急いで彼女を呼び止める。

 声をかけられた篠田さんは不思議そうな顔で振り返るが、僕の顔を見た途端に困惑した面持ちに変わった。その表情の変化で僕は藤堂の退院になにか理由があるのではと推測した。

「個室の藤堂優哉。いつ退院しましたか?」

「あ、えーと、今日の午前に」

 行く先を遮るように立った僕の勢いに気圧されたのか、篠田さんは少し視線をさ迷わせ口ごもりながら答えた。

「退院、いつ決まったんですか?」

「えっと、昨日です、ね」

「そんなに急に? なにかあったんですか?」

「うーん、それはぁ、個人的なことなので」

 僕の問いかけに篠田さんはそわそわと何度も辺りを見回した。やはり藤堂が退院した理由かなにかを知っているのかもしれない。

「今回の退院は伯父さんに、川端さんに関係ありますよね」

 口ごもってはいるが、どことなく話したい素振りは感じられる。なのでとりあえず当てずっぽうで、いま関係がありそうなことを聞いてみた。

「それは、その」

 泳いでいる視線を追いかけてじっと見つめると、慌てたように目を伏せられた。それでも視線を離さず見つめていたら、身体を反転して後ろを向かれてしまう。
 さすがに退院事情までは聞きだせないということか。しかし肩を落として諦めようとしたら、篠田さんは後ろを向いたまま「独り言です」と小さな声で呟いた。

「えっ?」

「しっ、優哉くんと親しかった西岡さんにだから話します。内緒でお願いしますね」

「あ、うん」

 驚いて声を上げたら、篠田さんは慌てて振り向き人差し指を口元に当てた。それに大きく頷いて答えると、辺りを気にしながら彼女は小さな声で話し始める。

「優哉くんと川端さんの関係がだいぶこじれていて、入院費とか援助を受けたくないからと自宅療養することになったんです」

「え? じゃあいま藤堂は自宅に?」

「うーん、一旦は家に帰るとか、幼馴染みに頼るとか、そんなこと話に上がってたかな」

 そういえば何度か見かけたことがある。藤堂の身の回りは片平の母親が仕事上がりにやってきて、色々と面倒を見てくれているようだった。ではいまは家には帰らず片平や三島のところへ行ったのだろうか。

「でも退院後すぐは川端さんに見つかるかもしれないから、別なところにしばらく身を隠すとかも言っていたような」

「別な場所?」

「おそらくホテルとか、そういうところだと思うんですけど」

 身を隠さなくてはいけないほどに伯父の川端さんと険悪になっていたなんて、そんなことをまったく知らなかった自分が情けない。上の空になるほど思い悩んでいたのは、父親のことではなく伯父との関係についてだったのだろうか。
 母親の協力者である可能性も高いし、なにか気がかりなことがあるとか。養子になるとかならないとか、そういう話もあったからかなり状況が悪いのかもしれない。

「藤堂と連絡をとりたいんですけど知りませんか」

「ちょっとそこまではわからないです。病院への通院や連絡は優哉くん本人に任せてあるみたいなので」

「そうですよね」

 身を隠すと言っていたのなら、特別な連絡先があっても病院には知らせないだろう。どこで居場所や連絡先が漏れるとも限らない。
 現にいまだって内密の話を僕にしてしまっているくらいだ。いまの僕にとってはありがたいことだけれど、こういう軽さを懸念しているのだろう。

「あ、やばい師長だ! 私もう行かなきゃ、ごめんなさい。これ以上の詳しいことはわからないです」

 廊下の向こうから歩いてくる女性に気がついた篠田さんは、慌てて僕に頭を下げると足早に歩き去っていく。
 僕はその後ろ姿を見送りながらポケットにしまっていた携帯電話を取り出した。そして電話帳を開き片平の名前を探す。片平とは夏休みの校外部活動の時に連絡先を交換している。

「いまは授業中だしメールを送っておこう」

 片平や三島のところになにか行く先の手がかりを残しているかもしれない。それと自宅の場所を聞いておきたい。藤堂の自宅がある最寄り駅は知っているが詳しい場所まではわからない。もう自宅にはいないかもしれないが自分で行って確かめたい気持ちがある。

「追いかけたら迷惑かなって、いまは考えてちゃ駄目なんだよな、きっと」

 なにも言わずにいなくなったからといって、藤堂が本当にそれを望んでいるとは限らない。むしろ心の内を打ち明けられずにいる可能性のほうが高いことも考えられる。
 もうこんな状況だ。下手な遠慮をして黙って待つよりも、目の前まで行って直接心の中にある言葉を聞きたいと思う。

 ただ待つんじゃなくて、藤堂の声を聞いて一緒に考えて、それからどうするかを二人で決めたい。それでもう僕はいらないのだと言われたら、その時は潔く身を引けばいい。だからそれまでは、藤堂のことをこれ以上見失わないように追いかけていこう。

「最寄り駅まで四十分くらいか」

 電車でここから移動して最寄りの駅に着くまでに学校の授業も終わっているだろう。藤堂がいなくなったことを知っているのかわからないけれど、片平のことだからメールを見たらきっとすぐに折り返してくれるに違いない。
 そう思うと身体はすぐさま動いた。病院を抜け、僕は藤堂の家へ向かうべく足を踏み出した。

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