別離20
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 昔の藤堂をきっと誰よりも知っているだろう人。一年も一緒にいれば少なからず影響も受ける。自分より大人であるその人に憧れだって感じるかもしれない。

 正直言えば、どんな理由があっても未成年を夜の街に連れて行くのはよくないと思う。けれど息の詰まった家で過ごすよりも、きっと藤堂の心は救われていたはずだ。
 ということはそれも理解していた人と言うことだろうか。だとしたら藤堂が傍にいたのもなんとなく頷ける。多分きっと、初めて現れた自分を理解してくれる大人だ。

「そのあとはもう縁は切れたのか?」

「どうかな。優哉はかなり奈智さんに懐いてたし、連絡くらい取り合ってたんじゃないのかな」

「夜遊びが激しくなったのは、なっちゃん先生が辞めたあとだよね。夜に出歩いて朝帰ってきて、学校は午後から来ること多かった」

 どうやら夜の店に顔を出し始めたのは中学二年になってからのようだ。と言うことはやはり家庭教師を辞めたあとも交流があったということか。

「それにしても、藤堂は一年の時から家庭教師をつけていたのか」

「あー、うん。優哉は本当なら俺たちとは違う進学校に行くはずだったんだ。けど親の言うこと聞いていい子にしてるの疲れちゃったのかな」

「なっちゃん先生が辞めてから全然勉強とかしてなかったよね。それで当時の成績でも入れるいまの高校を受けることにしたの。優哉は基本的に勉強しなくてもテストの成績抜群によかったし、私たちも受けるからいいだろうって学校の先生がね」

 もしかしたら藤堂は高校受験もまともにするつもりがなかったのかもしれない。ふと僕は桜の木の下で見かけた藤堂の背中を思い出した。ぼんやりと木を見つめ、藤堂は風でひるがえる受験票などお構いなしだった。
 あのまま風に飛ばされてなくなったら、受験するのをやめていたんじゃないだろうか。そのくらい無気力に感じられた。

「そうだあっちゃん。ほら写真に写ってるんじゃないかな、奈智さん」

「え、ほんと! ちょっと待って」

「写真?」

 二人のやり取りに思わず首を傾げてしまったが、片平はなにやら慌ただしく鞄に手を入れ中を探っている。そしてしばらくすると厚みのある手帳のようなものを二冊ほど取り出した。

「西岡先生が優哉の親しい人を知らないかって言うから、外に出歩くことが多かった中学の時の写真持ってきた」

「藤堂の知り合いとか写ってるのか?」

 手帳のように見えたものは写真のアルバムだったようだ。広げると片平や三島、そして藤堂が写っている。三人は以前見た藤堂と同じ制服を着ていた。

「うん、まあ、えーと。昔の彼氏とか友達っぽい人とか。ノリのいい人はよく私たちとも遊んでくれたんだよね」

「そうなのか。見てもいいか」

「あ、うん」

 片平や三島が知る昔の人はどんな人なのだろうかと思っていたが、その頃の藤堂を考えてみればやはりその辺りになるのか。少しばかり言いにくそうに片平は目を伏せたけれど、湧きでそうになった嫉妬心は押し込めて僕はアルバムをゆっくりとめくった。

 その中には制服姿の藤堂と私服姿の藤堂がいる。制服姿の時は傍に必ず片平か三島が写っている。私服姿の藤堂の隣では見知らぬ人が笑っていた。
 さすがにそれを見ると胸が締めつけられるような気分になる。言葉で聞くだけではわからない藤堂の時間がそこにあるのだ。

「西やん、ほらこの人だと思うよ」

「ん?」

 もう一冊のアルバムを見ていた三島が開いたページを指さしてきた。それに視線を落とすと藤堂に三島、あともう一人男の人が写っていた。穏やかそうな顔立ちは少し彫りが深く、赤茶色い髪と相まって日本人離れした印象を受ける。

 優しく細められた瞳も茶色っぽく見えるので、もしかしたら異国の血が混じっていたりするのだろうか。人好きするような笑みを浮かべる好青年だ。
 家庭教師をしていたというから、歳は大学生くらいなのか。けれどそれよりももうちょっと大人びて見える。

「いい人そうだな」

「うん、そうだね。優しくていい人だったよ」

 まれな付き合いである三島が好印象を受けているのだ。彼は本当にいい人なのだろう。人付き合いもよくて明るくて大らかで、藤堂が信頼を寄せていた人。
 そう思えば思うほど心の中で嫌な気持ちが膨らんでいく気がした。それが嫉妬なのはすぐにわかる。僕の知らない藤堂を知っている人。

「藤堂が憧れて好きになりそうな人、かな」

「好き、かぁ。どうなんだろう」

 不安が声や顔に出ていたのか三島は少し困ったように首を傾げる。しかしそんな中で片平はのんびりとトレイの上のマグカップを手に取り、それを傾けるとカフェオレを口に含んだ。そしてぽつりと言葉を吐き出す。

「それはないと思うわよ」

「え? そうなのか?」

 色んな想像をして落ち込んでいた僕の希望の光とも言える片平の言葉に、思わず身体が前のめりになってしまった。そんな僕の反応に呆れることもせず、片平は持っていたマグカップをテーブルに置き一息ついた。

「だってなっちゃん先生が来たのは中一の春でしょ。その二ヶ月後には西岡先生に会ってるし、憧れはあっても恋愛感情はないわよ。すでに好きな人がいるのに、また別な人を好きになるなんてあいつはそこまで器用な男じゃないわ」

「そっか」

「西岡先生とのことは運よくまた会えるのは無理だろうって、半分諦めて別な人と付き合うとかしてたけど、結局どれも本気になれなかったから長続きしなかったわけだし」

「うん」

 心の中は安堵の気持ちでいっぱいだった。藤堂の好きな人ではないと聞かされてこんな時なのに嬉しくて仕方がない。噂だと言っていた貴也の言葉は本当だったのだ。一緒に出歩くほど親しかったのだろうけれど、それだけならばそんなに胸は苦しくならない。

「で、なっちゃん先生が優哉の居場所知ってるの?」

「それはわからないんだ。でも藤堂のことで話がしたいって言ったら会ってくれることになって」

「ふーん、五分五分な感じなのね」

 ただ昔話をしたいと思われているのかもしれないし、いまの藤堂を知っていて話をしたいと思っているのかもしれない。実際会ってみなければ相手の真意はわからないのが現状だ。期待外れになるかもしれないが、いまは藁にもすがる思いだ。

「でも私たちが知ってる優哉の知り合いの中で、一番近しい相手なのは間違いないわね」

「あー、でも会えるの二週間も先なんだ」

 メモ紙に書かれた日付に気がついたのか三島が声を上げる。その声に片平も視線を落としてメモ紙を見つめて目を細めた。

「ああ、そうなんだ。忙しい人らしくて」

 会えるのは今日からちょうど二週間後の夜。指定の店でと言うことになっている。片平と三島を待つあいだに携帯電話で調べたら、自宅の最寄り駅から一駅先に行った場所にある会員制の小料理屋だった。
 そんな場所を待ち合わせ場所にするくらいだから、平凡な教師の僕などとは違った世界で生活している人なんだろうなと少しばかり緊張している。

「手がかりになる話聞けるといいね」

「まったくあいつはなにやってるんだか」

 心配をしているのは僕たちだけではない。このままなんの手がかりや情報がなければ、片平と三島の親が警察に届け出ると言っているようだ。

 本人の意思で姿を隠しているとしてもまだ藤堂は未成年だ。失踪届を出されても仕方がない。そんな大ごとになる前に居場所がわかればいいのだけれど。
 それからしばらく片平と三島と少ないながらも情報交換をして、なにかあればすぐに連絡すると約束し合い別れた。

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