始まり03
240/251

 あれからしばらくみんなで話をして、お茶を飲んでお菓子を食べて過ごした。そしてそのあとは各々の仕事に戻っていった。放課後になってもやることはたくさんある。
 小テストを作成したり課題をチェックしたり、そんな細かい作業をしながら仕事をこなしていると、ふいに今日の予定を思い出した。
 慌てて時計を見ると時刻は十七時半を少し過ぎたところだ。広げたノートやプリントをかき集めてまとめると、僕は慌ただしく立ち上がった。

「センセ、終わったのか」

「ああ、悪い。もう平気だ」

 立ち上がった僕を、斜め前の席に座っていた峰岸が見上げる。そして僕の言葉に小さく頷くと、彼も机の上を片付けゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、行くか。あいつらもう着いたって」

「え! それならそうと言ってくれればいいのに」

 なんてことはない口調で言うけれど、約束の時間は確か十七時半だったはずだ。僕が思い出さなかったら、仕事が終わるまで待っているつもりだったのだろうか。
 いや、しかしそれはさすがにないか。今日の予定を組んでいるのは僕と峰岸だけじゃない。ほかにも待っているメンバーがいる。

「お先に失礼します」

 書類などを鞄に詰め込むと、僕はそれを持って出入り口に向かう峰岸の背中を追いかけた。そして廊下を抜け職員玄関を抜けると、僕はのんびり過ぎるほどのんびりな峰岸の背中を押して校門へと急いだ。
 約束では残りのメンバーは確か校門前で待っていると言うことだった。校門を出て左右を確認すれば、斜め右方向の反対車線に白のミニバンが停まっている。その車に視線を向けると、すぐ傍のガードレールに寄りかかり携帯電話を片手に立っている人を見つけた。

「三島!」

「あ、西やん、峰岸、お疲れさま」

 車の通行を確認して道を渡り、少し大きめな声で待ち人に声をかける。すると彼――三島はぱっと顔を上げて、こちらに向かい柔らかい笑みを浮かべた。

「悪い、待たせた」

「大丈夫だよ、まだ時間はあるから」

 駆け寄る僕に向けられた三島の笑顔は相変わらず穏やかで和む。その笑みにほっと息をつきながら彼を見上げると、小さく首を傾げて僕を見つめる。

 三島には春頃にも一度会っているが、なんだか少し見ないあいだに身体付きがよくなったような気がする。
 以前はひょろりと背の高い印象だったけれど、細さをあまり感じなくなった。それは肉付きがよくなったというわけではなく、身体が引き締まった感じだ。肘までまくったカットソーから伸びる腕も、少し太くなったのではないだろうか。

「小学校は大変か?」

「あー、うん大変。子供を振り回している内にだいぶ筋肉ついたみたい。けど充実してるよ」

「そうか、それならいいんだ」

 僕の視線に気づいたのか腕を持ち上げ三島は笑った。今年の春から三島は小学校の先生になった。
 最初に聞いた時は家で弟たちの面倒見て、外でも子供たちの面倒を見て接するのは大変じゃないかと思ったのだが、いまになれば彼らしい選択だと思えた。子供たちと同じ視点に立つことができて、指導することも身についている。
 まっすぐで気持ちが強くて責任感もある。きっとこれからもっといい先生になるだろう。

「ちょっと! あんまりのんびりしてると時間なくなるわよ」

「そろそろ行くか?」

「そうだね」

 しばらく三島と立ち話をしていたら、車の窓から顔を出しこちらを見ている視線に気がついた。かけられた声と視線に応えると、僕たちは車に乗ることにした。
 運転席に三島、助手席に峰岸、僕は後部座席に乗り込む。後部座席には先客がいて、久しぶりに会うその姿に僕は笑みを返した。

「元気にしてたか、あー、えっともう片平じゃないんだっけ」

「元気元気! 西岡先生も元気そうで安心したわ。どっちでもいいわよ。また名字変わるし」

 後部座席に座っていたのは、肩先までまっすぐ伸びた黒髪と、ぱっちりとした大きな黒い瞳が印象的な色白美人、片平だ。いまは母親が三島の父親と再婚をして三島の姓を名乗っているのだが、三島が二人もいるとややこしいので片平と呼ばせてもらうことにした。
 彼女とは確か今年の正月に神社で会った以来だろうか。初詣に行く神社が片平や三島と同じで、たびたび遭遇するのだ。毎年綺麗な振り袖を着てお参りしているが、それも今年が見納めだった。そう思うとなんだか感慨深い。

 高校最後の写真展覧会で審査委員特別賞を授与された片平は、出版社に声をかけられ大学に通いながら写真の勉強をして、仕事もこなしていた。いまでは写真集も二冊発売されプロの仲間入りを果たしている。
 そんな片平を見初めた人がいて、十二月に結婚することが決まっているのだ。相手は出版社の編集長さんと言っていたから、年の差婚になるのだろうか。

「結婚か、時間の流れを感じるな」

「先生は結婚式に参加してよね!」

「もちろん、参加させてもらう」

 きっと片平のウェディングドレス姿は綺麗だろう。大学生になってから年に何回か会っていたが、会うたび綺麗になって眩しいほどだった。女の子は男の子とは違った成長があって驚かされるものだ。

「若い内に結婚とかめんどくせぇ」

「うるさいわね。根無し草に言われても説得力ないわ」

「峰岸は特定な相手ずっといないよね」

 ぽつりと呟いた峰岸の言葉に片平は眉を寄せて口を曲げた。そんな二人の様子に声上げて笑った三島は、肩をすくめて隣に座る峰岸に視線を向ける。
 この三人はなんだかんだと高校卒業後も接点があり交流が続いていたようだ。三人のあいだに立つのは三島だろうか。
 峰岸と三島は大学が一緒だったようで、学部は違ったらしいのだが縁が続いていた。三島の傍には当然片平もいるので、峰岸も会う機会が多かったのだという。

「うるせぇ、俺はまだ枠にはまる気ないんだよ」

「あ、ちょっと峰岸! 車の中は禁煙だって何度言ったらわかるんだよ」

「前見て運転しろよ。お前がうるさいから、こないだ空気清浄機を買ってやっただろう。これつけとけばいいだろう」

 煙草をくわえた峰岸に、三島は大きな声を上げる。けれどその声を指で耳栓して聞き流すと、峰岸は躊躇なく煙草に火をつけた。そして車載用の小さな空気清浄機のスイッチを入れる。
 三島と峰岸は高校時代あまり接点がなかったけれど、いまは大学卒業後もお互いの家に行き来するくらい仲がいいらしい。見ていると仲がいいというか、三島が峰岸の面倒をみているようにしか見えないのだが、昔は苦手と公言していた三島がこうして世話を焼くのだから打ち解けてはいるのだろう。

「この二人になにか過ちが起きたら面白いって思ってるんだけど」

「こら、三島は自分の家族だろ。そんな悪い顔して笑うな」

「でもお互いまるきり意識してないみたいだから、惜しいのよねぇ」

 こそりと囁く片平に乾いた笑いしか出てこない。過ちなんてそうそう起きてもらっては困る。しかしそう思うけれど、もしも万一のことが起きても僕はすんなり受け止めているんだろうな。
 峰岸と三島が付き合うとかそういう想像はいままったくできないけれど、大きく反対はしないかもしれない。でもきっと片平が想像する通り二人はそういう意味での意識はしていないのだろう。

 見ている限りまるで子供がじゃれているような可愛さだ。それに多分きっと三島は峰岸の好むようなタイプじゃないと思う。自立していて、まっすぐと自分で立っていられる相手にはおそらく興味を示さない。
 どちらかと言えば、どこかこじれていて人間的に欠けた人間を求める。それは自分自身も欠けているから、その欠片を埋めるために傍にいようとするからだ。だから片平が期待する結果にはならないだろうなと思った。

リアクション各5回・メッセージ:Clap