始まり04
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 走り出した車の中は、途切れることなく賑やかな笑い声と話し声が広がる。今年の春に就職をしてからなんだかんだと三人とも忙しいので、近頃集まるのは週に一度あるかないかのようだ。

 今度いつ集まるとか、どこへ出かけるだとか。そんな会話をしている三人を不思議な気持ちで見つめてしまう。
 あの夏の校外部活動の日。あの日からこの三人の関係も少し変わったような気がする。それほど長い時間ではなかったけれど、一緒に過ごした思い出はしっかりと絆として結ばれたのだろう。

「そういえば、西岡先生のところはまだ古風なやり取りしてるの?」

「古風? 古風かな? 手紙のやり取りは意外と楽しいぞ」

「センセ、ほんとそれいつの時代だよ。まったくいまどきメールって言う便利なものがあるだろうが」

 呆れたような峰岸の声と共に車内に笑い声があふれる。何度話題に上がっても笑われるのだが、実のところ彼が旅立ってからメールも電話も一度しかしたことがない。
 連絡手段はいつも手書きの手紙のみだ。やり取りに時間はかかるけれど形に残るし、時間をかけて書くから毎日のことを綴っても話が尽きない。

「うーん、メールは送ってすぐ返ってきたりしたら、すぐそこにいるのがわかっちゃうだろう。そうしたら声聞きたくなるし、電話したら近くなった気がして会いたくなるから」

「先生、無意識に惚気てくるよね」

「え?」

 片平の言葉に僕は驚いて目を瞬かせた。いま僕はなにか変なことを言っただろうか。首を傾げて車内を見渡せば、三人とも笑いをこらえるような顔をしている。
 しかし先ほど言ったことは嘘ではなく、実際にお互いそう思ってメールも電話もしないことにした。

 それに元々僕たちは頻繁に連絡を取り合っていたわけではないから、時々の手紙交換というやり取りはそれほど難しいことではなかった。
 確かにたまに無性に声を聞きたくなったり、顔を見たくなったりはするけれど。でもそういう時は高校時代の写真なんかを見て気を紛らわせる。片平がこれでもかと言うほど写真を残してくれたので、それに困ったことは一度もない。

「けどメールも電話もしない上に、向こうにいるあいだ、一度も帰らないってのはどうかと思うけどな」

「まあ、薄情に見えるけど、会うと帰りたくなっちゃう気持ちもわかるわ」

「優哉なりに頑張ったと思うよ」

 ため息交じりの峰岸の言葉に片平や三島も息をつく。高校を卒業して峰岸たちは大学を出て社会人になった。あれからもう四年が過ぎたのだ。曾祖母が存命のあいだ時雨さんの元で暮らすと言っていたが、実際のところは少し話が変わっていた。
 彼が向こうへ行ってから一年半ほどで彼の曾祖母は亡くなった。けれどまだ勉強したいことがあるからと、帰国は先延ばしになったのだ。その間の四年と半年――彼は一度も日本に帰国していない。

「センセはいつもあいつに振り回されてる気がするんだけど」

「それはいいんだ。ちゃんと話してお互い納得してるから気にしてない」

 まだ帰れないからもうしばらく待っていて欲しい、そう言われた時は正直寂しかったけれど、彼の将来を考えたらそのほうがずっといいと思った。
 せっかく勉強をしているのに僕のせいで中途半端にして帰ってくるなんて、そっちのほうが心配になる。どうせならやりたいことをとことんやって、たくさん経験して成長した彼に会いたい。

「覚えることがなくなるまで、やりきって帰ってきて欲しいよ」

「西岡先生ってば健気ね」

「そんな西やんに会わせたい人がいるんだよね」

「会わせたい人?」

 バックミラー越しに微笑んだ三島に思わず首を傾げてしまった。今日は久しぶりに四人でご飯でも食べようと言う話だったはずだが、僕に会わせたい人とは誰だろう。そういえばいつの間にか車は市街地から郊外に抜けていた。
 今日はどこに行くのかまったく聞いていなかった。けれど窓の外を眺めていると次第に目の前を流れる景色を思い出してきた。

「もしかして空港に向かってる?」

「そう、いまからその人を迎えに行くから」

「え? そうなのか」

 突然のことに驚きを隠せない。けれど会わせたい人とは一体誰なのだろうか。飛行機でやってくる地方の知人はそんなに多くない。しかし僕の知人をこの三人が知ってるとは思えないし、僕の知らない人なのか。
 けれど胸の中に予感めいたなにかが湧いてくる。まさかと思う気持ちと、そうだったらいいと思う気持ちがない交ぜになった。
 三人の表情を見れば微かに口元に笑みが浮かんでいるようにも見える。

「これは、期待してもいいんだろうか」

 この前届いた手紙にはそれらしいことはなにも書いていなかった。今度こちらへ手紙が届くのはいつだろう。いつものペースで行けば――今日明日には届くのではないか。もしそうなのであれば、きっとその手紙になにか書かれているはずだ。

「期待してていいよ」

 三島の笑みと言葉に言われるままに期待が一気に膨らんだ。胸がドキドキとしてくる。まさかこんな急に会えることになるなんて思いもしなかった。

「三人とも帰ってくることは前から知ってたのか?」

「今週に入ってからよ。弥彦のところにメールが来たの。週末に帰るって」

「それに返信して、予定が変わったって連絡くれたのおとといかな」

 どうやら元々の予定では、もう二、三日あとに帰国するはずだったようだ。しかしそれがおとといになって急に予定が変更になったらしい。三島がタイミングよく返信をしてくれなかったら、今日帰ってくることは知ることができなかった。偶然だとはいえ感謝しなければ。

「あいつってば、やっぱり西岡先生に伝え忘れてたのね」

「予定が繰り上がったこと言い忘れるとか、馬鹿だろう」

「まあ、大目に見てあげなよ。優哉すごく忙しそうだったし」

 三島の言葉に片平と峰岸は肩をすくめ、ため息をつく。急な予定変更といい、彼はどうやらいま随分と忙しいようだ。そんな中で帰ってくると言うことは、一時帰国なのだろうか。しかしどちらにせよ帰ってくることには変わりない。これは手放しで喜んでもいいだろう。

「いきなり行って驚かせてあげないとね」

「泣いてしがみついて、もうどこにも行くなって言えよ」

「そのくらいしても罰は当たらないわね」

 三人の言葉にくすぐったい気持ちになった。そして本当に彼が帰ってくるのだと実感が湧いてくる。

「そっか、帰ってくるんだな」

 なにも知らずにいきなり彼が帰ってきたら、僕はきっと随分と驚いただろうな。不意打ちを食らって情けなく泣いている自分が想像できる。
 彼は僕に会ったらどんな反応をしてくれるだろうか。喜んでくれたらいいな、僕に会いたいと思ってくれていたらいいな。

 そんなことを考えながら、無意識に左手の薬指を撫でていた。そこには光を受けて煌めくシルバーリングがある。離れていても頑張ろうと手をつなぎ合わせた日から、ずっと外さずにしている大切な証し。毎日綺麗に磨いてその輝きはいつも左手にあった。

「会えるなんて、夢みたいだ」

 指折り数えるなんて真似は、不謹慎だと思ってして来なかったけれど、心のどこかでずっと帰りを待ちわびていた。
 毎晩、空を見上げてぼんやりすることは多かった。いまなにをしているんだろう。なにを思っているんだろうって思いながら過ごしていたんだ。

 あと一年二年先も待つ覚悟はできていたけれど、そろそろ会いたいなって寂しくなっていた。だから会えるだなんて夢のようだ。
 車の外を流れる景色が変わるたびに胸の期待が高まって、会いたい気持ちがひどく募った。

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